杉浦重剛先生は昭和天皇の倫理の先生で、お話が幾つも残っており、とても参考になる。お聴きして見よう。良い機会なので母校を創設して頂いたので母校のことを改めて調べてみた。
若き学生さんたちが、今なお通う。1885年創立(明治18年)で135年を迎えた。もう一つの母校「早稲田大学」は、1882年創立(明治15)138年。ほぼ同じ時期。
現在私は、76歳なので 早稲田大学創立の138年前は生まれる62年前。そんなに昔ではないのが意外だ。
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ところで昭和天皇物語という漫画シリーズが出版されていて、天皇の倫理の先生をされていた杉浦重剛先生が、ずっとご登場されている。私たちの世代だけでなく、ぜひ読みたい。昭和史を振り返り、令和での生き方をご一緒に模索したい。
★今世紀最大の話題作、ついに単行本化!!大元帥陛下して軍事を、大天皇陛下として政治を一身に背負い昭和という時代を生き抜いた巨人。波瀾万丈という言葉では表せないほどの濃密な生涯に半藤一利氏協力のもと、漫画界の巨人・能條純一氏が挑む――「ビッグコミックオリジナル」誌で毎号にわたり衝撃を呼ぶ巨弾連載、待望の第1集は、その少年時代が大胆な解釈と圧倒的な画力で描かれる…!【全200ページ】
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母校は、中高一貫男子校「日本学園」。
明治の大教育者であった杉浦重剛(しげたけ)先生が1885年に創設した東京英語学校が前身です。日本の私学としては指折りの長い歴史と伝統を持つ学校です。 当時はいまの東京大学への進学をめざす若者のための予備校で、全国から英俊が集まりました。戦後日本の路線を敷いた吉田茂元首相や岩波書店創業者である岩波茂雄、日本画の横山大観など日本の政官界、経済界、芸術と文化の分野に優れた業績を残す多くの逸材を輩出しました。
杉浦校祖は、社会に貢献する人材を育てたいとの考えから、生徒には「まさかのときに役立つ人間になれ」と説きました。また「社会の一隅を照らす人間になれ」とも教えました。
ここには、立身出世を目的とするのではなく、社会がまさかの状況になったときに、しっかりと行動して役立つことのできる人間になってもらいたい。
どんな場所にあっても、そこを照らす人間であって欲しいという、高名でありながら生涯清貧だった校祖の願いが込められています。杉浦校祖は、教育の目的は単に知識の習得にとどまるのではなく、人間形成にあると考えていました。
ところで、その人間形成に関して、杉浦校祖は「人は得意な道で成長すればよい」と生徒を型にはめることなく、伸び伸びと自己研鑽に励むことを奨励しました。ここに、本校の卒業生が多岐にわたる分野で活躍することになった秘密があるのかもしれません。
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日本学園 百年の歩み
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生徒の個性を尊重する姿勢は、日本学園の<自由闊達な校風>として今日に受け継がれているものです。
私立学校と公立学校の違いは、私立学校がそれぞれの<建学の精神>を掲げて子弟の教育にあたっていることです。
私たちは、杉浦校祖の<人間の形成こそ教育の本分><自己の得意を伸ばす>という教えは、時代が変わっても不易の価値を持っていると考えます。
私たちは、伝統ある日本学園の<建学の精神>を今日の時代により良く生かすべく、熱意を持って生徒の指導に当たる決意です。その背景には道徳教育があった。
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現在の校歌 私たちが生徒の時から 今日まで歌われてる。
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軟式野球部
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杉浦重剛先生。
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誕生 | |
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別名 |
梅窓、天台道士(号) |
死没 | |
墓地 | |
職業 |
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国籍 |
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代表作 | 『倫理御進講草案』(1936年) |
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サッカー部
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バスケット部
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天照大神が 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を 大八洲に降すときに 三種の神器(鏡・玉・剣)を授けました その時に言われた言葉です 。
これは、私のことだと思って思い出しながら 国づくりに励んでくださいと授けました 三種の神器は、知・仁・勇の3つの徳を表します 。
鏡:は明るく曇りなく万物を照らして正邪曲直を見分けます 知に相当します 善悪黒白を判断します 。
玉:は円満にして温順、慈悲深い人です 仁に相当します 博愛のことです。
剣:は勇気決断を示します 文武の道では鏡が文、剣が武となります。
三種の神器が、知・仁・勇を示していることが お分かりいただけると思います。 中国の「中庸」にも書かれておりますのは 人間の世界の人倫五常である。
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陸上競技部 野球部 バスケット部 サッカー部 柔道部 トライアスロン部
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君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友も 知・仁・勇の3つの徳がないと達成できないのです 。
知はその道を知り仁はその道を示し 勇はそれを実行すること なのです ところで、西洋では 知・情・意 で人間の心を説明しています。
知は事物を知覚すること情は自然の人情でその純粋な形が 仁です
意はことを行おうとする志で 困難に当たっても挫けずたゆまず断行するのが勇です 優秀なる人格の人は完全な知・情・意を持っています 東洋も西洋も同じ考えです 。
知・仁・勇 (西欧では知・情・意) この3つを目的として修養なさってください 過去の天皇では 天智天皇
知 支那の制度、群県制採用 仁徳天皇:仁 民の富めるは朕の富めるなり 神武天皇:
勇 東征の御英断 それぞれ3つの徳を兼ね備えられた天皇たちでした 明治天皇も3つの徳を全てお持ちだった方です 知を磨くには沢山の学問を修得し 古聖賢の言葉を噛み締めるのがいいです。
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中学野球部
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学んで道を進む時には明るい鏡が物を照らすように どんなに複雑なことでも迷わずに、善悪正邪を判断できます 仁は何千万人もの国民の親になりますので、 国民を慈しむ心の情をお持ちになることが一番重要です。
現在、各国が競争状態にあり、むづかしい問題が沢山出てきます こんな時にこそ、勇気を奮って、 逃げたり怖がらずに処理するのです それが、勇です 中国も西洋も3つの徳を大切にしています。
天照大神の三種の神器に託されたお言葉は 深く大きな意味があるのであります 最後に一言申し上げます 倫理はただ口で言えばいいというものではありません 自ら実行して実践するものでなければ実際に役立つことがありません 實践躬行が一番大切です 。
不肖私、至らないことが多く60年以上経ちます しかし、知・仁・勇の気持ちでやってきました 殿下におかれましては、実行されることをお考えください
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日本中学(現日本学園中高男子一貫校)の創設者。杉浦重剛先生に学ぶ。
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昭和天皇が学ばれた杉浦重剛氏の「倫理」を読みましょう。第二として「日章旗」のお話しです。この「倫理」は日本人が引き継いできた帝王学として学ぶことができます。
美しい母校は 今も美しい。かな?
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バレー部
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昭和天皇が学ばれた杉浦重剛氏の「倫理」を読みましょう。第三として「國」の話しです。この「倫理」は日本人が引き継いできた帝王学として学ぶことができます。
今日は杉浦重剛氏の「倫理」 第三として「國」の話です 御進講は1914年、第一次大戦開始の時点です。
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昭和天皇が学ばれた杉浦重剛氏の「倫理」を読みましょう。第四として「兵」の話しです。この「倫理」は日本人が引き継いできた帝王学として学ぶことができます
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昭和天皇が学ばれた杉浦重剛氏の「倫理」を読みましょう。第五として「神社」の話しです。この「倫理」は日本人が引き継いできた帝王学として学ぶことができます。2020/05/02
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今日は杉浦重剛氏の「倫理」 第五として「神社」のお話です 日本の神社は、過去に偉業のあった 天皇・人々を神々として祭っています 仏教とキリスト教の信者は未来の幸福を求めて信仰する ところが、日本は先祖を敬うことだというお話しです では講義に入りましょう。
日本は昔から大小の神社が無数に存在し 八百万の神々をお祭りする国です 天皇家から一般庶民まで神を尊敬する誠意にあふれています 祀られている神様は、天照大神をはじめとして 歴代天皇で徳の高い方々 天皇の臣下で忠孝の手本となるような方々 すなわち、八百万の神々と言うのは結局は天皇と臣下を 祭ったものに過ぎないのであります 。
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「身心清潔見義明決者得稱大日本人」
(身も心も清らかで、筋道の通った正しい行いをし、世界の人と交わっても恥ずかしくない人物となれ) 杉浦重剛先生の言葉
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外国の宗教で仮定的に作られた神仏とは違います 仏教及びキリスト教国民は一般的に 未来の幸福を求めるために信心しています 日本が上から下まで神様を敬う心を持っているのは そのような心では無いのです 現在の自分が、祖先を敬い誠意を尽くす と言うことになります。
既に歴史で学ばれていると思いますが 昔神武天皇がわが国をお作りになったとき 昔まず強い敵を倒し、都を選び、皇后を選び、制度を作り さらに論功行賞を行って国家体制を確立しました 神武天皇になって初めて日本本土を平定して わが国家の体制を立て、天下を統一されたのであります。
その時に神武天皇は先代の方々に鳥見山(とみのやま)に その志を遂げたことを報告されました 鳥見山(とみのやま)の神事は祭祀のありかた・意義として 大変重要なのです 外国の宗教が、地獄極楽を説き その信者は一身に死後の幸福をお祈りします わが国においては未だかつてなかったことです。
西行法師にこんな句があります 「何ごとの御座しますかは知らねども忝さに涙こぼる々」 一人の僧が、心の底から神を敬う気持ちが 溢れているではありませんか もう少し話を進めます 外国では宗教と国家が衝突することがあります。
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バスケット部
柔道部
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サッカー部
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例えば宗教上の主権者たるローマの法王と 政治上の主権者たる皇帝とが長年非常に激しく争ったことです しかしわが国においてはこのような心配とかは全くありませんし 歴史を振り返れば、逆に政治と祭り事が相互に一致するのです わが国の神々は私たちの祖先です。
ですからこれを祭る事は子孫として孝心を尽くすことなのです これを家にたとえますと祖先を祀るという事は 特定の日に祭礼を行うだけでは不十分です 祖先が残した家はその子供たちがよくそれを守り よくそれを拡張すべきなのです 。
そして先祖をお祭りすべきなのです 国においても同じです 祖先が心血を傾けて作り上げた国、これを衰えさせることがあれば、 どうして祖先を祀ることができましょう。 ですからあくまでも奮進努力して、繁栄をさせるべきなのです これはすごくわかりやすい理屈です ですから、わが国は皇室にせよ政府にもせよ 神を祭ることでよく政を行ってきたわけです。
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鉄道部
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ここで祭(まつり)政(まつりごと)が一致するわけです 「まつり」と「まつりごと」は同じ言葉であり 同じ内容なのです それで、政治と信仰が合体して 国運を維持、発展させてきたことを考えるべきです 。
最近多くの人は武士道について語ります 武士道は下から尊ぶべきものであります しかし武士道以前にあってしかも わが国民の精神の根本をなしているのは神を敬う気持ちです 歴代の天皇は政に励み国民のことに 大変心を寄せていらっしゃいました 。
また国民は常に忠勇の心を磨いていました その源となるのが祭政の合一なのです 最後に一言付け加えさせていただきます 神が人に知らせる事は何かと言うことでございます 神の教えは大変幅広いです 神社を見てみましょう。
古くからの樹木(杉など)が天高くそびえ厳粛な雰囲気です 杉は直木(すぎ)、直なのです 神の道の根本も「正直」にあるのです ですから神を祀る人々の心も清潔にして汚れなく 正直なことが大事なのです 心だに誠の道にかないなば いのらずとても神やまもらん 正直の首(こうべ)に神宿る このようなことわざがございます これが、神の道になるわけです
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山岳部
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昭和天皇が学ばれた杉浦重剛氏の「倫理」を読みましょう。第六として「米」の話しです。この「倫理」は日本人が引き継いできた帝王学として学ぶことができます。 2020/05/02
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水泳部
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今日は杉浦重剛氏の「倫理」 第六として「米」のお話です 天照大神は三種の神器とお米を瓊瓊杵尊に授けました ですから日本はみずほの国、全員がお米を食べる 栄養豊富、自給で成り立つ国 そして、経済もお米で成り立っていました 戦争が起こっても食料が欠乏すれば負けてしまう。
この大切さのお話です では、講義に入りましょう 米はわが国で最も歴史の古い穀物です 天照大神が瓊瓊杵尊を大八洲に遣わしたときに 三種の神器と稲穂を持たせました そして大八洲で育ったところ大変よく実りました そして日本の国をみずほの国と言うようになりました 。
歴代の天皇は祖先の心を引き継いで農業を奨励しました。 例えば崇神天皇は池を掘ったり溝を作ったり 堤防を築いたり農業の進歩改良を 全国で行いました ですから作物が取れたときには神様に捧げて 祭を行いました 。
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トライアスロン部
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「神嘗祭」は天皇が新米で作ったお酒とお食事を 伊勢神宮に奉納する祭です 「新嘗祭」は天皇がその年の新米を神に捧げて 自らも召し上がる祭りです とりわけ大嘗會(だいじょうえ)は天皇が ご即位と同時に行なわれる重大な祭です。
天皇が即位された時に最初に 新米を天照大神と他の神々に奉納する祭りです。 このようにわが国は昔から農業を重んじて お米を尊んで国の大本としてきました ですから国民は天皇のことを考え 田を耕して米を作ることに励みました 農作業は大変ですが皆一生懸命励みました。
ですから徳川時代には武士の次は農民でした 農民の苦労によって収穫された米は 国民の生命を支え、精神を養い そして国の経済を支えます 天皇から国民すべてお米で 体を養うだけでなく精神も養っています 経済的か観点から見てみましょう 日本の収穫四千五百万石といたします 一石15円としますと6億7000万円に相当します わが国の産業でこれほど大きなものはありません ですから不作のときには人々が沈んでしまいますし 豊作の時は心豊かに、元気で安心します。
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ゴルフ部
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日本は米によって国が支えられている と言っても過言ではありません 咋今の欧州列国の争いを見ていますと ドイツは12ヶ月で食料が欠乏しています このため軍隊もも国民もともに苦境に陥っています これではたとえ兵士が勇敢でも、戦いの最後の勝利ができません 日本は昔から農業を奨励していることで 国民の食べ物が国内で作れるのは 大変力強いことです。
欧州では米を作っておりませんし アジア諸国では米ができますが日本ほど質が良いものではありません こんな話があります 中国から日本に来た外交官で公使の人が 日本人の弁当を見て量が少ないのに驚きました しかし公使は日本で病気になってしまいました そして有名な漢方医のところに行って診察してもらいました
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硬式テニス部 関東大会出場、都でベスト16入りをめざす。
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漢方医は公使を診察して あなたは中国にいる時と同じものを沢山よ食べている 食べ過ぎですので食べる物を減らしなさいと言いました 。
すると病気はすぐ治りました 米は我が国の宝物です みずほの国の名前の通り 農民が苦労してお米を作っていることを知り 国民がそれを毎日いただいていることは 自然に祖先に感謝を捧げる気持ちになるのです それと同時に国運、国民の心持ちなども 大いに気づくところが多いと思います
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「ブルースター」の花言葉は「幸福な愛」「信じあう心」。
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昭和天皇が学ばれた杉浦重剛氏の「倫理」を読みましょう。第七講として「刀」の話しです。この「倫理」は日本人が引き継いできた帝王学として学ぶことができます。
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★今日は杉浦重剛氏の「倫理」 第七として「刀」のお話です 武士の世界になって「武士道精神」が醸し出されました その精神を発揮するために、刀鍛冶でも名工は 心を込めて名刀を作ってきました このような背景があるので刀は切れ味が良くて、 折れにくく美しいものになりました 明治になって外国人が競って買っていったのです
では、講義に移りましょう 日本人は今まで外国と戦ってきて負けたことがありません これは国民が常に武道を励んできた結果です 大変喜ばしいことです 平安朝の終わりに豪族が出てきて武士が出ました 武士とともに武士道と言う精神的な訓練が行われました。
同時に日本刀の製造法が武士道に沿って行われました すなわち武士たちは最高の刀を作ることを 刀工に依頼したわけです 円融天皇の時代源満仲は朝廷の護衛を命じられ 陸奥剣工 文壽に刀を作らせました。
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陸上競技部
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文壽は精神を集中して名刀を作りました 平家にも小烏(こがらす)という名刀がございます代々伝わり明治時代にも皇室に献納されました さらに歴史を振り返りますと、東宮の宝物に 壺切の剣というのがあります 醍醐天皇が皇太子だった時に宇多天皇から授けられました 代々皇室にも伝わり、立太子の礼で使われます。
このように朝廷も名剣を尊重されますし 武士は剣を自分の精神、霊魂とみなすので 刀剣製造の技術は日進月歩しました 名工をあげますと京都には三条小鍛冶宗近、粟田口吉光 鎌倉には岡崎正宗、
その養子貞宗、門人郷義弘がいます 後世は吉光、正宗、義弘を三作と呼び名刀としました ほかにも、京都、備前にも名工はいました 日本刀の鋭利さは外国には見られません 単に鋭利なだけでなく曲がらず、折れず、 強さと粘り強さを兼ね備えています これが日本刀の誇りです それは刀の製造法が素晴らしく繊細だからです 刀工が刀を作るときには、 まず禊をして神に祈り精神を集中します 。
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ラグビー部
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数十日の間一心不乱に刀を鍛えあげます しかも百本作っても全てが良いものではありません 刀工が良い刀を作るのにどれほど苦心しているかと言うことです 最近まで宮内省の御用係を務めた堀井胤吉は腕のいい刀工でした。
一生独身でした、その理由は 妻子がいると費用がかかりその費用を稼ぐために偽物を作ったりする 自分は独身で納得できる本当の刀を作るためです、
といいました 別の刀工は、刀が武士の魂ならば これを作る我々の精神も鍛えなくてはなりません、といいました このように日本刀を作るには大変な苦労をしているのです ものを見るときに出来上がったものだけ を見ているのでは十分ではありません 。
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沖縄 修学旅行
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これを作るときの苦心がどれほどかを考えて ものを見ると大変奥深く見えてきます このように苦労して日本刀を作っているので、 武家が刀を尊重するだけではなく朝廷でもその苦心をお考えになって 名工には名誉の官位を授けらることもありました 後冷泉天皇の時代 支那の商人が日本の名剣を買って帰りました。
支那人は大変喜んで、当時の高級官僚で文学者の欧陽脩が 「日本刀歌」という長文の詩を書きました 支那人だけでなく明治維新以後は西洋人も大量に刀を購入し 宝物にしていると聞いております 三宮式部長官の時、ある米国人が日本刀を注文したそうです 何に使うのですか?と尋ねたところ 熊を射止めるのには日本刀でなければダメなのです。
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サッカー部 勝利の瞬間
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鋭利でしかも折れず、曲がらずは日本刀だけです 日本刀は世界に比べるものがないほど優れています 日本人もまた世界で孤立しているわけには参りません 非常に切れ味が良く強くて、 粘りがあるこれは日本の武士の特徴です 。
これは決して消える事は無いと信じていますが 欧州の文明と接触が濃くなるにつれて もしかすると急速に衰退してしまうかもしれません 現在日本刀の製造法が忘れられているのと 似ているかもしれません。
これはものすごく気をつけなければならないことです 刀を作ると言うことだけでも 先ほど述べたような大変な苦労があります ましてや人間を鍛えると言うことでは その何倍もの苦労がある事は明白です しかしそれを行った後初めて日本武士の精神を 永遠に伝えることができるのです。
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Heavenly Blue