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先日頼まれた「青春とはの詩」、コロナ騒動で、大変な時を過ごされている人々。「それどころではない時」を多くの人々が過ごされている。
NY医師ローナ・ブリン医師自殺の悲しい報が届く。日本でも、全国の病院や施設で、2か月以上もの疲労や睡眠不足に襲われ、超多忙現場で、奮闘される医師、看護師、医療従事される方々のご苦労は幾ばくかと心配する。如何ともし難く歯がゆい。みなさん なんとか乗り越えて欲しい。
このような状況下で、少しでも希望や明るさを取り戻せばと、青春の詩を。調べました。世界中の人々の励みになれば幸いです。
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一週間遅れで咲き始めた。我が家のクレマチス。2種類ある。今朝撮影。
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青春の詩
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「青春の詩」“Youth” は、ウルマンが★70代で書いた詩★で、
詩集 From the Summit of Years, Four Score に収められた作品のひとつ
“Youth is not a time of life; it is a state of mind”(青春とは人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである)とするこの詩は、日本では「人生の応援歌」として受容されている。
「青春の詩」の流布にはダグラス・マッカーサーが関わっている。マッカーサーは、1940年ころにジョン・W・ルイスからこの詩を贈られたという。この詩を気に入ったマッカーサーは、マニラで、のちには東京でも、執務室の壁に詩のコピーを額に入れて掛け、また講演でもたびたび引用した。
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『リーダーズ・ダイジェスト米国版』1945年12月号は、“How to stay young” という記事において、マッカーサーの執務室にかけられているというこの詩を紹介した。ただし、『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された詩はウルマンのオリジナルの詩ではなく、リライトがされたもので、
“You are as young as your faith, as old as your doubt” 「人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる」などの下りは、リライト部分で付け加えられたものである。
後述のように、日本の経済人らに知られるようになったのも、マッカーサー元帥愛誦の詩であることが伝わったことがきっかけだった。
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去年は4月14日に満開10輪咲いた。今年は5月1日。姉妹が増えている。
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YOUTH – poem by Samuel Ullman (♫ Mozart : Eine Kleine Nachtmusik)
Photo and video by Music13ilove Samuel Ullman (April 13, 1840 — March 21, 1924) was an American businessman, poet, humanitarian.
★モーツアルトを聴きながらなんて とてもいい。
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★ YOUTH ★
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Samuel Ullman Youth is not a time of life;
it is a state of mind;
it is not a matter of rosy cheeks, red lips, and supple knees;
it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of
the emotions;
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it is the freshness of the deep springs of life.
Youth means a temperamantal predominance of courage over
timidity of the appetite, for adventure over love of ease.
This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years.
We grow old by deserting our ideals.
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Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm
wrinkles the soul.
Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns
the spirit back to the dust. Weather sixty or sixteen, there is
in every human being’s heart the lure of wonder, the unfailing
hid like appetite of what’s next, and the joy of the game of living.
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In the center of your heart and my heart there is a wireless station;
so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and
power from men and from the Infinite so long are you young.
When the aerials are down, and your spirit is covered with snows
of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old,
even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch
the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.
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青春
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サミュエル・ウルマン 青春とは、人生のあるひとときではなく、
心のありかたをいう。 ばら色の頬、紅い唇やしなやかな手足ではなく、
強い意志、豊かな想像力、燃える情熱をいう。
青春とは、湧き出でる深い命の泉の清冽さのことをいう。
自分の心の弱さに打ち克つ勇気、 易きに流れる思いをふり捨てる
冒険心、それを青春という。
時には二十歳の青年よりも六十の人に青春はある。
年を重ねただけでは人は老いない。
理想をなくしたとき、はじめて老いる。
歳月は肌にしわを刻むが、 情熱をなくしてしまった
とき魂は枯れ、みずみずしさを失う。
不安や恐れ、失望、自己不信が気力をなえさせ、
精神はちりと化す。 六十であれ十六であれ、
人の心は、未だ見ぬ物事に惹かれ、 幼い子どものように
未知にあこがれ、生きることへの喜びを持っている。
人は誰でも胸の中に無垢な魂を宿している。
そして、その魂が人々から、神から、
美、希望、喜び、勇気、 力を授かる限り、若くあり続ける。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざ
されるとき、 たとえ二十歳であろうと、人は老いる。
志を高くたもち快活さのうねりの波をかろやかにとらえる
ならば、 人はみずみずしさのうちに、生の終わりを迎えら
れるのだ。
(訳:文芸春秋刊「挑戦する英語」より)
Special thanks: Jonathan Lucero, Yuina Kawakami
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致知 随想
(年を取ることは美しい)
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納屋を整理していたら、この雑誌を見つけた。ちょうど青春とは、人生とはをいろいろ走馬灯のように、来し方とこれからに想いを馳せていた。ご一緒に随想を書かれていた人はお元気なのだろうか?? おおおい 皆さん お元気ですが、コロナを乗り越えようと僕もまだ頑張っているぞ~と叫びたい。
致知随想: 六人の方々が寄稿されている。
① キャンパスに命を込めて 女兆 旭燈さん
② 水垢離三千日を終えて 今西恭晟さん
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③ 私のエッセイ「年を取ることは美しい」山元雅信
④ 凡人としての先駆者をめざして 田村 豊さん
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⑤ 岡 潔先生の警鐘を継ぐ 横山賢二さん
⑥ 七つの非常識覆して 岡本三宣さん
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★なんと広告に 中條高徳さんの「おじいちゃん 戦争のことを教えて」を見つけた。この記事が出たころ、伊豆大山の別荘に家人と招かれたことがある。ご馳走までしてくれた。お話は この本を英訳して欲しいと依頼された。留学された立派なお嬢さんがいらっしゃるのに、
なぜ?とお聴きしたら、まだ行間の文字が読めないと思う。なので・・・。光栄なことなので、引き受けさせて頂いた。3分の1ぐらい訳したところで お電話を頂いた。アメリカでは反対?が多く出版中止となった。残念。でもこのご本は、反省を一切しなかったアメリカ人にこそ読んで欲しかった。
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サミュエル・ウルマンの歴史
① (Samuel Ullman, 1840年4月13日 – 1924年3月21日)は、アメリカの実業家・詩人・人道主義者。彼の名は詩 “Youth”(日本では「青春」あるいは「青春の詩」と訳される)でよく知られている。
② 1840年、ドイツ・ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン公国(Hohenzollern-Hechingen)のヘヒンゲン(現在はバーデン=ヴュルテンベルク州テュービンゲン行政管区ツォレルンアルプ郡に属する町)において、ユダヤ人の両親のもと生まれる。ウルマンの一家は1851年にアメリカに移住し、ミシシッピ州ポートギブソン(Port Gibson, Mississippi)に定住した。
③ 1861年に南北戦争が勃発すると、ウルマンはアメリカ連合国陸軍(南軍)に兵士として従軍するが翌年に除隊。1865年にミシシッピ州ナチェズに移り住んだ。ウルマンはここで商売をはじめ、1867年にエマ・メイヤー (Emma Mayer) と結婚した。夫妻の間には8人の子が生まれ、6人が成長した。また、ウルマンは市会議員を務め、また地元の教育委員会の委員となった。
④ 1884年、ウルマンの一家はアラバマ州バーミングハムに移住。自治体として設立されて間もないこの若い町で、ウルマンは金物の小売店をはじめ、続いて不動産業も兼営した。ナチェズで商業や教育に指導的な役割を果たしたことは知られており、1884年にはバーミングハム市教育委員会の委員に選出、1893年には委員長となった。
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⑤ 18年間の教育委員在任中(教育委員在任は1900年までとする記述もある)、彼は黒人教育に関心を寄せ、黒人にも白人と同じ教育を行うことが教育的にもプラスになると主張した。
⑥ このほか、病院の設立など、ウルマンは多くの地域社会活動に携わった。市のユダヤ教改革派のエマヌエル教会において、信徒団の長を務め、1890年にはレイラビ(lay rabbi, 精神指導者、在俗のラビ)になっている。ナチェズやバーミングハムにおける宗教的・教育的・社会的活動は、しばしば議論を招いたものの、敬意を払われる足跡を残した。
⑦ ウルマンは引退後、多くの時間を趣味(手紙やエッセイや詩の執筆)に注いだ。彼の詩や詩的なエッセイは、愛、自然、信仰、あわただしいライフスタイルの友人、そして「若く」生きることといった、さまざまな題材を扱っている。1920年4月、80歳の誕生日を記念して、それまでに書き溜められた詩を集め From the Summit of Years, Four Score『80年の歳月の頂から』が家族の手によって自費出版される(出版年については1922年とも)。1924年、アラバマ州バーミングハムにおいて死去。
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学生の頃から「20歳の80歳」もいれば「80歳の20歳」もいると聴いていた。24歳の時、父親を亡くし人生が儚くなった。50歳の頃「父親が54歳で他界」を思い出し、そろそろかと老けた。21歳も長く生きている。ここまで来たら、あと10年。その時には「あと10年」と頑張ってみよう。
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日本での流布
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① 日本では岡田義夫(1891年 – 1968年)の訳が広まっている。岡田は羊毛工業界に足跡を残し、山形大学や群馬大学でも教鞭を取った人物であるが、『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された “Youth” に感銘して翻訳した。岡田の翻訳は私的なもので、自らの座右の銘として自室の壁に貼っただけであるが、友人(東京高等工業学校での同窓生)の森平三郎(1891年 – 1960年。1945年当時は米沢専門学校校長、のち山形大学学長)が岡田を訪ねた際にこれを見て話を聞き、岡田の訳詩を書き写した。
② その後退官して群馬に帰郷した森は、1958年に群馬県桐生市の地方紙『東毛毎夕新聞』でコラムを掲載した際、友人岡田の訳としてこの詩を紹介し、これによって岡田訳が世に出ることとなった[。その後、詩は広がったが、作者(原作者・翻訳者)の情報は不明になったようである。1965年、この詩に感銘を受けた宮澤次郎(凸版印刷常務、トッパン・ムーア社長)はこの詩の作者を追求し、原文を入手して原作者がサミュエル・ウルマンであることを明らかにした。
翻訳者はその後も長らく不明のままであり(翻訳者が松永安左エ門
に帰されることもある)、宮澤が岡田義夫にたどりついたのは
1985年のことであった。
③ この詩は多くの企業人によって愛誦され、普及された。1982年に宇野収(東洋紡績社長)が日本経済新聞で「青春の詩」の一節を紹介、1986年には作山宗久との共著で『「青春」という名の詩 幻の詩人サムエル・ウルマン』を
刊行し、ウルマンの名を知らしめた。また、翻訳者岡田を明らかにした宮澤は1985年に「青春の会」を組織、「青春の詩」の普及に努めた。
「青春の会」は2000年、前年の宮澤の死を受けて解散した。後継組織として★「新青春の会」★が組織されている。
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★日本においては、以下の場所に「青春の詩」の詩碑がある。
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① 山形大学米沢キャンパス(山形県米沢市) – 岡田義夫と森平三郎が教鞭をとった。1990年、同窓会組織「友諒会」により建立された。
② DNタワー21(旧第一生命館)マッカーサー記念室(東京都千代田区) – 1995年制作
③ 前橋文学館前(群馬県前橋市) – 前橋市はバーミングハム市と友好都市。1998年建立
④ 群馬大学工学部校庭(群馬県桐生市) – 岡田義夫が教鞭をとった。同窓会組織「群馬大学工業会」により1990年建立。
⑤ 蕨城址公園(埼玉県蕨市) -「青春の碑」。 蕨市は岡田義夫の出身地[10]。1993年建立。隣に「成年式発祥の地」碑が立つ。
★備考★
岡田義夫訳については、「新青春の会」が著作権の管理・保全に当たっている。『リーダーズ・ダイジェスト』版を基にした別バージョンも流布している。ウルマンの原詩をもとにした訳は作山宗久などが挙げられる。新井満は「自由訳」として翻案を行っている。
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★ 顕 彰 ★
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