小学5年生の頃。「第二次世界戦争をどう考えるかで、生き方が変わってくるらしい?」と生意気な質問を親父に投げかけたことがある。親父は 寂しそうな顔をして、「あんなに大勢の仲間が死んだのに・・・」と一言。黙りこくってしまった。たぶん戦友の顔を思い浮かべていたのだと 今思う。
日本人は悪魔だみたいな「自虐史観」を植え付けられて今でも 申し訳ないとひっそりと、なんでも外部からの押し付けは、すべて 「はい、判りました」とあっさり受けてしまう習性も未だに持ち続けている。
別に平和憲法だけのしばりではない。War Guilt Information Programの Press Code for Japan これが 今でも生きていて呪縛から解けない。悪用されているとしか思えない。覇権を握る国々の横暴はづっと続いている。アメリカの年次要望書で日本の資金は、経済はどんどん乗っ取られているのは ご承知の通り。 歴史の真実は、後から発覚するので始末に負えない。
一つづつ、丁寧に、きちんと解決して行きたい。私たちの世代で 終わりにしたい。強く思う。
世界的な情報が簡単にyoutubeで見れる世の中。報道されない海外の情報を見ながら 検証を繰り返せば 避けることも出来ると思う。学生時代の頃、毛沢東に憧れて毛沢東の著作を読みふけっていた。憧れた。だが当時既に、チベットに勝手に侵攻していた。東トルキスタンも
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SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
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極東国際軍事裁判批判
- GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判《修正:2018年4月26日、江藤氏原訳「
- GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」を英文原文に従い修正。修正根拠は記載のアメリカ国立公文書館の典拠文書の記述に拠る。(細谷清)》
- 検閲制度への言及
- アメリカ合衆国への批判
- ロシア(ソ連邦)への批判
- 英国への批判 7. 朝鮮人への批判
- 中国への批判
- その他の連合国への批判
- 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
- 満州における日本人取り扱いについての批判
- 連合国の戦前の政策に対する批判
- 第三次世界大戦への言及
- 冷戦に関する言及
- 戦争擁護の宣伝
- 神国日本の宣伝
- 軍国主義の宣伝
- ナショナリズムの宣伝
- 大東亜共栄圏の宣伝
- その他の宣伝
- 戦争犯罪人の正当化および擁護
- 占領軍兵士と日本女性との交渉
- 闇市の状況
- 占領軍軍隊に対する批判
- 飢餓の誇張
- 暴力と不穏の行動の煽動
- 虚偽の報道
- GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
- 解禁されていない報道の公表
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111. 日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】
チャンネル登録 6696
222.【恥ずべき最後通牒ハル・ノート】への批判ハミルトン・フィッシュ
89,805 回視聴 JPNFKKTU 2013/08/30 チャンネル登録 803
333. 東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実
244,107 回視聴 810cojp 2013/05/20 チャンネル登録 4.1万
444. 広島・長崎に原爆を落した本当の訳
212,582 回視聴 mirai2012 2013/08/12
チャンネル登録 4719 さてはてメモ帳 Imagine & Think!より http://satehate.exblog.jp/15556259/
555. なぜ日本は戦争を始めたのか?─学校が教えてくれない戦争の真実
193,032 回視聴 810cojp 2015/11/26 チャンネル登録 4.1万
666. あの戦争は何だったのか 前
「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の冒頭には、「CIS局長と、CI&E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである。」とある[27]。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについて江藤は、その嚆矢である太平洋戦争史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析[27]。また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している[27]。
また、「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている[27]。
“WGIP”を主に担当したのはGHQの民間情報教育局 (CIE) で、“WGIP”の内容はすべてCIEの機能に含まれている[28][29]。当初はCIEに“War Guilt & Anti-Millitarist”(これまで「戦犯・反軍国主義」と訳されてきた)[30][31]、あるいは“War Guilt & Criminal”[32]という名称の下部組織(後に「課」)が置かれていた(1945年11月の組織改編で消滅)。
“WGIP”は「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、検閲などのような「何を伝えさせないか」という消極的な政策と表裏一体の関係であり、後者の例としてプレスコードが代表的である。1946年(昭和21年)11月末にすでに「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として「SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判」など30項目に及ぶ検閲指針がまとめられていたことが、米国立公文書館分室所在の資料によって明らかである[33]。プランゲ文庫保存のタイプコピーには、多少の違いがあるが同様の検閲指針として具体的内容が挙げられている。
「プレスコード」
777. あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機
発想の由来[編集]
八路軍と日本共産党[編集]
2014年7月、イギリス国立公文書館が所蔵する英国内のスパイ摘発や国家機密漏洩阻止などの防諜を担うMI5などの秘密文書のうち、「共産主義者とその共感者」と名付けられたカテゴリーに「ノーマン・ファイル」(分類番号KV2/3261)があることが公表され、戦後に日本でGHQの通訳をして日本共産党を支援していたエドガートン・ハーバート・ノーマンについてガイ・リッデルMI5副長官からカナダ連邦騎馬警察(RCMP)ニコルソン長官に宛てた1951年10月9日付の書簡内で「イギリス共産党に深く関係していたことは疑いようがない」と共産主義者のスパイだと記されていたが明らかになっている。さらに同ファイルには、GHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官だった米国外交官、ジョン・エマーソンがノーマンの共産主義者疑惑に関連して米上院国内治安小委員会で証言した記録が含まれており、その中で、軍国主義者と国民を二分化することで日本国民に戦争に対する贖罪意識を植え付け、連合国への戦争責任批判を回避するために対日工作として行なったウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、中国・延安で毛沢東と周恩来率いる中国共産党が野坂参三[34]元日本共産党議長が主導する日本人共産党組織を通じて1938年に開発した日本軍捕虜に行なった思想改造のための二分法という心理戦(洗脳)の手法を参考にしていたことが判明している。産経新聞は「GHQ工作 贖罪意識植え付け 中共の日本捕虜「洗脳」が原点 英公文書館所蔵の秘密文書で判明」という記事にて「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」は現在に至るまで日本人の歴史観に大きな影響を与えていると主張している。 八路軍の対日心理戦を学ぼうと延安に1944年7月22日から11月まで滞在したアメリカ軍事視察団en:Dixie Mission(団長:en:David D. Barrett大佐)が野坂などから教えてもらった日本人捕虜へ上記の二分法による洗脳手法を取り入れて作成した延安レポートに基づいて占領後の日本で行った事実を証言していたことが明らかになった。野坂を校長とした日本労農学校[35]という洗脳教育の場や第二学校という洗脳に従わないなど洗脳に表向きも従わない者への捕虜収容所である第二学校などを運営されていたことや洗脳方法が確立する1938年までは日本人捕虜を殺害していた事実も教えられている[36][37][38]。
経緯[編集]
1945年(昭和20年)7月26日に発せられたポツダム宣言の第6項には「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」と記されており[39]、8月14日に日本政府はこの宣言を受諾した。
9月22日の降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針で米国はマッカーサーに対し「日本国国民ニ対シテハ其ノ現在及将来ノ苦境招来ニ関シ陸海軍指導者及其ノ協力者ガ為シタル役割ヲ徹底的ニ知ラシムル為一切ノ努力ガ為サルベシ」と指令した。
GHQは1945年10月2日、一般命令第四号に於いて「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」と勧告した[40]。
米国政府は連合国軍最高司令官に対し11月3日、日本占領及び管理のための降伏後における初期の基本的指令を発し「貴官は、適当な方法をもって、日本人民の全階層に対しその敗北の事実を明瞭にしなければならない。彼らの苦痛と敗北は、日本の不法にして無責任な侵略行為によってもたらされたものであるということ、また日本人の生活と諸制度から軍国主義が除去されたとき初めて日本は国際社会へ参加することが許されるものであるということを彼らに対して認識させなければならない。彼らが他国民の権利と日本の国際義務を尊重する非軍国主義的で民主主義的な日本を発展させるものと期待されているということを彼らに知らせなければならない。貴官は、日本の軍事占領は、連合国の利益のため行われるものであり、日本の侵略能力と戦力を破壊するため、また日本に禍をもたらした軍国主義と軍国主義的諸制度を除去するために必要なものであるということを明瞭にしてやらなければならない。(下略)」と命令した[41]。
同12月8日、GHQは新聞社に対し用紙を特配し、日本軍の残虐行為を強調した「太平洋戦争史」を連載させた。その前書は次の文言で始まる。「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に遑(いとま)がないほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されてゐるものの、その多くは未だ白日の下に曝されてをらず、時のたつに従つて次々に動かすことの出来ぬ明瞭な資料によつて発表されて行くことにならう。(下略)」[42][27]
それと平行し、GHQは翌9日からNHKのラジオを利用して「真相はかうだ」[43]の放送を開始した。番組はその後、「真相箱」等へ名称や体裁を変えつつ続行された。1948年(昭和23年)以降番組は民間情報教育局 (CIE) の指示によりキャンペーンを行うインフォメーション・アワーへ[44]と変った[45]。
1945年(昭和20年)12月15日、GHQは神道指令を発すると共に、以後検閲によって「大東亜戦争」という文言を強制的に全て「太平洋戦争」へと書換えさせ言論を統制した。当時、米軍検閲官が開封した私信(江藤は「戦地にいる肉親への郵便」かという)は次のような文言で埋めつくされていた。
「突然のことなので驚いております。政府がいくら最悪の事態になったといっても、聖戦完遂を誓った以上は犬死はしたくありません。敵は人道主義、国際主義などと唱えていますが、日本人に対してしたあの所業はどうでしょうか。数知れぬ戦争犠牲者のことを思ってほしいと思います。憎しみを感じないわけにはいきません」(8月16日付)
「大東亜戦争がみじめな結末を迎えたのは御承知の通りです。通学の途中にも、他の場所でも、あの憎い米兵の姿を見かけなければならなくなりました。今日の午後には、米兵が何人か学校の近くの床屋にはいっていました。/米兵は学校にもやって来て、教室を見まわって行きました。何ていやな奴等でしょう! ぼくたち子供ですら、怒りを感じます。戦死した兵隊さんがこの光景を見たら、どんな気持がするでしょうか」(9月29日付)
江藤は、「ここで注目すべきは、当時の日本人が戦争と敗戦の悲惨さをもたらしたのが、自らの「邪悪」さとは考えていなかったという事実である。/「数知れぬ戦争犠牲者は、日本の「邪悪」さの故に生れたのではなく、「敵」、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。「憎しみ」を感ずべき相手は日本政府や日本軍であるよりは、先ずもって当の殺戮者、破壊者でなくてはならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。」と主張した[46]。
GHQ文書(月報)には敗戦直後の様子が記されていた。「占領軍が東京入したとき、日本人の間に戦争贖罪意識は全くといっていいほど存在しなかった。(略)日本の敗北は単に産業と科学の劣性と原爆のゆえであるという信念が行きわたっていた」[47]
こうした日本人の国民感情はその後もしばらく続き、CIEの文書はG-2(CIS)隷下の民間検閲支隊 (CCD) の情報によれば昭和23年になっても「依然として日本人の心に、占領者の望むようなかたちで「ウォー・ギルト」が定着してなかった」有力な証拠である、また、このプログラムが以後正確に東京裁判などの節目々々の時期に合わせて展開していった事実は看過できないとも江藤は主張した[48]。
東京裁判で東條英機による陳述があったその2か月後、民間情報教育局 (CIE) は世論の動向に関して次のような分析を行っている。
「一部日本人の中には(中略)東條は確信を持つて主張した、彼の勇気を日本国民は称賛すべきだとする感情が高まつてゐる。これは、東條を処刑する段になると東條の殉教といふところまで拡大する恐れがある。」「広島における原子爆弾の使用を『残虐行為』と見做す・・・最近の傾向」(1948年(昭和23年)3月3日附CIE局長宛覚書)
こうした国民の機運の醸成に対しCIE局長は6月19日、民間諜報局 (CIS) の同意を得た上で、プログラムに第三段階を加える手筈を整え、情報宣伝に於ける対抗処置を取った[49]。
実例[編集]
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1945年(昭和20年)12月8日から、「太平洋戦争史」を全国の新聞に掲載させた[27]。
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「太平洋戦争史」は新聞連載終了後、中屋健弌訳で翌年高山書院から刊行された(発行日は4月5日と6月10日の2回)。
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1945年(昭和20年)12月15日 – GHQ、覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ニ関スル件」(いわゆる「神道指令」)[50]によって、公文書で「大東亜戦争」という用語の使用を禁止。
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1945年(昭和20年)12月31日 – GHQ、覚書「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」[51]によって、修身・国史・地理の授業停止と教科書の回収、教科書の改訂を指令。
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1945年(昭和20年)12月9日から、「真相はかうだ」をラジオで放送させた。
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極東国際軍事裁判[27]
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1949年(昭和24年)2月、長崎の鐘にマニラの悲劇を特別附録として挿入させる。
論評など[編集]
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『産経新聞』は次のように論じている。
占領期に連合国軍総司令部 (GHQ) が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムと同義)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている。(中略)文芸評論家の江藤淳は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。
~「いったんこの(GHQの)検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る」~
1999年(平成11年)7月21日に自死した江藤の「予言」は、不幸にも現実のものとなろうとしている[55]。
高橋史朗明星大教授は、「東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし戦争贖罪意識を植えつけることであり、いわば日本人への『マインドコントロール計画』だった」と論じている[56]。
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有山輝雄は、『閉された言語空間』の新刊紹介で、第一次資料によって占領軍の検閲を明らかにした先駆的研究であるとしながらも「著者の主張に結びつけるための強引な資料解釈も随所に見受けられる。また、占領軍の検閲に様々な悪の根源を押しつける悪玉善玉史観になっているが、これは現在の政治状況・思想状況への著者の戦術なのであろう」と評した[57]。
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山本武利は、江藤の占領研究について、占領軍の検閲方針を示した第一次資料をGHQ関係資料によって検証した先駆的な仕事であると評価した[58]。Robert Jacobsによれば、江藤の著書の重要性を認めながらも山本は1996年の『占領期メディア分析』で江藤に反論し、降伏以前に日本当局による検閲が横行していた反面、米国による検閲に対しては日本の左翼が抵抗したという事実を江藤は無視したと山本は指摘した[59]。
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日本基督教団の手束正昭牧師は、2007年 – 2009年のキリスト教系月刊誌『ハーザー』の連載記事で、大東亜戦争における日本悪玉論はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの洗脳によるものであるとの見解を発表し、日本悪玉論が日本の宣教を妨げると主張している[要出典]。
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秦郁彦は、江藤の「歴史記述のパラダイム規定…言語空間を限定し、かつ閉鎖した」や高橋の「日本人のマインドコントロール計画」などの主張に対して「果たしてそんな大それたものか」「江藤の論調は必然的に反米思想に行きつく」と否定している[60]。秦は米留学中の江藤の体験談を引用しながら、江藤が「日米関係にひそむ『甘えの構造』に早くから気づ」いており「それを最大限に利用していたよう」だと指摘。江藤の論は「アメリカ製の公文書を引き合いに、陰謀の『証拠固め』に乗り出した」「相手が中国や朝鮮半島であれば厄介な紛争を招きかねないが、アメリカなら聞き流すか笑いにまぎらすだけ」の「陰謀説」であり、このような「(日米の協調と同盟の関係を)対米従属と見なし、『甘えても怒られない』(怒ってくれない)のを承知の上で反発する論調」は今後も絶えないだろうと述べている[60]
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経緯[編集]
新聞報道取締方針(SCAPIN-16)[編集]
プレスコード通達に先立って昭和20年(1945年)9月10日に「新聞報道取締方針[8]」「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16) [9]が発せられ、言論の自由はGHQ及び連合国批判にならずまた大東亜戦争の被害に言及しない制限付きで奨励された、GHQ及び連合国批判にならず世界の平和愛好的なるものは奨励とされた。
朝日新聞の1945年9月15日付記事と9月17日付の2つの記事について[10]、9月18日に朝日新聞社は2日間の業務停止命令 (SCAPIN-34) [11]を受けた。これはGHQによる検閲、言論統制の始まりであった。9月15日付記事では「“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」といった鳩山一郎の談話が掲載され、9月17日付記事では「求めたい軍の釈明・“比島の暴行”発表へ国民の声」の見出しで「ほとんど全部の日本人が異口同音にいってゐる事は、かかる暴虐は信じられないといふ言葉である」という内容の記事[12]が掲載されていた[13]。
プレスコード(日本に与うる新聞遵則)(SCAPIN-33)[編集]
昭和20年(1945年)9月19日に、SCAPIN-33(最高司令官指令第33号)「Press Code For Japan(日本に与うる新聞遵則)」が最高司令官(D.MacArthur)の名前で通達された。実施者は米太平洋陸軍総司令部民事検閲部。
検閲は連合国軍最高司令官総司令部参謀部のうち情報担当のG-2(参謀2部)所管下の民間検閲支隊(CCD。Civil Censorship Detachment)によって実施された。
1948(昭和23)年には、GHQの検閲スタッフは370名、日本人嘱託5700名がいた[14]。新聞記事の紙面すべてがチェックされ、その数は新聞記事だけで一日約5000本以上であった[14][15]。
内容[編集]
連合軍最高司令官は日本に言論の自由を確立せんが為茲に日本出版法を発布す。本出版法は言論を拘束するものに非ず寧ろ日本の諸刊行物に対し言論の自由に関し其の責任と意義とを育成せんとするを目的とす。特に報道の真実と宣伝の除去とを以て其の趣旨とす。本出版法は啻(ただ)に日本に於ける凡ゆる新聞の報道論説及び広告のみならず、その他諸般の刊行物にも亦之を適用す。
- 報道は絶対に真実に即すること
- 直接又は間接に公安を害するようなものを掲載してはならない
- 連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならない
- 連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、又は軍に対し不信又は憤激を招くような記事は一切掲載してはならない
- 連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載し又は論議してはならない
- 報道記事は事実に即し、筆者の意見は一切加えてはならない
- 報道記事は宣伝目的の色を着けてはならない
- 宣伝の強化拡大のために報道記事中の些細な事項を強調してはならない
- 報道記事は関係事項や細目を省略する事で内容を歪曲してはならない
- 新聞の編輯に当り、何らかの宣伝方針を確立し若しくは発展させる為の目的で、記事を不当に軽く扱ってはならない
削除および発行禁止対象のカテゴリー(30項目)[編集]
江藤淳の調査によって、アメリカ国立公文書館分室の資料番号RG331,Box No.8568にA Brief Explanation of the Categories of Deletions and Suppressions,dated 25 November,1946が保管されていたことがわかった[17]。この「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」において次のような具体的な検閲の対象カテゴリーが30項目も規定されていた[18]。検閲では以下に該当しているか否かが調べられた。
- SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
- 極東国際軍事裁判批判
- GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判《修正:2018年4月26日、江藤氏原訳「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」を英文原文に従い修正。修正根拠は記載のアメリカ国立公文書館の典拠文書の記述に拠る。(細谷清)》
- 検閲制度への言及
- アメリカ合衆国への批判
- ロシア(ソ連邦)への批判
- 英国への批判
- 朝鮮人への批判
- 中国への批判
- その他の連合国への批判
- 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
- 満州における日本人取り扱いについての批判
- 連合国の戦前の政策に対する批判
- 第三次世界大戦への言及
- 冷戦に関する言及
- 戦争擁護の宣伝
- 神国日本の宣伝
- 軍国主義の宣伝
- ナショナリズムの宣伝
- 大東亜共栄圏の宣伝
- その他の宣伝
- 戦争犯罪人の正当化および擁護
- 占領軍兵士と日本女性との交渉
- 闇市の状況
- 占領軍軍隊に対する批判
- 飢餓の誇張
- 暴力と不穏の行動の煽動
- 虚偽の報道
- GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
- 解禁されていない報道の公表
検閲の結果[編集]
民間検閲支隊(CCD)はさらに10月1日には「進駐米軍の暴行・世界の平和建設を妨げん」という論説を掲載した東洋経済新報9月29日号を押収した[19]。この記事は石橋湛山によって執筆されたものだった[20]。村上義人は、これ以降、プレスコードの規定のため、占領軍将兵の犯罪自体が報道されず、各メディアは「大きな男」と暗に仄めかさざるを得なかったと発言している[21]。
また、一般市民の手紙・私信のうち月400万通が開封され、検閲をうけていた[22]。さらに電信や電話も盗聴された[22]。
江藤淳はGHQによる言論統制についての著書『閉ざされた言語空間』のなかで次のように指摘している[23]。
削除・発禁処分の事例[編集]
戦前・戦中の欧米の植民地支配についての研究書など7769冊に及ぶ書物が官公庁、図書館、書店などから「没収宣伝用刊行物」として没収され、廃棄された[24][25]。
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原爆関連
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雑誌『創元』1946年12月創刊号に掲載予定だった吉田満による戦記文学『戦艦大和ノ最期』はGHQの検閲で全文削除された。独立回復後の1952年に創元社から出版。
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川路柳虹の詩「かへる霊」[26]
脚註[編集]
- ^ 江藤1994,p193
- ^ a b c SCAPIN-33: PRESS CODE FOR JAPAN 1945/09/19 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 江藤1994,p193
- ^ 江藤1994,p193
- ^ SCAPIN-43: RADIO CODE FOR JAPAN 1945/09/22 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 江藤1994,p193
- ^ 江藤1994,p195
- ^ 江藤1994,p171
- ^ SCAPIN-16: FREEDOM OF PRESS AND SPEECH 1945/09/10 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 江藤1994,p187
- ^ SCAPIN-34: SUSPENSION OF TOKYO NEWSPAPER ASAHI SHIMBUN 1945/09/18 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 日本ジャーナリスト会議 広島支部 資料室
- ^ 江藤1994,p187-8
- ^ a b 日本メディア検閲史(下) 静岡県立大学国際関係学部教授前坂俊之。山口功二他編『(新版)メディア学の現在』世界思想社 2001 年所収。
- ^ 高桑幸吉『マッカーサーの新聞検 閲』読売新聞社、1984年、p10
- ^ 江藤1994,p193
- ^ 江藤1994,p237-241.p243注31
- ^ 江藤1994,p237-241.
- ^ 江藤1994,p189
- ^ 江藤1994,p192
- ^ 村上義人「手拭いの旗 暁の風に翻る」福音館日曜日文庫より 著者の見聞に基づく
- ^ a b [1]伊勢雅臣、Japan On the Globe (98)国際派日本人養成講座平成11(1999)年7月31日1号
- ^ 江藤1994,p241-2
- ^ 西尾幹二『GHQ焚書図書開封』徳間書店2008。p.17
- ^ 占領史研究会『GHQに没収された本―総目録』サワズ出版2005
- ^ 江藤淳『一九四六年憲法-その拘束』文春文庫1995年
参考文献[編集]
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江藤淳 『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』 文藝春秋、1989年8月。ISBN 4-16-343520-4。
-
江藤淳 『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』 文藝春秋〈文春文庫〉、1994年1月。ISBN 4-16-736608-8。
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