渡航禁止 退避勧告。外務省の安全度基準のレベル4。戦争ジャーナリストだからものともしないと思う。命の危険を犯して渡航するのだから 大変な決意と思う。自己責任論については 賛否両論がある。英雄視する人、反発する人。色々だ。今後も起こることだろうから 様々な意見をしっかり聴いて、学んでおこうと考えた。
だが、記者会見での安田さんの「淡々と言葉を選びながら語る姿勢」を見ている内に 少しづつ、彼自身よりも 自分はどうなんだ? 自分のミッションは 現在の世の中で、生きる一人の人間として どうなんだ?」と自問自答が始まっていた。それまでは、戦争ジャーナリスト、フリージャーナリストの在り方について、様々な方々の意見に、耳を傾けていた。
★パレスチナの有名な村にやって来て 一緒に パレスチナの要人の皆さんと
村の人々の交流を楽しませて頂いた。ワリードシアム大使のお顔が 右から
3人目に見つけた。 私は日本国旗を パレスチナの人々と踊りながら 振り
回していた。日本の鶴のカタチが 現れた。偶然か必然か??不思議だ。
写真を撮ってくれたのは 岩崎さんだ。ひたすら こちらに目を
向けている人が 印象的だ。
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★ さあ、お話を聴いている内に
新たな 勇気と希望が湧いてきた。重い腰をあげて、もう一度 自分のミッション、仲間とのミッションを反芻する。 しっかり認識して 闘志を燃やすんだ! 何のために生まれて来たのか? 私には 有難いことに、家族に恵まれて有難く思う 。「感謝の念」が ふつふつと湧き上がってくる。もう一度 人生に真摯に向き合おう。おかげ様で、幸い、心身共に元気を感じる。
★安田さんへの記者からの質問「シリア内戦について あまり伝えられていない現状をどう思うのか?」に対して 「何が起きているのか? この先 どうすべきなのか?というところまで 関心を持ち続けたい」と訴えたそうだ。このやり取りで 意を強くした。勇気が湧いて来た。
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★ところで 失念していたが、安田さんとは 2014年の時にFBで繋がっていた。ご帰国された翌日。安田さんが FBに戻って来てFBを使い始めた時に 音がしたのでリンクしていたことを思い出した。「ご帰国おめでとうございます」というメッセージを送った。お返事を待っているところ。
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★備考: 自分の活動を振り返ってみた。そして今やろうとしていることの検証。まず思い浮かべたのは
2011年にイスラエルとパレスチナ両大使との対談が 起点になっている。
① 2003年9月 駐日パレスチナ常駐総代表部The Permanent General Mission of Palestine. in Japanが
新たに設置され、着任された大使/常駐総代表:ワリード・シアム 閣下
H.E. Mr. Waleed SIAM, Ambassador, Representative of the Permanent General Mission of Palestine
② 2008年にイスラエル大使として着任された
The then H.E. Mr.Nisim Ben-Shitrit, Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of the State of Israel to Japan.
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パレスチナ大使のワリード・シアムさんと知り合って、15年、となる。イスラエル大使ベンシトリットさんは
その後 ご帰国され 外務次官になられた。それぞれの大使には個別ンタビューや 山元学校でのご講演を通じて
民間人として 出来るだけ両国が平和に助け合える形が作れないかと模索し続けてきた。で その結果:
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一番印象的だったのは 最後のJapan Missionのことだった。
(2)大学生たちも10人ぐらい。その時、ビリン村だったか、村の入り口を見て欲しい、30分ぐらいの寄り道ですという。「ベツレヘムと死海」に、その日は、行くところだったが、30分ぐらいならと寄り道を了承した。
(3)ところが バスを走らせて、1時間たっても着かない。パレスチナ側の女性は、村の入り口までと言っていたがどんどん村らしきものが見えても 構わずバスを走らせた。見ていると行く先に、白煙が上がっている。
(4)いやなことを思い出した。前年に「ジェリコ市のはずれでまで、デモ」に付き合った。イスラエル兵士が待ち構えていて、催涙弾をぼんぼん撃って来た。当時も催涙弾の煙でやられた仲間が何人も。今回はもっと酷く催涙弾でやられた。すぐに病院に入った人、帰国しても後遺症で寝込んだ人色々だ。
(5)この折、もうガザ地区で両国が戦争を始めていた。結局 ホテルに帰って、学生たちやメンバーを無事に返す為に、悩んだ結果、パレスチナ側のバスをキャンセルした。でイスラエル側のバスをチャーターしたが、自室で思案した。わずか、2,3分だが結論を下して廊下に出たら、「どうしたのですか、髪の毛が真っ白になっています!」と言う。え?? 数分苦慮しただけだが、なんと髪の毛が 真っ白になっていた。この経験を良く思い出す。慎重に対応しなければ!とか 独自に夢は諦めない!とも。
(6)私のミッションは違った形にある。それに素直に従おうと思う。山元学校を通じて、日本の若者たちに「一隅を照らす」ことや、「環境活動」や「平和活動」に取り組むことが「本来のミッション」だ。日本では、毎日のテレビを見ていると、問題が山積みで、やるべき大切なことが、沢山あるなあと思う。シリアが平和になったら、それからシリアには、本格的に具体的に貢献したい。
(7)シリアは、平和になって落ち着いてからでも十分、貢献できると考えた。そんな思いをしながら、次の映像を見ていたので、色々な想いが錯綜する。良し悪しは 別として、私は 戦争ジャーナリストには、絶対になれないと改めて痛感した。
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★しばらくは 色々思い悩むことが多く、両国には行けなかったが Japan Missionのメンバーは その後 それぞれ現地を訪ねて一生懸命それぞれの国との交流を深めていて ほっとしている。
★私も その後 個人的に小さな集まりで 両国を何度か 訪問している。ジェリコ市の農業工業団地(平和と繁栄のための回廊プロジェクト)(日本政府 麻生大臣が始められたプロジェクト)に日本の旗を揚げたい。日本国旗が立つと その周りは平和になるとの根強い伝説があるからだ。それをなんとか実現したいとの意欲が 高まって来た。
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日本大使には 大変 お世話になった。懐かしい。またお訪ねしたい。
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★JICAの協力 パレスチナ編 ~廃棄物がきちんと
収集される街を広げる~ JICAchannel1 2016/06/20
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JICAの協力 ヨルダン編 ~パレスチナ難民の
生計向上支援~ JICAchannel1 2016/06/20 登録 2537
★新しい現地に相応しい商品を見つけた。実現するぞ!!と静かに一人闘志を燃やしている。
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★★パレスチナの大使に示唆されて、図らずも、その後は★シリア問題★に
力を注いで来て、今日に至っている。
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★シリアのこと。
(1)2か月前の9月6日~9月15日まで シリア政府観光地の視察とフォーラムに招待された。シリアは外務省の安全情報は最悪の「レバル4」渡航禁止、退避勧告が出ているところ。シリアとの交流は 大使との対談や交流が4年続いていて インタビューの本も間もなく完成する。下記の写真は シリア大使館で ワリフハラビ代理大使を囲む勉強会。何度も開催してきた。
(シリア日本友好議員連盟の復活を祝う会)六本木ヒルズ プレジデント倶楽部
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(5)★環境大臣になられた原田義昭先生にお願いして 友好議員連盟も新しく立ち上げて頂いた。
★Syria Japan 友好議員連盟復活 祝賀会 17/7/27@六本木 投稿日: Celebration of Syrian Japan Friendship Leagu e Association (revived) at Roppongi Hills President Club on 27th July, 2017
1年前の六本木プレジデント倶楽部での祝賀会。シリア代理大使のWarif Halabiさんが 去年の2017年7月27日 ·のシリア日本友好議員連盟の復活の記事をアップしてくれていた。人生意気に感ず。山元学校の活動の一環で、少しでもお役に立てたなら光栄に思う。ニューズウィーク誌に、私までも取材された。それほど価値あることだと思った。
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(6)備考: 2017年7月4日 山元学校 誕生会記念レセプション この場で 原田先生から シリア日本友好議員連盟の復活が 6月29日になされたことの発表があった。会場が喜びに包まれ、沸騰した。私達は 象徴的なT-シャツを着ていた。感謝です。なお「国会議員の先生方」を初め、 各分野から「心優しく力のある方々」や、「アーティストの方々」も駆けつけてくれ、盛り上げて頂いた。改めて皆様に感謝です。
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444. 三神利休
2018/10/29 に公開
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555.捕虜の先輩パドノス氏が安田純平氏に言い放った”戒言”に一同納得。 芸能ゴシップ裏事情まとめch 2018/10/29
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666.安田純平氏 救出後にシリアで囁かれる”ある噂”。
明らかになった新事実で今までのことがすべて…
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666.ご参考 イスラエルとパレスチナへの旅 第3回 ジャパン・ミッション。
2013年December 1日(Sun) (旅は11月8日出発 11月18日帰国)
民間人である私たち日本人が両国を訪問して意味があるのか?
第3回目のジャパン・ミッションは やはり当初の戸惑いを抱えたまま出発した。シリア情勢の混沌でパレスチナのPalestine Youth & Sports Festival 2013の開催決定も大幅に遅れてしまった。やっと 去年の半分以下の14名で出発。現地合流組と総勢20名。まづ イスラエル外務省訪問。ニシム・ベンシトリットさん(前大使・現極東局長)は、フィリピンの巨大な台風大被害対策で「明日 50人の医者と20人の看護婦を翌日フィリピンに緊急派遣する」でお忙しそうにされていたが、元大使のエリ・コーヘンさんと暖かく私たちを迎えてくれた。日本にも3.11のあと、医師団を緊急派遣してくれ病院まで福島につくってくれ全てを寄贈してくれた。イスラエルは世界中にこのような緊急派遣をする国として有名だ。心から謝意を述べた。
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(H.E. Mr. Nissim BEN-SHETRIT H.E.Mr.Eli-Eliyahu Cohen)
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パレスチナでは 第1回のジャパンミッションから アッバス大統領と会えるという話だったが、
海外出張で会えず、第2回は ファイアード首相官邸に招かれた。第3回アッバス議長に暖かく
迎えられた。3度目の正直。パレスチナのワリード・シアム大使の計らいだと思う。
現地では すっかり第2回ジャパンミッションで 意気投合させて頂いた「パレスチナオリン
ピック委員会のジブリル・ラジュブ(Jibril Rajub)会長」に何度も 何度も 様々な行事で
同席させて頂き 大変お世話になった。
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(H.E Mr.Waleed A. Siam Ambassador of Palestine)
今回 嬉しかったのは どこへ行っても 私たち一行は、いつの間にかかなり 知られていて 大歓迎されたことだ。 町を歩いていると 写真を一緒に撮らせて欲しいと 次々に親しみを込めた眼差しで写真を撮られた。
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地元パレスチナの新聞のTOP記事に!!!
アラファト議長(Mahmoud Abbas )への慰霊祭では 一番最初のグループとして献花と
お祈りをさせて頂き、表彰式では 40本ぐらいの各国国旗の中で私たちの日本国旗が
パレスチナ国旗の横に立てられ、アッバス大統領との私たちの面談もアレンジされた。平
和の行進。スポーツの祭典では 歓迎に答えたく 思わず、皆で9キロのマラソンを完走
してしまった。
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(日本国旗が鳩に!!)
奇跡?も起こった。ベトウィン・スタイルの夜の祭典でのこと。パレスチナの人々と一緒に
混ざって踊っていたら、私たちの頭上に、「平和の象徴ハト」が 一瞬 現れた。私が振って
いた日本国旗が翻ってハトになったらしい。気を良くした私たちは 「来年も行かねば」となった。
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今年もヨルダンのアンマンに立ち寄り、死海に浮かんで Japan Mission,completed ! と叫んだ。
これが無いと収まりがつかない習慣」となった。本当に気持ちが良かった。
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おまけのトルコのトランジットタイム(12時間)を利用してのイスタンブール見学も今年は
ボスポラス海峡を望んで「人生も捨てたものではないね !」とワインで乾杯。
(文:JAPAN MISSION団長 山元雅信)
このツアー実現の元となったパレスチナ・イスラエル大使の対談
https://www.yokosojapan.net/article.php/peace1213_event_ja
山元雅信氏の各国大使インタビュー動画が日本語と英語で
とってもわかりやすいお話です。お気軽にどうぞ!!