Syria +Hezbollah+ (Kurd) v/s ISIS + Al Nusra+ Free Syrian Army +Manyと 表面的に見えて
いたが アラブの春が始まった7年前から 時の経過と伴に 徐々に下記の状況が顕在化してきた。
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「Russia +Iran + China+ Syria +Hezbollah+ (Kurd) 」 v/s
「USA+Israel +UK+France+ ISIS + Al Nusra+ Free Syrian Army +Many」
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ただ この仕組みも反政府勢力の中での 主導権争いや思惑が異なり 戦うようになってきた。
敵の敵は味方。世界戦争の様相を呈して来た。 なかなか日本のメディアでは きちんとした
ことを伝えてくれないと アサド大統領の嘆きも 初期の段階から言われてきた。
実は イスラエルは シリアを助けているという憶測?をする人もいる。シリアが
崩壊すると 予測できないイスラエルに不利な状況が出来ると収拾が付かなくなる。と
いう訳だ。 真実は まだ かなりの部分が 闇の中だ。 外部勢力が悪意をもって
シリアに乗り込んできたISISやアルカイダを始めとするテロリストグループや外国勢力が
居なくなり シリア人自身の手で シリアの未来を作って行くべきとの話は、納得できる。
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★止まれ、 検証に検証を重ねて真実を追求する姿勢を持ち続け 同時に
日本の置かれている立場も見直す必要がある。私たちの国、日本の役割も
期待もされている。和解と平和 相互繁栄の道を模索し日本の役割を
果たさねばと考える。
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気になるところから 調べてみた。 海外メディアの情報(日本語や英語の字幕が付いているものもある)
また日本語の情報もチェックした。 膨大な作業は まだまだ これだけではない。これからも続ける。
111. Hizb Allah ヒズボラ
Full) Documentary Film: Hezbollah in Syria – The Necessary Option (English Subtitles) 2017/02/03 に公開
(1)ヒズボラ(アラビア語: حزب الله, 翻字: Ḥizb Allāh)は、1982年に結成されたレバノンのシーア派イスラム主義
の政治組織、武装組織。日本の報道機関では「ヒズボラ」と表記される事が多いが、アラビア語の発音では
ヒズブッラー、ヒズボッラー。アラビア語で「神の党」を意味する。イランとシリアの政治支援を受け、
その軍事部門はアラブ・イスラム世界の大半で抵抗運動の組織と見なされている。日本、欧州連合、米国、
オランダ、バーレーン、エジプト、英国、豪州、カナダ、イスラエルは、ヒズボラの全体または一部を
テロ組織に指定している。
米国はヒズボラを破壊する為ISISを創った2016/05/13 公開
(1)ヒズボラー2概要 レバノン内戦へのイスラエル軍侵攻を受けて1982年に結成された。レバノンを中心
に活動している急進的シーア派イスラーム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、
非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とする。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅
を掲げている。 ヒズボラはレバノン内戦さなかの1982年、イスラエル軍によるレバノンでの軍事作戦への
抵抗を契機に生まれた。
イスラエルの軍事作戦は南レバノンのテロ・グループによるテロ攻撃と、シュロモ・アルゴフ駐英国イスラエル
大使への暗殺未遂事件に対する反撃として遂行された。
(1)-3 ヒズボラ指導部は、イランのアヤトラ・ホメイニの薫陶を受け、その部隊はイラン革命防衛隊から訓練
を受けて組織された。ヒズボラの1985年の宣言は4つの目的として、「イスラエル抹殺の準備段階として
イスラエルをレバノンから最終的に撤退させること」、「レバノンからあらゆる帝国主義勢力」を追放
すること、キリスト教マロン派系の極右政党・民兵組織であるファランヘ党を「正義の支配」の下に置き、
その犯罪行為を裁判にかけること、「完全な自由の下で、希望する統治体制」を選択する機会をレバノン
国民に与えることを挙げる一方で、イスラム支配への傾倒を隠そうとはしなかった。
Hezbollah And Syrian Army Fighting Al-Nusra In The Battle For Yabroud | Syria War 2014 2014/11/06 に公開
(1)-4:ヒズボラ指導部はまたイスラエル国家を「シオニスト組織」と呼び、その破壊を求める数々の声明を出し
てきた。イランとシリアが組織を支援しているといわれており、特にイランは組織設立時の関与や武器
供給などヒズボラと密接に結びつき、一部の活動はイランの指示によるものとされている。
ISIL「イスラム国」が恐れる最大の敵を青山繁晴が暴露!テロ集団が背を向けて逃げ出すほどの凄い部隊!
(1)-5スンナ派のサウジアラビア・ヨルダン・エジプトなどはヒズボラの行動を批判している。シリアは主と
して、後方補給拠点や訓練施設、要人の自宅などを提供しており、イランから空路で到着した物資や
人員はダマスカス=ベイルート街道を陸路で通り、レバノン国境を経てヒズボラに供給されている
といわれる。
1980年代以降国内外の欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を起こしており、1983年10月、
ベイルートのアメリカ海兵隊兵舎への自爆攻撃、1984年9月のベイルートでのアメリカ大使館
への自爆攻撃、1992年にはアルゼンチンのイスラエル大使館への攻撃を実行した。
イランの戦闘機がISISを攻撃。「謎のF-4戦闘機」がISIL空爆に参加 2015/02/19 に公開
(1)-7 2000年にイスラエルがレバノンから撤退した後も、イスラエルへの攻撃を繰り返している。
2006年7月にイスラエル軍部隊と交戦した際、投降した兵2名を捕虜にした。この結果、
イスラエルのレバノン再侵攻を招き、全面衝突となったが、同年8月14日に停戦が成立し、
現在に至っている。
一説には2006年侵攻劇はレバノンにおけるヒズボラの政治的地位確保のための行動とも
言われる。レバノン国軍に勝る軍事力を持ち、レバノン政府から施設運営費を得ていく
ために必要だったとされるが、その動機などは追及されていない。なお、ヒズボラ自身は
、2006年の対イスラエル戦について「歴史的勝利」、と主張している。
(1)-8 少数の民兵組織から始まったヒズボラは、レバノン議会に議席を有し、ラジオ・衛星
テレビ局を持ち、社会開発計画を実施する組織へと発展を遂げた。ヒズボラはレバノンの
イスラム教シーア派住民からの強固な支持を受け、数十万人規模のデモを組織する能力を持つ。
Why Hezbollah is Fighting in Syria 2014/02/23 公開
ヒズボラは2006~2008年、他の政治勢力と協力し、当時のフアード・シニオラ首相の政府
を相手取り抗議行動を開始した。ヒズボラによる通信ネットワークの保有をめぐるその後の
論争は衝突に発展し、ヒズボラ率いる抵抗勢力はシニオラ首相に忠誠を誓う政党「未来運動」
の民兵組織が支配する西ベイルートの複数の地域を制圧した。
(1)-10 これらの地域はレバノン軍に引き渡された。2008年には挙国一致政府が成立し、ヒズボラを
含む野党勢力は、全閣僚ポスト30のうちの11に対する影響力を確保し、事実上の拒否権を手にした。
(1)-11 ヒズボラはイランから軍事訓練、武器、財政支援を受け、シリアからは政治支援を受けている。
2000年にイスラエル軍が南レバノンの駐留を終結させたことを受けてヒズボラの軍事力は顕著
に増大した。 2008年6月、国連がイスラエル軍のレバノン領からの完全撤退を認定したにも
かかわらず、同年8月、レバノン新内閣はヒズボラが軍事組織として存続することを認め、
ヒズボラが「占領地域を解放または奪還する」権利を保証する政治宣言を全会一致で了承した。
1992年以来、ヒズボラはハサン・ナスラッラーが率いている。
メディアが教えてくれないシリア内戦 2013/09/06 に公開
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444.★備考:★アルジャジーラと ★アルアラビーア 二つのメディアの立場と背景は?★★
概要 サウジアラビア政府・企業がMBCに多額の出資を行っていることから、
そしてアル=アラビーヤが「サウジアラビアやその友好国に不都合な
情報を伝えない」ことからも、サウジアラビア政府・企業に支援され
た放送と見なされている。
カタールに本部を置くアラビア語国際ニュース衛星放送
アル・ジャジーラの自由な報道姿勢に警戒感を覚えた
サウジ政府が、それに対抗して立ち上げたチャンネルという
説もある。
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ヨルダンの元情報相による提唱を受けて設立され、その後サウジ系アラブ国際紙『アッシャルクル・アウサト』
の編集長が取締役に就任した。
MBCのオーナーは2005年に「アル=アラビーヤはアル=ジャジーラのより穏健な代替であり、その目標はCNN
がFOXニュースに対してとる、叫ぶように主張されるような意見ではなく、静かで報道を専門とするメディア
実行者としての立場をアル=ジャジーラに対してとるものである。」と発言している。
米政府高官はアラビア語テレビ放送への出演先としてアル=アラビーヤを選んでいる。G・W・ブッシュ大統領
(当時)は記者をホワイトハウスの大統領執務室に招待して独占インタビューに応じており、オバマ大統領が
2008年に世界の他のメディアに先駆けてインタビューに応じたのもアル=アラビーヤであった。
しかし、報道傾向が完全に「米寄り」であるとは言えない。イラク・ファルージャでの米兵殺害事件の映像を
放送して米当局の非難を受けたこともある。ただ、アル=ジャジーラに比べアメリカや親米諸国に対する姿勢
が穏やかであることは確かである。2004年から2006年にかけて同局の記者・特派員がイラクで米軍の攻撃な
どにより殺害されている。
人気番組には、レバノン出身の女性キャスターが大物政治家に率直なインタビューを行う「パノラマ」
(Banorama)がある。また、アル・ジャジーラ(カタール)のキャスターやリポータが頑なな文語アラビア語
(フスハー)で話すのに対し、アル=アラビーヤでは少し口語アラビア語(アーンミーヤ)がかった
フスハーが用いられることが多い。
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陰謀を打倒する!シリア・アサド大統領演説 Syria, Assad, We Will Defeat The Conspiracy! 2012/02/19 にアップロード
反体制の製造 #シリア 政府転覆の陰謀を暴くドキュメント
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(1)ヒズボラ-12 組織
1990年代から軍事部門と政治部門の分離が進められ、1992年に軍事部門「レバノン・
イスラムの抵抗」は形式上ヒズボラとは無関係な独立機構に分離された。
- 精神的指導者:大アーヤトッラー・フセイン・ファドラッラー。晩年は組織から距離を
- 置いていた。レバノンにおけるシーア派最高権威でもある。2010年7月4日死去。
- 議長:ハサン・ナスラッラー
- 副議長:シャイフ・ナイーム・カースィム
- 政治局会議議長:イブラーヒーム・アミーン・アル=サイイド
- 政治局会議副議長:マフムード・クマーティ
- 議会会派「レジスタンスへの忠誠」議員団長:ムハンマド・ラアド
- 執行評議会議長:ハーシム・サイフッディーン
- 執行評議会副議長:ムハンマド・ヤーギ
- 政治顧問:シャイフ・フセイン・ハリール
- 軍事作戦顧問:イマード・ファーイズ・ムグニーヤ 1983年の米仏海兵隊兵舎爆破テロの容疑で、国際指名手配されている。2008年2月13日、シリアでイスラエル情報機関により暗殺される。
- 対外関係局長:ナワーフ・アル=ムーサウィー
その他 ムハンマド・フナイシュ 前水資源・エネルギー相
日本公安調査庁は、平時の戦闘員を600人から800人程度、非常時には2万5000人
程度を動員可能と見ている。
(1)-14 ヒズボラの活動
ヒズボラは一般に過激派組織と見なされているが、パレスチナの過激派ハマースの
ように選挙に参加している政治組織である。独自の議会会派「レジスタンスへの忠誠」
を結成して、議会選挙では1992年8議席、1996年7議席、2000年12議席と議席を毎回
獲得し、2005年7月には連立内閣に参加した。
また、貧困層への教育・福祉ネットワーク(2002年のデータで、学校9校、病院3ヶ所、
診療所13ヶ所を運営)を作っており、それ故に貧困層からの支持は厚い。 2007年の
イスラエルとの戦いの際にも、被害を受けた人々の直接的な援助を行っている。
インターネット上に複数のウェブサイトを開設しており、テレビ局「アル=マナール」、
ラジオ局「アン=ヌールー」、週刊誌「アル=アフド」も運営している。
(1)-15 ヒズボラの闘争
1982年
1983年
- 4月18日 – 駐レバノン米大使館付近で自動車爆弾攻撃実行。63人を殺害し、120人を負傷させる。
- 10月23日 – 米仏海兵隊兵舎付近で自動車爆弾攻撃実行。米兵241人、仏兵58人を殺害。
- 11月4日 – イスラエル国防省庁舎を銃撃。21人を殺害し、10人を負傷させる。
1984年
- 1月18日 – アメリカ大学次期総長マルコルム・ケルを暗殺する。
- 3月7日 – CNNレバノン支局長ジェレミ・レヴィンを誘拐。彼は後に逃亡に成功した。
- 3月8日 – 米国籍のレヴェレンド・ヴェイルを誘拐。16ヵ月後、シリアとイランの
- 仲介により解放。
- 3月16日 – 米アメリカ中央情報局レバノン支局長ウィリアム・バクリーを誘拐。
- 囚人との交換を要求したが、拒絶される。バクリーは拷問により心臓
- 発作を起こし死亡。
- 8月12日 – 在スペイン米空軍基地で爆弾攻撃実行。18人を殺害し、83人に負傷
- させる。
- 9月20日 – 駐ベイルート米大使館に対して自爆攻撃実行。23人を殺害し、
- 米英大使を含む21人を負傷させる。
- 12月4日 – ドバイからカラーチーに向かっていたクウェート航空の旅客機を
- ハイジャック。クウェートに収監中の数人の仲間の釈放を要求。機体は
- テヘランに着陸したが、特殊部隊が突入した。2人が死亡。
1985年
- 6月14日 – ローマからアテネに向かっていた旅客機をハイジャックし、ベイルート
- に向かった。イスラエルと南レバノンに収監中の数百人の仲間の釈放を
- 要求。搭乗員8人と乗客145人を17日間に渡って拘束し、乗客1人を殺害した。
- 機体は、アルジェリアに2度飛んだ後、ベイルートに着陸した。人質は解放
- さ れ、実行犯は逮捕された。詳しくはトランスワールド航空847便テロ事件を参照
- 9月30日 – レバノンでソ連外交官4名を誘拐し、内1人を殺害した。
1986年
- 9月9日 – 米大学総長を誘拐。44ヵ月後に解放。
- 10月21日 – アメリカ国籍のエドワード・トレイシーを誘拐。1991年8月に解放。
- 2月17日 – 国連監視団長ウィリアム・ヒギンズ大佐を誘拐。イスラエル軍の
- レバノン撤退と、収監中のパレスチナ人及びレバノン人全員の釈放を要求。
- 米政府は交渉を拒否。大佐は現在も行方不明。
1992年
- 3月17日 – 駐アルゼンチン・イスラエル大使館付近で自動車爆弾攻撃実行。29人
- を殺害する。同年、当時のヒズボラ議長シャイフ・アッバース・ムーサウィー
- がイスラエル軍ヘリによる攻撃で死亡。
1994年
- 7月18日 – ブエノスアイレスのユダヤ文化センターで自爆攻撃実行。86人を殺害。
- 同年12月12日、イマード・ムグニーヤの弟、フアード・ムグニーヤがベイルート
- 南部で自動車に仕掛けられた爆弾の爆発で死亡。
1996年
- 2月28日 – 軽航空機でイスラエル領空への侵入を試みたが、撃墜される。
- 3月4日 – マナール村付近で爆破事件を起こし、イスラエル兵4人を殺害。
- 3月20日 – レバノン南部にてイスラエル軍車列への自爆攻撃。イスラエル兵1人を
- 殺害。2時間後、自爆場所から数マイル離れた場所で南レバノン軍民兵殺害される。
- 6月25日 – サウジアラビアの米軍兵舎を爆破。米兵19人を殺害。
2000年
- 秋 – スイスでビジネスマンのエルハナン・タンネンバウムを誘拐。
2006年
- 7月 – イスラエル兵を拉致。報復としてイスラエル軍はレバノンを空爆。ヒズボラ
- はイスラエルへのロケット砲攻撃を敢行、イスラエル北部の主要都市ハイファ等
- に打撃を与えた。
- また、海上封鎖中の最新鋭艦にミサイルを命中・炎上させ、イスラエル側に衝撃を与えた。
- その後、空爆に続きイスラエル側がレバノンに越境侵攻し、ヒズボラ側と激しい戦闘に
- なった(イスラエル・レバノン紛争)。ヒズボラは、イランやシリアから提供された最新の
- ロシア製携行対戦車ミサイル、メティスM・コルネットなどで、イスラエルの戦車、
- メルカバや装甲車に大きな損害を与えた。
- 結局イスラエル側は兵士だけでも100人以上の死者を出し、停戦成立時イスラエル国民のうち
- 6割が今回の戦争は敗北であると考える結果に終わった。
- 8月14日 – 国連安保理決議に基づき、停戦発効される(レバノン時間8時)。ヒズボラは
- 停戦成立後、ナスラッラー師(議長)が歴史的な勝利宣言を行った。そして直ちに
- イスラエルの空爆によって家を失ったレバノン国民に対し、強力な復興支援を開始した。
- その額1人あたり1万ドルという大金を支援している。
- 2月13日 - ヒズボラのテレビ局「アル=マナール」は、軍事作戦顧問で数々のテロ事件
- を立案・指揮したとされるイマード・ムグニーヤが、シリアの首都ダマスカス
- でモサッドによって自動車に仕掛けられた爆弾の爆発により死亡したと発表した。
- 暗殺現場は、ダマスカスのカファル・ソウサア地区で、周辺にはイラン人学校と
- シリア情報機関本部がある。ムグニーヤは、アメリカから国際テロリストとして
- 国際指名手配を受けてから潜伏し、変装してレバノン-シリア-イラン間を往来して
- いたとされる。2006年にイランのアフマディーネジャード大統領と会談したとも伝えられた。
(1)-15 ヒズボラのラフィク・ハリリ元首相の暗殺の関与??
2005年2月14日、レバノンでラフィク・ハリリ元首相などを乗せた車列がベイルート市内を走行中に
道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、同氏を含む22人が殺害された。ラフィク・ハリリは1992~1998年
、2000~2004年にレバノン首相を務めた。2009年、ハリリの暗殺事件を審理する国連特別法廷が、
ヒズボラが同氏殺害に関与した証拠を発見したと報道された。2011年6月30日、ハリリ殺害事件捜査の
ため設置されたレバノン特別法廷は、ヒズボラ幹部4人に逮捕状を出した。同年7月3日、ヒズボラ
最高指導者のハッサン・ナスララは起訴事実を否認し、同法廷をヒズボラに対する陰謀であると糾弾し、
逮捕状が出された幹部は絶対に逮捕させないと言明した。
(1)ヒズボラのシリア内戦への関与?
ヒズボラは長期にわたってアサド家率いるシリアの政権与党バース党の同盟勢力であった。ヒズボラは
シリア内戦で同国政府による反体制派の弾圧に協力してきたとされている。2012年8月、国連はヒズボラ
が同内戦に関与したとして制裁を加えた。
最高指導者のナスララは、ヒズボラがシリア政府の側について戦った事実を否定し、同年10月12日の
演説で「当初からシリア反体制派はマスメディアに向けてヒズボラが3000人の戦闘員をシリアに派遣
したと主張してきたがヒズボラは否定した」と語った。しかしレバノン紙「デイリー・スター」による
とナスララは同じ演説の中で、「レバノン国籍のシーア派住民居住地である(シリア国内の)23の戦略的
に重要な村の支配をシリア政府が維持する」ことにヒズボラ戦闘員が協力したと語った。ナスララは
ヒズボラ戦闘員がシリアで「聖戦の義務」を果たして死亡したとも語った。