Syria ④ Palestine ② let’s brighten future hope 未来の希望の光を輝かそう。 日本と世界でも

夜中に 浅田真央さんの盛岡で 1月に行われた番組を見ていた。 練習風景で、東北大震災の映像の数々を思い浮かべた。自分の体験を交えて 複雑な悲しみや想いも交差する。 真央さんと子供たちとの交流や 衣装をつくってくれた大学生たち、英国から駆けつけた。リベラ合唱団の子供たち。 胸が熱くなった。

真央さんの想いも伝わってくる。一本杉。 子供たちとの共演。

このところ、家人が やまいにかかり、数週間苦しむのを、横で見ていた。生き方や 人生の在り方に もう一度 真剣に向き合うことになった。

嬉しいことに、回復の兆し。希望の光が ようやく、見えて来た。 家人の胸の痛みが 少しづつ和らぎはじめ、 ものも徐々に見え始めた。 ありがたい。

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一昨日 我が家にOmraam Mikhael Aivanhovさんの「生命の言葉365」が 我が家に届いた。 田中響子さん(写真中央)が 翻訳されたもので、 Day1 「光の果てに 見出すものは、言い表せないほどのもの」とあった。 (アイバノフさんは 卓越した哲学者でスピリッチュアル・マスター (1900~1986) ブルガリア生まれで、1937年37歳の時に フランスに亡命して そのまま余生を過ごした人。)

田中さんは MIT メディアラボのSafecastのメンバーなので、なぜ この本の翻訳をされたのか 不思議に思ったら、アイバノフさんの言葉「この地球は 必ずや良い方向に進む。だから そのことを念頭に置いて 光の道の歩みを止めないように」とぃうフレーズに 衝撃を受けたそうだ。

震災後 一本杉が 希望の象徴になった。真央さんの子供たちの舞も 一本杉を駆け上った。これまで 環境汚染で 地球が壊れてしまうという危惧が 初めに来たが、光の道を 皆で歩き続けるなら 壊れることはない。そう思うことにした。自分も歩みを止めるのは やめよう。(田中さんに感謝。毎日 ひとつづつ 読ませてもらおう。)生命の言葉 51JWAQcPq5L._SX339_BO1,204,203,200_

ところで 世界中で 希望の光を求めている。 シリアは ようやく 5年にわたる戦争のさなかから 平和が すこし近づいてきた。 シリアでは パルメラを初めとして 世界遺産が ISISや過激なテロ行為で壊されてきた。現代に生きる人間として 山元学校TEAM Yamamotoのメンバーが 一緒に立ち上がってくれた。シリア世界遺産の復興運動だ。2016年2月2日に シリア大使館に Warif Halabi 代理大使を訪ねた。嬉しいことに Chie Artさんが  「光の絵」を ワリフさん 託した。この絵は 象徴だ。実際の活動は これから 本格化する。

 

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この旗は 最近 出口光さんが 宮崎を訪ねた時に 見つけてくれた。平成22年2月22日とある。

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私たち 日本人の役割は 確かにある。 思いついたことは 果敢に挑戦あるのみだ。幸い力強い若い人たちが 賛同してくれ、力を貸してくれるという。 それにクリエイターやデザイナーの一般社団法人 SWITCHER(新宮健二さん理事長)も立ち上がり 著名な浜野安宏さん、大倉正之助さん 島田浩司さん達にも ご協力を仰げそうだ。 はやく 希望の光を 日本から 届けたい。

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イスラエルとパレスチナも もう70年も 戦争を続けている。 希望の光は 見えてきそうにない。少年の頃から さんざん 紛争の実態を見て来て 終わることはないのでは と 絶望と悲観を繰り返してきた。

2011年12月収録。

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そして 山元学校を始めて 25年。 各国大使を招くようになり、いつの間にか パレスチナ シアムワリード大使との交流が 2003年から 始まった、イスラエルのエリ・コーヘン大使との交流は 2004年から 写真のニシムベンシトリット大使との交流は 2008年から ずっと続いている。

  • Palestine  H.E Mr.Waleed A. Siam Ambassador of Palestine
  • Israel  H.E. Mr. Nissim BEN-SHETRIT,Ambassador,
  • Israel Israel Mr.Eli Eliyahu Cohen, President EC Advanced Technologies Marketing Ltd.

 

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イスラエル・パレスチナ両大使との同時対談は 日本で初めてとのことだったが、 その折、両大使から 要請されて 合計 5回訪問。 「平和と繁栄のための回廊プロジェクト」(パレスチナ イスラエル ヨルダン 日本の協働プロジェクト)に参加しようと、JAPAN MISSIONを組織した。プロジェクト参加は いまだに 難しさがあるが ジェトロ農産物加工団地に 日本の旗をあげようとしている。

いろいろ やるべきことが 山積み そろそろ 動き出そう! パレスチナの人々も 待っている。

 

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ジェリコ工業団地の責任者( Dr.Ali Shaath, CEO, Palestinian Industrial Estates & Free Zones Authority, State of Palestine)に面談して 日本の3つの科学技術を プレゼンさせて頂いた。

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いろいろ やるべきことが 山積み そろそろ 動き出そう! パレスチナの人々も 待っている。

 

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ところで 敬愛する後輩 池田洋一郎さんの ケニア再訪問記を 昨日FBで見せて頂いた。つい2日前にメッセンジャーでやり取りしたばかり、山元学校で お話をして頂きたいとのお願いのメール交換だったが ケニアにいることを知った。9年前に 池田君が この場所から わざわざ電話をくれたのを思い出す。彼の行動力 発想 几帳面な記録と 素晴らしいご本の出版。 そのための日ごろの準備と用意周到さ、勤勉さに舌をまく。

彼の意思の強さの 100分の1でもあれば ・・江戸川の土手を歩きながら 想いを馳せた。ご本の幾つかを読ませて頂いて 彼のバングラデシュの国創りへの参画や 世界銀行や財務省を舞台で これまでになしてきたこと。Crossoverでの活動。(私も 2002年から 参加させてもらっている。

ケニアは 私は 6回訪問させて頂いて 植林やジェトロハカーカスの事業を始めようとしたためだが、 一旦大きなブームを起こすことが出来たものの、まだ完遂できていない。 当時のバイオディーゼル化のコストやプラントの価格や機能がが 期が熟していなかったせいもある 政変があったこともあるが そんなことは 理由にならない。と反省している。素晴らしい3つの技術が 見つかったので 捲土重来をしなければ・・。池田さんの記事は そのことを思い出せてくれた。タイミングよい知らせと思う。

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池田さんの訪問記を記録に残したい。

 

ケニア再訪記(その1)9年前に交わした約束を果たすために…(池田さんの記事)

今、ケニアに来ている。
日本とケニアとの経済・投資活動のさらなる深化、活性化の基盤となる両国間の「租税協定」、そして「投資協定」の交渉に臨み、何とか合意にたどり着くために。夏の軽井沢のような爽やかな風が吹き込むケニア大蔵省12階の会議室に4日間缶詰めになり、一進一退のタフな交渉を続けた。制限時間ぎりぎりとなった金曜日の昼過ぎ、100点満点とはいかないまでも、何とか次につながる良い合意に至ることができた。

心地よい疲労感と達成感を胸に土曜日の朝を迎えた僕は、もう一つの目的-個人的だがとても大切なこと-を果たすために、ナイロビから南西に30キロほど離れたゴング(Ngong)という街を抜け、その先に見える丘を目指していた。

 もう9年も前、2007年の8月、ゴング・ヒルズの孤児院「Shelter Chirdren Rehabilitation Center」で3週間の泊まり込みのボランティアを終えた僕は100名近い子供たちに囲まれていた。「洋一郎、帰ってくる?」「あぁ、帰ってくるよ」と手を握り合いながら別れを惜しんでいたその時、16歳の女の子チャリティが言った。「今までやってきたボランティアはみんなそういって、ここを去っていった。でも、戻ってきた人は一人もいないよ…」
僕は、彼女の目を見ながらこう伝えた。「僕は戻って来たいと思っている。すぐには難しいかもしれないけれど、約束する」と。

かつてあった孤児院のウェブサイトは今はもうアクセスが出来ない。施設長のメアリーから頂いた名刺に書かれたメールアドレスや携帯電話も通じない。当時から、職員の給与支払いもままならない程、経営は困難を極めていたから、もう施設は閉鎖になってしまったのだろうか…そもそも場所もあまりよく覚えていない。でも兎に角行ってみよう。9年前に交わした約束を果たすために。

砂煙が舞うゴングの街につくと見覚えのあるバイク・タクシーの一団やネットカフェが目に留まる。美しい丘陵沿いに立ち回っている風力発電の風車を除けば、何もかも、9年前と変わらないように見える。

バイクタクシーの兄さんにシェルターの写真を見せて尋ねた。「丘の上にあるこの孤児院を知っているかい?まだやっているかな?」

集まってきた若者たちが頷きながら丘の上を指さす。車は指刺された方向に向けて走り出し、広々とした丘陵地帯を超え深い森に入った。道路の舗装はいつの間にかなくなり、心臓の鼓動の高まりと併せて、車が大きく揺れる。

森を抜けた。広々とした丘が広がっている。でも建物らしきものは何も見えない。おんぼろタクシーの運転手が心配そうに尋ねてきた。「道を間違えたんじゃないか?」

「We are on the right track!」と答えたものの僕も確かなことはわからない。

が、森を抜けた先の風景はなんとなく見覚えがある…と目を凝らしていると、右手に、あの畑と、そして懐かしい小さなゲートが目に留まった。

シェルターは、そこにあった。子供たちが駆け回っている姿が見える。ヤギが夢中になって草を食んでいる。犬たちが面倒くさそうに子供たちを眺めている。殆ど何もかもが、9年前と変わらないように見える。

僕は戻ってきた。

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ケニア再訪記(その2)9年前に交わした約束を果たすために…

ナイロビから1時間半をかけてたどり着いたゴング・ヒルズの孤児院「Shelter Chirdren Rehabilitation Center」の門を9年ぶりにくぐった僕を、最初に見止めたのは、寮母さんのメアリーだった。

彼女の怪訝そうな表情が驚きに、そして笑顔に変わるまでに5秒とかからなかった。
「Yoichiro!!戻ってきたのかい?」
「戻って来ました。9年前に皆さんと約束したので…。覚えていてもらってうれしいです」

 握りしめたメアリーの手は、昔と同様、厚みがあり、そして冷たい。彼女は日中ずっと子供たちの洋服を洗っているのだ。
「私の新しいbabyを見せてあげる。今、寝たばかりだから静かにね…」と寄宿舎のベッドルームに案内された僕を待っていたのは、小さな男の子の赤ちゃん。

「この子の名前はイマニュエル。生まれて5日目にナイロビの路上で捨てられていたのを保護されてここに来たんだ。今月で5月。元気に育っているよ。」

大人たちの話声に目を覚ましたイマニュエルは大きな瞳で僕を見つめる。思わず頭をなでると、手足をバタバタと動かし返事をしてくれた…そんなイマニュエルをぎゅっと抱き上げる。想像以上の重みが、温かな体温とともに僕の腕に伝わる。イマニュエルがこの世に生を受けた途端に辿らねばなら
なかった厳しく冷たい境遇を、シェルターの献身的な母たちの手が、祝福とぬくもりに満ちたものに変えていったことがわかる。

施設長のメアリー、そして寮母さんのアンガスも驚きの笑顔で迎えてくれた。9年前に写した写真をまとめた小さなアルバムを手渡すと、「まぁ!サミュエル、デリク、ガブリエル、ジョセフ…この子たちはもう中学生になったのよ!!皆まだ元気にこのシェルタ―にいるから、この写真と同じ、あの木の下で、一緒に写真を撮りましょうよ!」

子供たちに写真を見せると皆一様に照れ笑い。サミュエルに「9年前、昔ここで働いていたYoichiroだよ。覚えているかな…」と尋ねると、しばらく首をかしげた後「あぁ、子犬が好きだったよね。一緒に子犬とよく遊んだよ」と思い出してくれた。

「チャリティはどうしていますか?」

9年前に16歳だった彼女はきっともういないだろうと思いつつ、アンガスに尋ねる。

「チャリティは、今、ナイロビで大学に通っているよ。素敵な大人の女性になって。あなたが帰ってきたと知ったら踊りだすでしょうね。」

そうか。やっぱり、少し帰ってくるのが遅かったな…でも、大学にしっかり通えているなんて、素晴らしい。やはりここの寮母さんたちは、本当にこの子たちの親なんだな…

9年前に感じた思いが、胸にこみ上げてくる。男子寮や新しい教室もでき、子供の数も当時の約80名から130名にまで増えている。しかし、施設長のメアリーの表情は厳しかった。

「今、この施設には電気が来ていない。電気代の未払いが続いたため、止められてしまったんです。夜は子供たちは勉強が出来ないし、何より困っているのは水です。ポンプで水をくみ上げることが出来ないので、市場から水をドラム缶で購入してこなければならず、資金繰りが苦しくなるという悪循環。スタッフの給与も十分に払えていない状況です。あなたが昔してくれたように野菜は畑から取れるけれど、砂糖、塩、小麦などは、値段がどんどん高くなっていて、食糧事情も厳しい…」

建設会社を経営していた旦那さんが数年前に亡くなったことも聞かされた。

この9年でケニア経済は大きく成長し、ナイロビには次々と高級なショッピングモールやホテルが建てられている。しかし、シェルターの施設長メアリーと、献身的な寮母さんたちの置かれている環境は確かに9年前より厳しさを増しているようだ。

東京から持ってきたお土産のお菓子と手紙、アルバムを手渡しながら、母たちに伝えた。

「今日、皆さんと再会できて、幸せです。戻ってきて本当によかった。でも、これは物語の終わりではない。始まりです。今日はもう出なければならないのだけれど、東京に戻って、この施設のためにできることを考え、行動に移します。」

シェルターの入り口に留め置かれたオンボロタクシーで昼寝をしていた運転手が、待ちくたびれた表情で伸びをしながら尋ねる。

「もう用は済んだのかい?」
「あぁ、済んだ。でも、新しい用がたくさん見つかったよ。」

そうか、と軽くうなずいた運転手がアクセルを踏み込むと、車は砂埃をあげながらシェルターから勢いよく遠ざかっていった。左右に揺れる車の中で過行く森の木々を眺めながら、僕は、僕の一部が、あの孤児院に、今までよりも、もっと大きく、そして確かに留まったことを確認していた。

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★さて★浅田真央さんの今回の公演の海外からのコメントがあったので 載せます。みなさん 大変な感動をおぼえてくれたようです。

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Very beautiful, soulful, hopeful and sorrowful all at the same time. Mao does a lovely and picturesque arabesque at the beginning and she is so expressive. It moved me to tears.

美しい、
魂が込められている、
希望を感じる、
悲しい

これら全ての感情が同時に沸き起こってきます。冒頭の、美しいアラベスク(バレエのポーズの名前ですね)は愛らしく、とても印象的でしたね。

涙を誘われたパフォーマンスでした・・・。

Mao’s altered Jupiter EX was so pretty, my mom was crying her eyes out next to me as we watched it on TV. Gorgeous, Beautiful, Healing.

マオの『Jupiter』のリメイクは本当に可憐だった。隣で一緒にテレビを見ていた母は、涙を流していたよ。

豊かで、美しく、そして癒されるような演技だったね。

Mao did a magnificent job with the choreography to this new version of Jupiter because I love it more than the original one. To me, this goes beyond the world of scores and championships.

This is why I love Mao’s skating so much. This program is such a beautiful work of the human heart that symbolizes the endurance of the spirit through connection between the generations.(続く)

マオが新しい『Jupiter』の振り付けで素晴らしい仕事をしてくれたことによって、元の演技よりも好きになりました。私としては、これはもはや、その演技が何点だったとか、優勝することができたかとか、そういう次元では無いと思います。

これが、私がマオのスケートを愛する理由です。この演技は、世代間の繋がりに通じる魂の持続性を象徴する、ヒトの心を表した美しいプログラムです。