111 ブラジル人 111
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大学に進学させたい!ブラジル人保護者向け説明会
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学校法人豊橋インターナショナルアカデミー
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(1) 全国の在日ブラジル人は201,865人で、人口1万人あたり15.96人。
2015年(平成27年)6月現在、日本に中長期に滞在している民間のブラジル人は
17万3038人(194国中4位)である。そのうち永住しているブラジル人やその
家族は11万2157人(4位)であり、それ以外のブラジル人が6万881人である。
この他に90日以下の短期滞在や外交官が1292人居る。なおブラジルは国籍離脱を
認めていないため日本に帰化しても 二重国籍の在外ブラジル人になるだけだが、
日本政府の外国人統計には入らなくなる。
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1位「静岡県」で人口1万人あたり80.72人。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/action/mofa/shizuoka3.pdf
電話番号0335043866は日本ブラジル中央協会(一般社団法人)
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2位は愛知県で78.72人。
3位以下は三重県(76.59人)、
4.群馬県(65.36人)、
5. 県(63.94人)の順。
最も在住者数が少ないのは秋田県で人口1万人あたり0.07人
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在留資格
在日ブラジル人の大半(99%)は就業制限のない永住者(10万9642人)や定住者(4万4097人)である。
制限のある在留資格としては留学540人(24位)や技術・人文知識・国際業務195人(31位)などがあり、
特に興行112人(4位)や宗教110人(6位)は在日外国人の中でも上位にある。
職種
2010年(平成22年)の在日ブラジル人の労働力人口は9万930人(在留数の39%)であり、失業率は9%だった。
産業は製造業(66%)、建設業(3%)、「卸売業、小売業」(3%)、サービス業(3%)、「宿泊業、飲食
サービス業」(2%)が多かった。
地域
在日ブラジル人の居住地域は東海地方(55%)や関東地方(25%)が多い。在日ブラジル人は愛知県(4万7076人)
などの製造業が集積する地域のブラジリアンタウンに集住しており、東京(3243人)や大阪(2476人)などの大都市
にはほとんど住んでいない。在日ブラジル人は北海道や東北、四国、九州、沖縄県には殆ど居ない(0%)。
家族
ブラジル国籍を持つ家族の同伴率は0%で世界平均(6%)より低い。一方、日本人の配偶者を持つ
ブラジル人は9%で世界平均(7%)より高く、1万5041人(3位)居る。
歴史
1990年代(平成2-平成11年)
1990年(平成2年)、ブラジルの国債がデフォルトし、ハイパーインフレが起こった。一方、日本では1990年
(平成2年)に出入国管理及び難民認定法が改正され、就業活動に制限のない定住者資格が創設されて日系3世
に対して付与されるようになった。
1990年(平成2年)の在日ブラジル人は5万6429人だったが1995年(平成7年)までに17万6440人に急増し、
ニューカマーの一角を占めた。
一方、刑法犯も1990年(平成2年)の70件(9位)・53人(9位)から1503件(3位)・318人(4位)に急増した。
また生活習慣や言語の違いから、愛知県豊田市の保見団地では日本人住民との間で軋轢が生じた。
また人口の増加と比べて国際結婚は比較的に少なく、1995年(平成7年)に日本人男性と結婚した
ブラジル人女性は579人、ブラジル人男性と結婚した日本人女性は162人だった。
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2000年代(平成12年-平成21年)
2000年(平成12年)の在日ブラジル人は25万4394人だったが、2005年(平成17年)までに30万2080人
に急増した。この頃、在日ブラジル人は本国に毎年30億ドルの送金をしたと言う。またこの頃在日ブラジル人
子弟の教育は公立学校のほかにブラジル学校などで行われていたが、在日ブラジル人の高校通学率は在日外国人の
中でも特に低く、2割前後しかなかったと言う。
一方、刑法犯は2000年(平成12年)に3273件(2位)・682人(2位)に増加した。また少年の刑法犯は2000年
(平成12年)に244人居て、2003年(平成15年)の377人をピークに2010年(平成22年)まで連続して100人を越え、
在日外国人の中で首位を保った。在日ブラジル人家庭は両親の不安定な勤務環境により放任状態となり、
日本の生活に馴染めない少年は学校からドロップアウトし、街に出て悪い仲間と知り合い、
遊興費欲しさに犯罪者となる例が多いと言う。2006年(平成18年)頃、在日ブラジル人の轢逃げ犯など86人が
本国に逃亡し問題になっていた。
ブラジルの憲法(第5条51項)には「犯罪人引き渡し禁止規定」があり、逃亡した犯人を日本国政府が処罰する
事は出来ず、ブラジル政府に代理処罰を依頼するしかなかった(未解決)。
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その後、在日ブラジル人は2007年(平成19年)に31万6967人のピークを迎えたが、日本ブラジル交流年の
2008年(平成20年)にリーマン・ショックが起き、1年で4万5千人が帰国した。2009年(平成21年)頃、
ブラジル人などの在日南米人は非正規雇用が9割を占め、社会や企業内での立場が弱く、約4割(推定)が
失業していたと言う。日本政府は帰国支援を行って、2万53人のブラジル人を本国に送り返した。
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また帰国できない在日ブラジル人や帰国しない日系定住外国人の子弟のために「虹の架け橋教室」
(外国人児童生徒就学促進事業)を開始した。ブラジル政府も2010年(平成22年)に静岡県浜松市に在日
ブラジル人向けの支援施設を一時的に設置した。
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2010年代(平成22年-)
2010年(平成22年)にブラジルの海外出稼ぎ労働者は全世界から本国に43億ドル(23位)を送金した。
2010年(平成22年)の在日ブラジル人は23万552人だったが、2011年(平成23年)3月11日に
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起き、約2万人が帰国した。またブラジルでは2014年
(平成26年)のサッカーワールドカップや2016年(平成28年)の夏季オリンピックに向けて経済が活況に
なった為、在日ブラジル人の帰国は続き2015年(平成27年)までに17万3038人に減少した。
なお2012年(平成24年)以降の統計は計算方法が変わり、短期滞在や公務を含まなくなったので、
2011年(平成23年)以前の統計と単純比較できなくなった。しかし在日ブラジル人は短期滞在が少ない為
にそれほど影響は無いようである。ちなみに2015年(平成27年)の総在留ブラジル人は17万4330人だった。
一方、刑法犯は2010年(平成22年)に2531件(2位)・515人(4位)だった[11]。2014年のブラジル人の犯罪は
車上狙い・自動車盗・部品ねらいが多かった。
人口分布
都道府県 |
2013 |
2007 |
---|---|---|
愛知県 |
48,730 |
80,401 |
静岡県 |
27,622 |
52,014 |
三重県 |
12,993 |
21,717 |
群馬県 |
11,977 |
17,158 |
岐阜県 |
10,565 |
20,912 |
神奈川県 |
8,742 |
14,107 |
埼玉県 |
7,880 |
13,950 |
滋賀県 |
7,945 |
14,342 |
茨城県 |
6,280 |
11,407 |
長野県 |
5,644 |
15,783 |
栃木県 |
4,736 |
8,585 |
千葉県 |
3,689 |
6,087 |
東京都 |
3,162 |
4,550 |
山梨県 |
2,767 |
5,089 |
大阪府 |
2,640 |
4,454 |
広島県 |
2,529 |
4,384 |
兵庫県 |
2,502 |
3,398 |
福井県 |
2,366 |
3,062 |
富山県 |
2,220 |
4,387 |
島根県 |
1,297 |
1,317 |
合計 |
181,268 |
316,967 |
|
この節の加筆が望まれています。 |
2010年(平成22年)の愛知県には16万228人の在日外国人が居り、4万583人(25%)の在日ブラジル人が
在住していた。ブラジル人が多かった市は豊橋市(6030人)、豊田市(4972人)、名古屋市(3288人)
岡崎市(3124人)、小牧市(2315人)だった。このうち豊田市はトヨタ自動車の本拠地であり、豊橋市
には自動車を輸出(日本第2位)・輸入(第1位)する三河港がある。
両市に挟まれた岡崎市はフタバ産業などの自動車産業が集積しており、名古屋市には自動車を輸出
(日本第1位)する名古屋港がある。
2010年(平成22年)の静岡県には6万1610人の在日外国人が居り、2万2207人(36%)の在日ブラジル人が
在住していた。ブラジル人が多かった市は浜松市(7498人)、磐田市(2636人)、菊川市(1612人)、
掛川市(1535人)、袋井市(1474人)だった。
このうち浜松市は豊橋市に隣接し、本田技研工業の創業地であり、スズキやヤマハの本社
がある工業都市である。浜松市の東には順に磐田市、袋井市、掛川市、菊川市があり、
磐田市にはヤマハ発動機の本社がある。この地域には自動車産業が集積しており、
菊川市には自動車部品メーカーの旭テックやフジオーゼックスがある。
特にブラジル人が多く居住する地域は、ブラジリアンタウンと呼ばれる。
日本各地のブラジリアンタウンには、在日ブラジル人向けのブラジル料理店
(ブラジリアンレストラン)やブラジルのビデオなど生活雑貨を取り扱う
店が数多くある。
岐阜県可児市など在日ブラジル人向けを中心にブラジル野菜を栽培・生産
している場所もある。
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本国との関係
ブラジル政府は東京だけでなく名古屋や浜松にも総領事館を置くなどして、在日ブラジル人を保護している。
在日ブラジル人はブラジルの国政選挙に在外投票することが出来、1万人ほどが投票する。一方、ブラジル国籍を
放棄して日本国籍を取得しても、ブラジルに対しては無効である。
仮に日本のパスポートでブラジルに入国しても、ブラジルの国民鑑識手帳を持つ限り国内では一般の
ブラジル人と何の区別もない。
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日本社会への適応
在日ブラジル人の中には日本語で読み書きが出来る人も居り、例えば浜松市の南米系外国人の
うち漢字まで読むことができる人は約4割(39%)だと言う。しかし日本語の会話が得意では
ない在日ブラジル人が居て、ポルトガル語しか話せない子供も居る。逆に日本語しか話せない
子供も居る。また家族の中で自分だけが日本語が出来るようになり日本文化にも馴染んだが、
「いくら真似をしても日本人になれ」ず、家族からも社会からも阻害されているように感じて
苦しむ在日ブラジル人も居る。
浜松市の南米系外国人のうち約半分(47%)は間接雇用(派遣・請負)だが、大半(81%)は
健康保険に加入しており、半分以上(61%)は年金に加入している。しかし現在でも「ごみの出し方、
騒音、駐車場の利用方法など、文化や言語の違いに起因する地域トラブル」が存在する。
文化の違いとしては学校内でアクセサリーをつけたい、校内で誕生日ケーキを食べたい、
体育の授業で整列をしたくない等があり、ブラジル学校の校長のモットーは「お互い理解しよう
とする→譲歩する→我慢する→あきらめる」だと言う。
教育
日本の公立小中学校は外国人でも希望すれば無料で通う事は出来る[27]。例えば浜松市の場合、
2015年(平成27年)時点で公立学校に通う外国人生徒は1517人居り、そのうちブラジル人生徒は795人
である。内訳は小学生481人、中学生276人、幼稚園児38人である。市内の学校のうち1人以上の外国人
生徒が居る幼稚園は約3割(63園中41園)であり、小学校は約7割(100校中73校)に及ぶ[28]。
また母国と同じ教育・母語教育を希望し[29]、月謝を払う経済的な余裕がある家庭は日本の公立小中学校
ではなくムンド・デ・アレグリアのような私塾(ブラジル学校)に行く事も出来る。
しかし義務ではない上に2012年(平成24年)以前は住民基本台帳法と外国人登録法に分かれていて、
日本人と外国人で構成する複数国籍世帯を把握できなかったので、どちらの学校にも通わない
不就学が問題になった[30]。特にリーマンショックの後はブラジル人が失業して月謝を払えなく
なったり、生徒が大量に帰国した為にブラジル学校が閉鎖に追い込まれて、不就学が深刻になった
のため文部科学省は「虹の架け橋教室」(外国人児童生徒就学促進事業)を始めて、
不就学者の教育をブラジル学校やNPOに委託した[16]。また浜松市は「外国人子弟の不就学ゼロ作戦」
を開始し、727人の不就学者の家を一軒ずつ戸別訪問して帰国・転出していない不就学者を見つける
所から始めた[26]。その結果2011年(平成23年)9月には市内に16人の不就学者が居たが、
2013年(平成25年)以降はゼロになった[31]。
一方、日本の公立中学校への通学者の中には授業についていけず退学届を提出し受理され、
その後フリーターになど社会的不安定な身分になってしまうケースがある。これらは現在社会問題
の一部となっている。彼らの幼い子供(幼児)を預かる所(託児所・保育所)は個人宅で、
個人経営しているケースが多い。
宗教
宗教面では、日本各地のキリスト教の教会が在日ブラジル人の生活支援をしている。
在日ブラジル人のうち約20万人がカトリック教徒といわれているが(根拠の薄い推定値、
統計値ではない)、ブラジルではカトリック教会よりプロテスタント教会のほうが多い。
ただし、ブラジルのプロテスタント教会はアメリカ合衆国のそれとは性格がかなり異なる
その他
ブラジルはサッカー大国であるため広く海外に人材を派遣しており、Jリーグでプレーする
外国籍選手に占めるブラジル人の割合が高い。アマラオやシジクレイのように長期に渡って
日本で選手生活を送る者もいる(Category:在日ブラジル人のサッカー選手を参照)。
また、日本各地にブラジリアン柔術やカポエイラの道場があり、在日ブラジル人が多数在籍
している。
ブラジルは徴兵制度を採っているため、成年になってから来日した男性はブラジル軍で
兵役経験がある者がいる。しかし、ブラジルでの兵役勤務率は徴兵者のうち10%未満に
過ぎず、諸外国よりも低い。日系ブラジル人の場合は非日系ブラジル人より平均学歴が
高く、兵役経験者の割合がより低い[要出典]。したがって、在日ブラジル人男性=兵役経験者
という図式は成り立たない。兵役期間は二年であるが多くの召集兵は一年で復員し、
軍隊内部では職業軍人の割合が増えている。
人物
団体
-
在日ブラジル人学校協会
-
ブラジル友の会(NPO法人)岐阜県美濃加茂市
-
関西ブラジル人コミュニティ(NPO法人)兵庫県神戸市
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報道機関
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アイピーシー・ワールド(テレビ局・出版・WEBなど、総合的なメディアサービス)
-
インターナショナルプレス(新聞)
-
トゥード・ベン(雑誌)
-
Bem-vindo!ブラジル街(ホームページ/フリーペーパー)
-
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222。在日インド人
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在日インド人(ざいにちインドじん)は、日本に一定期間在住するインド国籍の人である。日本に帰化や亡命した人(印僑)、およびその子孫のことをインド系日本人と言う。
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2008年の統計によると、およそ22,335人のインド国籍者が在住している。その多くは、近年のIT関係の技術者とその家族である。特に、東京都江東区や江戸川区に多く、地下鉄東西線の西葛西駅を中心とした西葛西地域がインド人コミュニティーの一大中心地となっているが、永住者は少なく一時滞在者が多い。一方、神戸には明治時代からインド人移民コミュニティが存在し、既に3世、4世の時代へ突入しており日本国籍を保持している人が多く、永住者が中心である。このように、日本のインド人コミュニティーは大きく二つに分かれている。
歴史
明治時代以降、貿易港となった神戸と横浜にインド人貿易商が住み着くようになった。関東大震災後、横浜のインド人達は神戸へ移住し、日本のインド人コミュニティーは神戸に集中するようになった。主に繊維を商うシンド人、雑貨や自動車部品を商うパンジャーブ人、真珠を商うグジャラート人などが日本と世界を結ぶ貿易商として活動していた。1935年には神戸モスクがインド人ムスリムによって建立されるなど、インド人街が形成された。現在、神戸にはモスクの他、ヒンドゥー教やシク教、ジャイナ教の寺院、インド食材屋、インド料理屋などが立ち並んでおり、日本の印僑の中心地となっている。
2000年代
江戸川区内に居住するインド人は2,840人(江戸川区統計・平成28年1月時点)で、その大半が西葛西エリアで暮らしているとのこと。 日本に在留するインド人30,048人(政府統計・平成29年6月時点)の1割に迫る数値だ。2018/02/02
2000年代に入ると、2000年問題のためインド人IT技術者のビザ発給条件が大幅に緩和され、多くのインド人が訪日するようになり、東京にもインド人コミュニティーが誕生した。特に江戸川区や江東区に多く、この2区には東京都内のインド人の4割が集中している。江戸川区には1990年までインド人居住者はは58人だったが、2006年には東京都で最もインド人が多い区となり、2012年には1,959人まで急増した[2]。
2010年代
2010年にインドの海外出稼ぎ労働者はアラブ首長国連邦や米国、サウジアラビアなどから本国に550億ドル(1位)を送金した[3]。
学校
日本国内に在日インド人向けの学校が数校あり、一部では日本人も受け入れている。
-
インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン(江東区) (India International School in Japan)
-
グローバル・インディアン・インターナショナルスクール(江戸川区)(Global Indian International School, Tokyo Campus)
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インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン横浜校(横浜市)
在日インド人・インド系日本人一覧
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A.M.ナイル・・・インド独立運動家。日本初のインド料理専門店ナイルレストランを経営した実業家。故人。
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アナスタシア・マルフォートラ・・・プロテニス選手。父がインド系イギリス人。
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アーリア・ナーガルジュン・・・日系人僧侶。1988年、インド国籍を取得。
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和泉新・・・サッカー選手。父がインド人。
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兼高かおる・・・神戸出身。父がインド人。
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G. M. ナイル・・・A.M.ナイルの次男で、ナイルレストランを経営した実業家。テレビタレント。
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Pico Iyer, 奈良県に住まいの小説家と随筆家。
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ダース・ローマシュ匡・・・プロ野球選手。父がインド人
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タルン・シェクハル・ジャ・・・インド出身のタレント・ヨーガインストラクター。
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グローバー義和・・・ミュージシャン。父がインド人。
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チャダ・・・インド出身の演歌歌手・実業家
-
サニー・フランシス・・・インド出身のタレント・実業家
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プラシャント・パルデシ・・・国立国語研究所 言語対照研究系 教授
-
真理アンヌ・・・役者・タレント。父がインド人。
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村上世彰・・・投資家。父がインド人と台湾人のハーフ。
-
プラニク・ヨゲンドラ(よぎ)・・・江戸川区区議、2019年の江戸川区議会選挙で初当選[4][5][6]。
-
ラース・ビハーリー・ボース・・・中村屋のボースとして知られるインド独立運動家。故人。
-
RENA・・・神戸出身のモデル。父がインド人。
「Category:インド系日本人」も参照
歴史[編集]2008年の統計によると、およそ22,335人のインド国籍者が在住している。その多くは、
近年のIT関係の技術者とその家族である。特に、東京都江東区や江戸川区に多く、地下鉄東西線の
西葛西駅を中心とした西葛西地域がインド人コミュニティーの一大中心地となっているが、永住者は
少なく一時滞在者が多い。一方、神戸には明治時代からインド人移民コミュニティが存在し、
既に3世、4世の時代へ突入しており日本国籍を保持している人が多く、永住者が中心である。
このように、日本のインド人コミュニティーは大きく二つに分かれている。
2000年代[編集]明治時代以降、貿易港となった神戸と横浜にインド人貿易商が住み着くようになった。
関東大震災後、横浜のインド人達は神戸へ移住し、日本のインド人コミュニティーは神戸に集中するように
なった。主に繊維を商うシンド人、雑貨や自動車部品を商うパンジャーブ人、真珠を商うグジャラート人
などが日本と世界を結ぶ貿易商として活動していた。1935年には神戸モスクがインド人ムスリムによって
建立されるなど、インド人街が形成された。現在、神戸にはモスクの他、ヒンドゥー教やシク教、ジャイナ教
の寺院、インド食材屋、インド料理屋などが立ち並んでおり、日本の印僑の中心地となっている。
2000年代に入ると、2000年問題のためインド人IT技術者のビザ発給条件が大幅に緩和され、多くの
インド人が訪日するようになり、東京にもインド人コミュニティーが誕生した。特に江戸川区や江東区に
多く、この2区には東京都内のインド人の4割が集中している。江戸川区には1990年までインド人居住者はは58人
だったが、2006年には東京都で最もインド人が多い区となり、2012年には1,959人まで急増した。
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「リトルインディア」西葛西にインド人が集まるワケ
巨大団地に集まる来日インド人の事情 佐野 真広
大家さんに贈る「外国人入居者」との付き合い方
2019.8.23
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人口減少が続き、将来の労働力不足が既定路線となる中、日本における在留外国人の重要度も
高まりつつある。不動産投資家にとっても、今後増加する外国人は有力な「入居者候補」と
なるはすだ。
一方、「外国人」と言っても、出身国によって国民性や文化は違うし、どんなエリアに住みたい
かといったニーズも異なる。外国人を入居者として「受け入れる側」である投資家も、
彼らのことを理解しておくに越したことはない。
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本連載では、フリーライターとして活動する傍ら、外国人不動産アドバイザーとして
100人以上の外国人の内見に立ち会ってきた佐野真広氏が、日本で暮らす外国人の
実際をレポートする。
第1回となる今回から数回にかけては、特定の国の出身者が集まる首都圏のエリアを探訪。
彼らがなぜそこに集まり、どんな暮らしを求めているのかを伝えてもらう。
今回は江戸川区・西葛西エリアのインド人街を取り上げる。
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「2000年問題」を機にインド人が増加
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「リトルインディア」という言葉を聞いたことがあるだろうか。多くのインド人が住む
東京・江戸川区の西葛西駅周辺を指し、こう呼ばれている。
東京・大手町駅から東西線でおよそ15分。江戸川区南西部に位置するこの街には、
インド国籍の人が大勢暮らしている。江戸川区の公式サイトによると、2014年に1959人
だった区内のインド国籍人口は、2018年には3758人に急増。5年でおよそ2倍に
膨れ上がった。
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「西葛西にインド国籍の住人が住み始めたのは1990年代後半から。コンピューターの
『2000年問題』(西暦の上2桁が変わることで、システムに誤作動が起こる可能性が
あるとされた問題)に対応するため、インドから多数のIT技術者が来日したのがきっかけ
です」と話すのは、地元で20年以上賃貸業を営む不動産業者のA氏。
官公庁の集まる大手町や証券会社が多い茅場町で働く利便性を考え、
この地に住み着いたのだという。
この流れを受け、2000年ごろからインド雑貨店や料理店も次々にオープン。
来日したインド人が日本の住みやすさを気に入り、知人、親類などを呼び
寄せたこと、また日本はインドに比べIT系技術者の給与が高いこと、そうして
充実していった西葛西のインド人街の充実が、インド人の来日増加に拍車を
かけ今に至っているようだ。
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もともと江戸川区は東京23区内でも家賃相場が安い。ワンルームであれば月額6~7万円程度、
夫婦や家族で住む2DK、2LDKタイプの部屋でも駅近でなければ月10万円ほどで借りられる
物件もある。
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「西葛西駅周辺には礼金や仲介手数料がなく、外国人でも住めるUR賃貸住宅が複数あることも
大きいでしょう。総戸数が1000戸を超える巨大なものもあります。そうした物件にインド国籍
の方が暮らしているんです」(前出のA氏)
彼らの日本での滞在期間は勤務先のIT企業のプロジェクト期間によって決まり、
基本的に短期間、長くても2年ぐらいだ。普通の賃貸では短期解約違約金を求められて
しまうことがあるため、UR賃貸住宅を選ぶのだという。
_____________________________
「インド国籍」が約4割の巨大団地
実際に駅周辺を歩いてみた。まず駅北側。タクシーが連なるロータリーを超え、大通りに
沿って3分ほど歩くと、目の前に地域随一と言われるUR賃貸住宅の団地群が現れる。
総戸数は1500戸以上。前出のA氏によれば「このうち30~40%の世帯がインド国籍」という
から驚く。
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団地1階の踊り場には、団地の住人のインド人男性が。なぜ、この団地にはインド人が
多く暮らしているのか。尋ねてみると笑顔を見せ、流ちょうな日本語でこう話
してくれた。
「インド人は基本的にフレンドリーで話し好き。だから1つの団地にまとまって住む
のを好む。それにこの周辺は激安スーパーや大規模な公園も多い。川も近くにあって、
どこかインドにいるような感じにさせてくれるのも魅力。周りに仲間がたくさんいる
ので、口コミで色々な情報が入ってくるメリットもある」
例えば部屋探しもその1つだという。来日直後のインド人は言葉の壁もあり、仲間の
紹介やUR賃貸に頼らざるを得ない。その後、定住したり、稼げるようになるとより高級な
マンションを探すことになるが、とりあえずこの周辺に住んでいれば、べつの物件に転居
する際、不動産屋に行かなくても「あのマンションは外国人が住める」というような情報が
得られる。実際に団地周辺にはそうした物件も多いそうだ。
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団地から北西に5分ほど歩けば、都内屈指の無料動物園と言われる「江戸川区自然公園」を
要する行船公園があり、隣接する宇喜多公園には緑も多い。さらにその奥には首都圏の水資源
を支える一級河川「荒川」が流れる。前出の住人によると、インド人にとって川は生活に密着
した重要な存在で、地方では現在も川で洗濯しているエリアがあるのだという。彼らにとって
居心地のいい場所であることは納得できる。
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駅の南側はどうか。こちらも徒歩数分圏内にUR賃貸住宅が乱立。親水公園など大小の公園群と、
住宅地が東京湾に隣接する葛西臨海公園、ディズニーランドのある浦安周辺にまで広がる。
「西葛西駅から葛西臨海公園に至る江戸川区南側エリアは緑や公園が多いため、日本人の
ファミリー層に人気がある。これはインド人にとっても同様で、定住を希望するインド国籍の
方がこのエリアに中古マンションや中古戸建を買うケースがここ数年見受けられます」
(前出不動産業者A氏)
収入が増えても港区や品川区には行かず、インド人街が形成されて暮らしやすい西葛西で
物件を探すということのようだ。
もっとも、最近はこの周辺も東京五輪特需で人気が高まり、売りに出る好条件の
物件が少ない。この影響からか、これまで西葛西に集中していたインド人が隣駅の葛西駅周辺
や東西線の北側を並行して走る都営新宿線沿線方面に移動。「インド人街」は年々拡大しつつ
あるとA氏は言う。
「西葛西駅に点在していたインド料理店、雑貨店が今では葛西駅、船堀駅周辺に
も増えていますからね。現在は3駅周辺で合わせて15店舗以上あると言われています
。日本で今後少子高齢化が進むと、郊外よりも便利な都心に住む日本人が増えると
言われています。そうなれば、それを避ける形で今後ますます葛西の北側、東側に
住むインド人が増えていくと思います」(A氏)
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富裕層の流入でマナーが向上
インド人の流入が加速傾向にある西葛西と葛西。では、日本人との共生はうまく
いっているのか。20年以上前から西葛西に暮らし、周辺地域のインド人コミュニ
ティーに詳しい関係者に話を聞くと「以前に比べればかなり改善されている」と
これまでの経緯をこう話す。
「2000年代の前半は日本特有の細かいゴミ出しルールが守れなかったり、
インド人が料理に使う強烈なスパイスによる匂いの問題もあったりと、たびたび
日本人とトラブルになっていたことは事実です。でも、2010年ごろからそう
いった問題は少なくなってきた。理由はインドの方々のマナー向上と、
インドから優秀な人材が集まり始めたことで待遇が向上し、富裕層が増え
たからでしょう」
日本にいる「先輩インド人」が増えれば、新たに来日したインド人も彼らから
色々と教えてもらうことができる。地域のルールに理解を深め、共存を図ろう
とするようになったのだろう。
前出の関係者によると、現在、西葛西周辺に住むインド人の多くは金銭的に
余裕があり、年収1000万円以上の富裕層も大勢おり、複数の土地、自宅、
マンションを保有するインド人もいるのだという。
「こうした人たちはとても礼儀正しく、港区や世田谷に住んでいても
おかしくない人たちばかり。身なりや礼儀、マナーについては、むしろ
西葛西に住む地元の日本人よりうるさい人もいるほどです。富裕層の流入
は他のインド国籍の人たちの水準を上げ、地域の治安や共生に貢献して
いるとも言われています。日本の不動産業界や投資家もこの流れに注目して
いるのか、ここ数年はこれまで敬遠していた外国人向けのアパートや住居
が確実に増えています」
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もともとこのエリアは売りに出される土地が少なく、大手不動産会社が土地を
買い占めマンションを建てているのが現状だ。現在も空いた土地が出ると
即座に買われ、住居用マンションが建つ。この結果、年々西葛西エリアの家賃
は値上がりしている。インド人もこの傾向を知っており、東や北方面に移動し
ているということのようだ。
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今後もインド人の流入が進むであろう西葛西エリア。周辺で物件を所有する
なら、彼らのことを理解しておいたほうがよいだろう。特に、彼らが料理に
使用するスパイスの問題。そのにおいが日本人の隣人とのトラブルの種になる
ので、この点を日本人入居者に理解してもらう必要がある。
また、インド人は基本的に彫りが深い顔で、日本人から見ると怖いイメージ
があるかもしれない。しかし、一度仲良くなると日本人以上に情のある人が多い。
だからこそ、一方的に「ここは日本だから」と上から目線で接し続けてしまえば、
全く信用してもらえない。インド人は家族、親族をとても大事にするし、
プライドも高い。そういった点もある程度理解しておく必要があるだろう。
(佐野真広)
2010年代[編集]
2010年にインドの海外出稼ぎ労働者はアラブ首長国連邦や米国、サウジアラビアなどから本国に550億ドル(1位)を送金した[3]。
学校[編集]
日本国内に在日インド人向けの学校が数校あり、一部では日本人も受け入れている。
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インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン(江東区)
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(India International School in Japan)
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グローバル・インディアン・インターナショナルスクール(江戸川区)
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(Global Indian International School, Tokyo Campus)
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インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン横浜校(
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横浜市)
在日インド人・インド系日本人一覧
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A.M.ナイル・・・インド独立運動家。日本初のインド料理専門店ナイルレストランを経営した実業家。故人。
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アナスタシア・マルフォートラ・・・プロテニス選手。父がインド系イギリス人。
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アーリア・ナーガルジュン・・・日系人僧侶。1988年、インド国籍を取得。
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和泉新・・・サッカー選手。父がインド人。
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兼高かおる・・・神戸出身。父がインド人。
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G. M. ナイル・・・A.M.ナイルの次男で、ナイルレストランを経営した実業家。テレビタレント。
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Pico Iyer, 奈良県に住まいの小説家と随筆家。
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ダース・ローマシュ匡・・・プロ野球選手。父がインド人
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タルン・シェクハル・ジャ・・・インド出身のタレント・ヨーガインストラクター。
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グローバー義和・・・ミュージシャン。父がインド人。
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チャダ・・・インド出身の演歌歌手・実業家
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サニー・フランシス・・・インド出身のタレント・実業家
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プラシャント・パルデシ・・・国立国語研究所 言語対照研究系 教授
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真理アンヌ・・・役者・タレント。父がインド人。
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村上世彰・・・投資家。父がインド人と台湾人のハーフ。
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プラニク・ヨゲンドラ(よぎ)・・・江戸川区区議、2019年の江戸川区議会選挙で初当選[4][5][6]。
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ラース・ビハーリー・ボース・・・中村屋のボースとして知られるインド独立運動家。故人。
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RENA・・・神戸出身のモデル。父がインド人。