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令和2年。新型コロナウィルス出現に世界中の人々が、ほぼ時を経ず、一緒に苦しみだし、乗り越えられず、人生のどん底を味わった。「お互いの大切さ」に真剣に気付き始めた。家族愛、兄弟愛、親子愛、人々との絆、平和、調和、伝統、音楽、芸術文化の大切さも想いだした。
ZOOM会議や 朝会が、いつの間にか普通になった。石山社中の石山裕雅さんのお話は朝会でお聴きして意気投合した。「里神楽」をおやりになっている。私たち日本の伝承芸術だ。現実的に、里神楽を愉しみたいと思う。幾つか資料を送って頂いた。日本の歴史、日本人の姿勢や行動、様々なことが、里神楽の切り口から、判ってくることが多々あるのに驚いた。神楽のルーツは「縄文」にあるという。
去年「縄文ワールドネットワーク」を立ち上げた。縄文時代は私たちの原点だ。調べるほど、まさしくそうだと思う。平和な時代が1万年も続いたのは、たぶん事実で「集団同士が殺戮」を繰返した証拠があまりないのだ。「大量に傷ついた遺骨」が殆ど見つからず、縄文遺跡は1%だけ。欧米もアフリカその他の地域では3%だそうだ。集団で戦うことがなく、個人的なうらみつらみでというのは在っても、集団は殆ど無いに等しかった。
ところで、縄文と言えば「原始女性は太陽であった」を思い出す。
皆さん ぜひ「里神楽」を応援してくださいね。日本の伝承文化を大切にして行きましょう。
観光立国で多くの国々に人々が訪ねるようになり、それぞれの伝統文化を大切にするようになった。「自分たちが辿って来た道」を反芻し「人間としての生きる」姿勢を再認識して、新しい時代の幕開けで「新しい文化」をつけ加え、深化、進化して行くのだと思う。
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『青鞜』発刊の辞
「元始女性は太陽であった」。女性解放運動の先駆者として知られる作家、
平塚らいてう(1886年 明治19年~1971昭和46年)が、雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(1911明治44年9月発行)に寄せた発刊の辞の題名である。その本文はこう始まっている。引用は、小林登美枝・米田佐代子編『平塚らいてう評論集』(岩波文庫、1987年)による。
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。/さてここに『青鞜』は初声を上げた。/
現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。/女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。/私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。女性よ、益々輝いて欲しい。わが3人の娘たちも。
(平塚らいてうさん)続きは 一番下に。記載。
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神楽を観る
物語の多くは日本神話を題材に、神楽の精神文化と演技を核として、能楽、歌舞伎などを巧みに取り入れ和製パントマイムによる無言劇というのが特徴です。
表現豊かな神楽面は、言語の壁を越えて世界人類が共感できる日本伝統芸能です。舞は、動と静から祝福のはどうを発振し、魂を揺さぶり、神と出会います。
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A. 神楽のルーツは縄文にあり
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石山社中のHPをクリックすると面白い。
里神楽のことが 判るので、なんだか懐かしい世界が広がっている。
★ 石山社中のホームページ
https://ishiyama-shachu.com/
★ 連絡は メルアドで お願いします。
miyaten1@yahoo.co.jp
★ 石山社中の電話番号:09081092083
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武州里神楽
(武州とは埼玉県・東京都の全域、神奈川の一部)を含めます どちらかというと東京の社中は江戸里神楽とネーミングしてます)
概要
名称 | 武州里神楽 |
読み | ぶしゅうさとかぐら |
指定の種別 | 市指定無形文化財(芸能) |
製作時期 | 江戸時代 |
所在地 | 野火止七丁目11番1号 |
所有者 | 石山裕雅 |
指定年月日 | 昭和42年3月8日 |
解説
文政元年(1818)に記した石山家所蔵の「御神楽壇発控帳」によると、石山内蔵之助が文政年間には、神楽師を勤めて村廻りをしていたことがわかります。所伝の曲には、素面で舞う曲と、面をつけて舞う神代(能)とがあり、面の舞には、天ノ岩戸、八雲神詠、天孫降臨など23の舞があります。石山家は 「野火止の太夫さん」と呼ばれ、現在も市内外の神社で、神楽の奉納が行われています。
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C. 日本伝統芸能の起源
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D. 里神楽「日本建国」石山裕雅 KAGURA
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E. 陰陽師の流れを汲む神楽
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★日本遺産とは★
主旨と目的
我が国の文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るためには, その歴史的経緯や, 地域の風土に根ざした世代を超えて受け継がれている伝承, 風習などを踏まえたストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化し, これらの活用を図る中で, 情報発信や人材育成・伝承, 環境整備などの取組を効果的に進めていくことが必要です。
文化庁では, 地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し, ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します。
世界遺産登録や文化財指定は, いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い, 保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は, 既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく, 地域に点在する遺産を「面」として活用し, 発信することで, 地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。
日本遺産事業の方向性
日本遺産事業の方向性は次の3つに集約されます。
- 1地域に点在する文化財の把握とストーリーによるパッケージ化
- 2地域全体としての一体的な整備・活用
- 3国内外への積極的かつ戦略的・効果的な発信
認定による効果
「日本遺産」に認定されると, 認定された当該地域の認知度が高まるとともに, 今後, 日本遺産を通じた様々な取組を行うことにより, 地域住民のアイデンティティの再確認や地域のブランド化等にも貢献し, ひいては地方創生に大いに資するものとなると考えています。
★今回の趣旨★
日本遺産認定を目指して、石山社中を核としたグループを結成し、有識者を招いて実行委員会を立ち上げる。今年中に申請準備完了して来春早々に申請する。
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コロナパンデミックが収まれば、日本への海外からのビジターは 3000万人から4000万人に膨れ上がる。それと共に受け手である日本各地の里神楽を活発化して備えるため。石山社中を核として、グループとして「日本遺産認可」申請する。認可に相応しい社中それぞれの伝承芸能を、更に極めて備える。
★実行委員会の組織★(案)(予定)
① 会長 石山社中 十世家元 石山裕雅 大夫
② 副会長 鷲宮催馬楽神楽 社中(予定)
③ 副会長 玉敷神楽 社中(予定)
④ 副会長 A, B, C 社中(予定)
⑤ 名誉会長 山元雅信 山元学校学長
(株)人間と科学の研究所 会長
⑥ 応援団長 山近義幸 日本道創設者 日本ベンチャー
大学学長
⑦ 応援団 メンバー 10名程度 著名人
⑧ 関係各都市行政 ABCDE (予定)
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★体験する
① 里神楽は石山社中で体験できるので身近に感じることが出来ます。私も体験予定です。
② 里神楽を通じて日本の伝統芸能に触れてみませんか。
③ 外国人の方へ日本への旅の思い出に伝統芸能の所作を身に着けて帰りませんか。
★ 気軽に体験
★家族やお子さんたちと体験できるそうなので ぜひ!!
新座市や和光市で体験ができる「かぐら塾」が年1回行っております。リズム、動き、元気いっぱいに楽しく世界の中の日本をしっかりとご紹介できる礼儀正しい人を目指します。
母国の魅力とは?の答えが見つけられる体験になるでしょう。

★本格的なお稽古
カルチャーセンターにおける講座の開催など、日々、文化伝統の継承活動を続けております。公演会や各種イベントに出演する神楽の伝承者を養成するための師匠から弟子への稽古他ジャンルのプロのパフォーマンスのプラスαとしてと対応します門下になる方は、健全な志を有し持続できる方ならば性別国籍年齢は問いません。

★体験してみよう これは本格的!

稽古場個人体験(グループレッスン)
稽古場個人体験
3,000円/30分(3回まで)
グループレッスン3人以上から
おひとり2,000円/1時間

かぐらっ子
かぐらっ子週1回(2時間)月謝1,000円(別途保険代がかかります)

本格的個人稽古
稽古場個人体験
おひとり5,000円/1時間

カルチャースクール
読売カルチャースクールにて開催中
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F. 田楽 作曲・演奏 石山裕雅
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山元先生
可愛いだけでなく尊い子にカグラッ子プロジェクト
CDもリリースしております
昨年、世界日報に一面で取り上げて頂きました。
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嫡男・十一 石山遥貴(はるき)の初舞台
2019年 3歳4ヶ月



素晴らしい日本人に聞くシリーズ
- 石山社中 十世家元 石山裕雅(いしやま ひろまさ) 様 プロフィール
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昭和46年、四世紀に亘り武蔵国に里神楽を相伝してきた無形文化財「武州里神楽」石山社中の十世嫡子として生まれる。
石山家は広域な神社を統括する神官を始祖とし、土御門流陰陽師の称号を下賜された関東でも最も古い正統神楽太夫の一家の後継者として幼年より八世政雄・九世大隅に勲陶を受ける。
国指定重要無形文化財「若山社中」丸謙次郎に師事。長唄三味線・今藤長由利に師事。国指定重要無形民俗文化財「若山社中」四世家元 若山胤雄に勲陶を受ける。能楽観世流重要無形文化財総合指定シテ方・遠藤喜久に師事。
民俗芸能家として里神楽・江戸囃子・寿獅子の囃子・舞全般を納め各神社、公演、大河ドラマ、CM等に出演。また邦楽笛方として歌舞伎座、国立劇場、全国各地の劇場、外国公演、芸能花舞台などに出演。横笛ソリスト・邦楽笛方としても活動し、十世家元を継承する。
CD「笛の季節」「和を以て」 各種 DVDをリリース。焼酎「里神楽」スイーツ「里神楽」プロデュ―ス。
「雅の会」「蒼天の会」「石山裕雅の会」「ライヴ和魂」「KAGURA 再見」「初志の会」「石山社中友の会」主宰
「日本民俗芸能協会」会員 「全日本郷土芸能協会」会員 「埼玉県文化団体連合会」会員
「新座市文化協会」理事 「朝霞市倫理法人会」 副会長
西武池袋コミュニティカレッジ 東武カルチャーセンター横笛講師
主な神楽奉納神社 井草八幡宮 保土ヶ谷神明社 石神井氷川神社 荻窪八幡神社 など
神楽師を生き抜く
「伝統を引き継ぐだけでは、今に生きている意味がないのです」
「里神楽」石山家十世家元を継承する石山裕雅様、幼少より神楽を学んだものの、本人曰く「苦節十数年」。二十一歳の時、笛の名手との出会いによって、ようやく目覚めた魂が飛翔しはじめることとなります。
現在、石山先生は日本の良き伝統文化を引く継ぐため、さまざまな試行錯誤を繰り返しています。伝統文化の深遠なる世界と芳醇なる魂、次世代へ継承していきたい心をじっくり語っていただきました。
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第1章 伝統を引き継ぐということ
藤原美津子: 以前、ご自宅に伺った際のお話がとても印象に残っています。
その後拝見させていただいた石山様の公演「里神楽の夕べ」も素晴らしかったです。幕の合間に、石山様が次の演目の説明もして下さったおかげで、より舞台が分かりやすくなりました。
蘇れ日本人の会 会長 藤原美津子
代々受け継がれた「里神楽」を通じた、伝統を守る立場の者として、石山様は日頃からどんなことを考え取り組んでいらっしゃるのでしょう?
石山社中 十世家元 石山裕雅様
石山裕雅様: 神社の境内でお祭りの時などに神楽を観せていたのが「里神楽」の発祥です。もちろん今もそれがベースにありますが、これからの時代は、神社からの依頼だけでは先細りしていってしまいます。「攻めは最大の防御」と言われますが、どんどん新企画を打ち出していかなければならないと思っています。ですから、自ら劇場などで公演をしているのです。
また、おそらく「里神楽」も舞台だけでは将来的に厳しいでしょう。今私は「里神楽」の焼酎とか焼き菓子を地元でプロデュースしています。いずれは居酒屋なんかも作って、情報発信していきたいと考えています。
藤原美津子: それは楽しそうですね。観光客の方なども、それを目当てに訪れるようになるのではないでしょうか。
石山裕雅様: いえ、観光客というよりは、地域の方々を視野に入れているのです。例えば、広島の安芸高田市には「神楽ドーム」があり、ドライアイスをたいたりする派手な神楽を毎日のようにやっています。
完全に観光の目玉として、地域を挙げて温泉、宿泊付きで行われているのです。私一個人がそれに太刀打ちするのは難しいでしょうから、全国的な観光としては厳しくなる。
ですから、私としては、いろんな切り口で「里神楽」を知っていただき、なんとか舞台を観に来てもらう流れを作ろうと、「石山社中友の会」というファンクラブも作ってみました。多様なとっかかりがあって、その頂点にちょこんとあるのが舞台という位置付けです。そのような発想で取り組んでいます。
「里神楽」自体も、今を生きている私たちが演じているものですから、現代的なスピード感であったり、美意識みたいなものが加わって当然です。常に時代の息吹を取り入れ、変化していくのが伝統なのです。試行錯誤しながら、結果としてそれを守っていくことができればいいだろうと考えています。
藤原美津子: 石山様から以前伺った「伝統を引き継ぐだけでは、今に生きている意味がない」いうお言葉は大変印象に残っています。日本の伝統を引き継ぎ、次に新たな創作を加えていく、それは本当に素晴らしいことだと思います。
神楽の継承と観光
藤原美津子:一般的には、宮中の「御神楽(みかぐら)」に対して、「里神楽」と呼ぶそうですね。例えば九州では高千穂の神楽が有名ですが、こういったものはどういう位置付けで、石山様の「里神楽」とどう違うのでしょうか?
石山裕雅様: 先ほどお話した広島の神楽もそうですが、高千穂の神楽も、「郷土愛」というものに非常に密着しています。ですから、「高千穂神楽」という固有名詞が付いているのです。
一方、「里神楽」は全国どこの神社でも呼ばれれば行きます。ですから、特定の「○○神楽」ではなく、「里神楽」と言っているのです。江戸時代は、そういった神社で行う「里神楽」だけで十分生計が成り立っていました。月次祭が毎日のようにどこかであったわけですが、今の祭りは土日に集中していますし、そもそも月次祭というものが無くなってしまいました。
藤原美津子:それは氏子の方の為にもったいないですね。月次祭は、ひと月間に必要なものを神様から授かるお祭りです。ひと月はあっという間のようですが、計画性を持って、それが叶う為の力を月次祭で授かる人と、漫然とひと月を過ごす人では、人生において大きな差になってしまいます。私の所では、毎月の月次祭でそれをしています。
石山裕雅様: それは素晴らしいことですね。
私としては高千穂の神楽もいいのですが、以前、宮崎県西都市(旧東米良村)で観た銀鏡(しろみ)神楽が素晴らしかった。いくつもの山を越え、谷を越えて行かなければならないような秘境とも言える地で、まるで縄文時代がそのまま残っているような感じのお祭りでした。
また規模もすごいのです。村々の祠には神楽面が御神体として祀られており、年に一度のお祭りの時だけ、みんなでその御神体を担ぎ、お祭り会場まで長い距離を歩いて行きます。各村の人々が一堂に会すれば、神楽面の数は何十枚にもなります。これを一枚づつ着け、一人一人が順番に舞うだけで朝になってしまうのです。
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神楽マニアの人などは毎年楽しみにしていて、地元の人々も毎年訪れる人は歓迎してくれます。やはり初めての人にはちょっと冷たい感じですね。郷土愛が強く、地域で十分祭りが成立しているから、お客さんを呼んできて欲しいという発想自体がない。マタギみたいな人が近隣の山に住む鹿や猪の首を捧げる様子は、血生臭くはありますが、まさに本来の「祀り」といった感じです。
藤原美津子:今でも地域のお祭りが残っているのですね。まさに神事ですね。
石山裕雅様: 翌朝、澄んだ水の流れる河原で、捧げた鹿や猪を火で炙り、みんなで焼酎を飲みながら食べるのです。最高でした。
藤原美津子:そのようなお祭りが続けられているということは聞いたことがなかったです。
石山裕雅様: ほとんど報道されていません。神楽の写真集を出しているようなカメラマンが何人か撮影に来るくらいです。
藤原美津子:観光客の方がどっと訪れるようになれば、お祭り自体が壊れてしまうのかもしれませんね。みんなに知ってもらいたい反面…痛し痒しですね。
石山裕雅様: たくさんの観光客が入ると自然も壊れてしまう。観光スポットになり始めてきた地域では、喜び半分、憂い半分ではないでしょうか。屋久島もそうです。人々が経済的に潤うから良いと言えるかもしれませんが、自然とか、文化そのものの価値が失われてしまう。
藤原美津子:後には何も残らなくなる、というケースがよく見受けられますね。
石山裕雅様: 神楽の継承と観光との両立も非常に難しい問題で、観光客向けにしかやらない神楽になってしまうのが怖いのです。観光客にウケるもの、観光客向けのショートバージョンをくり返しているうち、本来伝承してきたものが失われてしまう。
また、観光客向けの興行として成り立つようになると、今度はギャラが発生しないとやらなくなってしまったりするのです。つまり郷土愛が薄れてしまう。注目されているうちはいいですが、人が来なくなれば文化ごと全てなぎ倒され、何も無くなってしまう危険性があるのです。
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第2章 神様に捧げる神楽
「里神楽」は神事
藤原美津子:「里神楽の夕べ」では、幕の合間に石山様の説明がありました。神楽は台詞が無いので、この仕草はこういう意味、こういう場面である、といった事前の知識を持っていると、舞台がとても分かりやすくなります。
私たちも神楽のことを理解すれば、「里神楽」をより楽しめるようになると思います。
石山裕雅様: 神楽は歌舞伎と違い、単なるエンターテイメントではない公演です。能と同じく引き算の世界なのです。舞の動きや、神楽面、装束なども引き算して作り上げていく。
一方で歌舞伎は足し算の世界です。隈取りをしたり、動きも大げさで派手にして、ふくらませていく。同じ伝統芸能でも、まったく生き方が違うのです。
藤原美津子:それは言われてみないと分からない世界ですね。伝統芸能としてつい一括りにしてしまいますが、違う世界なのですね。
石山裕雅様: 歌舞伎はアメリカではうけて、ヨーロッパではうけないと言われています。一方、能はヨーロッパではうけて、アメリカではうけない。民族性の違いです。派手好きなアメリカ人のハリウッド映画と、ヨーロッパの哀愁漂う映画との違いのようなものです。
藤原美津子:「里神楽」がうけるのは、やはりヨーロッパの方になりますか?
石山裕雅様: どうでしょうか。「里神楽」は元々の原始的な神楽の発想や演出が根幹にありますが、尾ひれの部分は能や歌舞伎の良いとこ取りです。ですから、ある意味では中途半端とも言えます。貪欲に「良いとこ取り」をしてきていますから。
しかし、私はやはり神楽の根幹である、「神降ろし」をして神様にお観せし、その後「神送り」をして、お帰りいただくという一連の流れを最も大事にしたいのです。
藤原美津子:観客が主ではなく、あくまで神様に向かって演じているのですね。そこが単なる娯楽とは一線を画しているところで、そうすることによって舞台全体が引き締まっているように思います。
石山裕雅様: これは、日本の国の有り様にもよく似ています。神に向かってこそ神楽である、ということと、天皇陛下がいらしてこそ日本国民である、ということは似ていると思うのです。
神様を降ろすことによって、その空間が神社のような神域になります。そして、お客様は氏子のような存在になる。ですから、お客様も、私と同じ目線で神様を観て、神様をお迎えし、お送りしていただきたいと思います。大きな社殿の中で式典に参列していると考えていただきたい。そして、「神人和楽」という言葉通り、神様と人が一体になって「和」の芸能の神楽を観て、楽しんでいただきたいのです。
神楽は能とも歌舞伎とも異なる、神様と人を繋ぐ唯一無二の舞台なのです。
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神様を感じる瞬間
藤原美津子:「里神楽」に取り組んでいて、神様の存在を強く感じたことはございますか?
石山裕雅様: 舞台の上では二度ありました。
一度目は、国立能楽堂で稲荷の神様を演じた時です。幕内から出て行く際、自分がまさに稲荷の神様の御霊になっている気がしました。幕内が本殿にあたり、まさに御扉が開く瞬間のような気がしたのです。立っている姿勢そのままで天地と繋がったようなバランス感覚。これまで感じたことがない、自分がすごい大木になったような、大きなお社になったような、そういう感じでした。
もう一度は、王子の「北とぴあ」でやはり同じ役を演じていたのですが、飛び跳ねた瞬間、その滞空時間を非常に長く感じたのです。まさに時間が止まったような印象でした。そして、物理的にはありえない視点で、お客さんの姿を上から見ました。
あれは何だったのでしょうか。そういった感覚は、作為的に得ることはできません。
稲荷の神様が稲荷山より降り立つ瞬間
神楽は、現代劇のように何かを演じるというものではなく、むしろ憑依させるという感じで、作為的なものはないのです。ただ、それぞれの役の「型(かた)」というものがあるので、「型」を修めて「器」を作らないといけません。
なんとか「器」を作り、いかに中身の「魂」を入れるかということです。つまり「器」を作ることによって、トランス状態になり、自分を無くした時に何かがそこに入り、成立するということでしょうか。
現代劇にはこの「器」は無く、「型」も無いわけです。だから、どう演じようかと考えることになるのです。
伝統芸能で「型」があるものは、誰がやってもそこそこ見せられるようにはなります。しかし、そこから抜けるためには、自分の在り方、自分をどう真空にするかということが重要です。
よく言われる例えで、「型」破りと「型」無しは違う、ということです。現代劇は「型」無しのものであり、それはそれで良いのですが、古典芸能でそれをやってしまうと収拾がつかなくなる。だから「型」を修める。
しかし、そこに安住していてもダメなのです。自分なりにプラスαしていく、それが素晴らしいものであれば、その人の「型」として新たに残っていきます。良くなければ残りませんから、これは実験の繰り返しです。
ですから、「型」破りはした方が良いのです。
藤原美津子:ただし、それは「守破離」の中で十分基礎ができているからこそできることで、最初から「型」破りをやってしまったらダメですよね。
石山様は以前におっしゃっていましたが、「曲を作る時も、神様とぱっと会った瞬間に作れた曲は素晴らしいものができる。だけど、自分でこねくりましたりする時はいくらやってもできない」。本当にそうですね、私も原稿なんかを書いている時がそうです。
石山裕雅様: 自分が無くなった時に何かが入ってくる、何かのエネルギーと繋がるという感覚ですね。そして、また繋がってもらえるように、選ばれる人間でないとダメだということですね。
そういう閃きみたいなものの一番ベースになる力は、感謝をする心だと思います。感謝は、さまざまなことに気がつく能力でもあるのです。すべてを当たり前のことと感じていると、麻痺してしまって例え何かが降りてきていても、鈍感になって察知できないでしょう。
藤原美津子:そうですね。柏手も、右の手と左の手の高さが合わなかったら音が出ません。それと同じで、神様と自分がピタッとあった時、初めて音色が出るのですから。
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第3章 神話と里神楽
「天の岩戸」のお話
藤原美津子:石山様が演じられる神楽の演目について、それぞれの演目で、見せ場として工夫されていることなどをお話し頂けますでしょうか?
石山裕雅様: 例えて分かりやすい演目とし「天の岩戸」「天の返し矢」「土蜘蛛の精」を取り上げましょう。
まずは「天の岩戸」。天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)、天宇受売(あめのうずめ)、思兼神(おもいかねのかみ)、この四役が、「天の岩戸」の主な役です。そして、まわりには「諸神(もろがみ)」たちがいますが、これは何人いてもいいのです。
藤原美津子:神話の「天の岩戸開き」では八百万(やおよろず)の神々が集まっていらっしゃいますね。
石山裕雅様: 主役は天照大御神(あまてらすおおみかみ)なのですが、ほとんど岩戸の中に籠っていて、一番最後に出てくるだけです。主役ではありますが、あくまでも象徴的な存在です。思兼神(おもいかねのかみ)は非常に思慮深い神様であり、神様一人一人に指示する係なので、私たちは「渉外(しょうがい)」と呼んでいます。
一番大事な役は天宇受売(あめのうずめ)です。この天宇受売の舞が「神楽のはじまり」「芸能のはじまり」と言われていますね。この舞には「踊り」と「舞」の違いがありまして、大まかに言うと「踊り」は上下の縦の動きであり、「舞」は平行移動です。
「天の岩戸開き」に際して、天宇受売(あめのうずめ)が「踊る」ことによって神々に関心を持たせる時は「おかめさん」の面(おもて)を使い、「舞う」時は落ち着いた柔和な顔の面(おもて)を使います。また、それぞれ面(おもて)だけでなく、曲も違えます。
これは、地域とか客層によって使い分けるのです。田舎や子供向けに演じる場合には、派手に踊る「おかめさん」の面(おもて)、都会の目の肥えた客層の場合は舞う方の面(おもて)にします。
天の岩戸 天宇受売(あめのうずめ)が、「舞う」時は落ち着いた柔和な顔の面(おもて)
藤原美津子:両方を観てみたいですね。
「天の岩戸開き」の神話では、最後に「天晴れ(あっぱれ)、 あな面白(おもしろ)、あな手伸し(たのし)、あな清明(さやけ)おけ」と神々がおっしゃいます。
「天晴れ」とは岩戸が開いて、天が晴れた様子ですね。「あな面白(おもしろ)」とは明るくなって、それぞれの面が白くなって見えるようになったということ。「あな手伸し(たのし)」とは、子供のように手を伸ばして喜んでいる場面のことです。
石山裕雅様: なるほど、本当はそうだったのですね。
神楽では、天宇受売(あめのうずめ)の舞の時に「諸神」たちが「あな面白、あなたのし、あなさやけ、おけおけ」と合唱し、また最後に「おけおけ」と言います。実はこれはずっと謎だったのですが、「楽しいままにしておけ」の「おけ」だったのです。
最初の「天晴れ」は言いませんが、これはまだ舞っている最中に神々が合唱しているため、取ったのでしょうね。
ちなみに、三波春夫さんの「お客さまは神様です」という言葉も「天の岩戸開き」からきているそうです。「もともと歌や踊りを観て聞いて楽しんでいたのは、八百万の神様だった」というところからで、三波春夫さんが、天宇受売の役をやっているわけです。
藤原美津子:あの方のにこやかさは、そういう感じがしますね。「お金を持ってきてくれるお客様だから、神様だ」という意味ではなかったのですね。そのような深い意味が込められていたからこそ、大流行したのでしょう。
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I. 若山胤雄社中 江戸里神楽を観る会 3
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「天の返し矢」のお話
石山裕雅様: 今は日本神話の教育をしていませんので、みなさん、いきなり「里神楽」を観ても難しいでしょう。しかも、神楽は基本的に台詞がありませんし、「手事(てごと)」という和製パントマイムでやります。これもある程度前もって教えられていないと「何をやっているのだ?」という感じでしょう。
藤原美津子:かつての日本人は神話をよく知っており、教養も、想像力もあって、「ああ、あの場面をやっているのだ」と分かった上で神楽や能の舞台を見ていたのですが、今は違います。だからこそ、解説が必要なのでしょうね。
石山裕雅様: 「分からない」イコール「つまらない」で片付けられてしまい、二度と観に来てくれません。
藤原美津子:そうすると、神話の紹介とセットで公演しなければいけませんね。「天の返し矢」の、天若日子(あめのわかひこ)のお話を知っている方も少ないでしょう。
高天原(たかまがはら)から遣わされた天若日子は、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するという使命を忘れてしまって、大国主(おおくにぬし)の娘の下照姫命(したてるひめ)と結婚し暮らしています。
そこで、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は雉(きじ)を遣して、戻ってこない理由を尋ねさせるのです。
しかし、天若日子は高皇産霊神から与えられた弓矢でその雉を射抜き、その矢は遠く高天原まで飛んで行きます。そして矢を手にした高皇産霊神が、「天若日子に邪心があるならば、この矢に当たるように」と誓約をして下界に落とすと、その矢は天若日子の胸に刺さり、天若日子はそのまま死んでしまうのです。
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天若日子が高皇産霊神から与えられた弓矢で雉を射抜く場面
石山裕雅様: 天若日子は決して腹黒い役ではなく、女性に惚れ込んだ純粋な青年といった感じです。だからこそ、悲劇になる。悪者や三枚目に描かれていると、悲劇性が失われますから。義経と静御前の話に似ているのではないでしょうか。
実はこの天若日子、第二の使者です。第一の使者は天穂日命(あめのほひのみこと)なのですが、その末裔が出雲大社の宮司である千家家です。大国主を攻めていった神様の子孫が、大国主を祀る神社を守っているというのも、日本という国の面白いところですね。
この天穂日命は、お酒で失敗するという風に「里神楽」の台本では作られていますが、神話では、使者として行ったが媚びへつらって戻っていった、と描かれています。
藤原美津子:神話の中ではたった一行の文で終わってしまいますね。
石山裕雅様: この部分を膨らませて話を作っていて、使者として行った天穂日命に応対するのが、大国主の息子の建御名方(たけみなかた)になっているのです。「国をよこせ」とやってきた使者に建御名方はすごく驚きます。
しかし、建御名方(たけみなかた)はなかなかの曲者で、すぐに追い返したら面倒なことになると考え、天穂日命(あめのほひのみこと)に提案するのです。「少し思案します、あなたも長旅でお疲れでしょうから、奥の部屋にお休みください」
次に建御名方は、部下である「ひょっとこ」の面をつけた三枚目の「もどき」と共にいろいろ思案するのですが、ここが神楽としては面白い見所にもなっています。結局、建御名方が天穂日命に酒を飲ませ、目を回して寝たところをやっつける、という策を思いつくことになります。
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「もどき」は踊りながら酒を持ってくるのですが、天穂日命は「酒はいらない。国をよこしなさい」と迫り、建御名方(たけみなかた)は「この酒は私とあなたの友愛の印なのだから、少しでいいから召し上がってくれ」と訴えます。
そして毒味として、まずは自分が飲み「私の腹はまっすぐです」といっそう勧めるのですが、この酒は実はアルコール度数の高いきつい酒。「もどき」に注がせて、天穂日命に三杯ほど飲ませたところで、「高天原の舞はどんなに優雅なものか見せていただきたい」と願うのです。
天穂日命はすっかりいい気分で承知し、舞っているうちに酔いが回って倒れてしまう。そして、最後は建御名方が刀を突きつけ、天穂日命を追い返します。
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アルコール度数の強いお酒を建御名方に勧められて天穂日命が飲む場面をお話いただきました。
藤原美津子:よく考えた作戦ですね。楽しそうな舞台です。
石山裕雅様: 天穂日命(あめのほひのみこと)のあとの、第二の使者が天若日子(あめのわかひこ)なのです。一人目は酒で失敗、次は女で失敗です。三部作になっていて、三番目が賭け事で失敗する話、「幽顕分界(ゆうけんぶんかい)」となります。
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J. 里神楽「天孫降臨」
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「幽顕分界(ゆうけんぶんかい)」のお話
石山裕雅様: 三番目は、高天原が誇る最強の使者・建御雷神(たけみかづちのかみ)を遣わして、問答無用で国をよこせと迫ります。まず大国主が負けて、また建御名方(たけみなかた)が出てくることになります。今度は相当三枚目な感じの登場で、建御雷神を見て怖気付いてしまうのです。それでもなんとか、「力比べをして私が勝ったら出て行ってくれ、負けたら国を譲る」と提案する。つまり賭け事です。
この三部作はまさに、「飲む、打つ、買う」になっているのです。三番目の「打つ」で建御雷神が成功することになり、大国主は高天原に国を譲ります。
こういった「国譲り」を日本は二度しておりまして、これは世界史上でも他に例がありません。
藤原美津子:外国でしたら滅ぼしてしまうところです。日本独特の良いところですね。
石山裕雅様: 二回目の「国譲り」が明治の大政奉還です。これは日本独特のシステムである、天皇がいつつも、別に政権を預かっている幕府がいる、という構図があったからそういう裏技が使えたわけです。
古代の大国主の時代は、まだ国々が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)している時代でした。それでも「革命」ではなく、「維新」で維持しつつ新しくしていった、引き継ぎながら新しくしていった訳です。
そして、「幽顕分界(ゆうけんぶんかい)」とはどういうことなのかと言いますと、「幽」というのは宗教的な意味合い、「顕」というのは政治です。それまで政教一体だったものが、「国譲り」によって大国主が宗教的な意味の象徴として出雲大社に祀られ、政治は高天原に譲った。「分界」とは世界を分けることであり、「幽界」と「顕界」を明確に分けたということになります。
神楽では演目名によく漢字四文字を使うのですが、「幽顕分界」が「国譲り」をテーマとした神楽のタイトルになっているのです。
藤原美津子:「幽顕分界」の意味の解説が入ると、すごく納得がいきますね。
紅白梅と老松の蒔絵の豪華な太鼓
石山裕雅様: この三部作があって、最後に「三神和合(さんしんわごう)」の演目をやる場合があります。「三神」は、建御名方(たけみなかた)と建御雷神(たけみかづちのかみ)、経津主(ふつぬし)あるいは鳥船(とりふね)です。
ちなみに、「里神楽」では建御雷神のことを「先攻め」、経津主あるいは鳥船のことを「後攻め」と言います。建御雷神が先に攻めて、逃げた建御名方を経津主が追う、それで「後攻め」なのです。
藤原美津子:神楽をやっている人にとっては「先攻め」「後攻め」なのでしょうが、一般の人には鹿島の神様が建御雷神、香取の神様を経津主、諏訪の神様が建御名方と言った方が分かるでしょうね。
石山裕雅様: 逆に「里神楽」をやっている人は、「先攻め」は建御雷神、それでどこの神様だ? という感じです。演劇として一人歩きし過ぎて神話から離れているところもあって、私はそれを引き戻そうとしているのです。「もっと神話や神道も学ばないといけません」と言っています。
「三神和合」では、「先攻め」「後攻め」と建御名方が輪になって舞を舞います。勝った負けたではなく、うまく収まったということを表現しているのです。ここに「和をもって尊しとする」という日本の精神があるわけです。
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「土蜘蛛の精」のお話
藤原美津子:「土蜘蛛の精」は世界的に上演してもいいくらい、華やかな場面がありますね。投げる蜘蛛の巣は、すごい見せ場になります。
石山裕雅様: 誰が見ても「どうやってやっているのだ?」と興味をそそられる演出だと思います。いわばマジック神楽なのです。ただ、私はそんなに好きではありません。
先述の「幽顕分界」等の方が、覇権を争っているので、騙し合いや、色恋もあったりして、話が非常に深く、真理があって面白いのです。ただし、心理劇になればなるほど会話は多くなりますが、セリフではなく和製パントマイムの「手事(てごと)」をいろいろ使いますから、分かる人でないとつまらないかもしれません。
藤原美津子:やはり、意味が分かる方が数段楽しいですから、解説が欲しいところですね。 「土蜘蛛の精」では、石山様が製作を依頼したという「土蜘蛛」の面(おもて)がとても印象に残っています。
見せ場の蜘蛛の巣
石山裕雅様: 通常、「土蜘蛛」で使われている面(おもて)は「しかみ」という、しかめっつらをしている顔なのですが、それですと神楽では物足りないと考えて、鬼のような様子にしたのです。能で「獅子口」という面(おもて)があるのですが、その中で私が良いと思ったものをベースにして、顎をもっとしゃくらせ、角を付け、新たな面(おもて)を作りました。角の生え方にもこだわっておりまして、よくある鬼の角の角度ですと敵を突けないと思いました。ですから、先端を下向きにして敵に向かう刃というかたちにしたのです。
藤原美津子:すごく迫力がある面(おもて)ですね。遠目で見ても、怒りの形相がよく分かります。
石山裕雅様: 「土蜘蛛」の話は、本来、土着の民を征伐したという理不尽な話です。「土蜘蛛」の方が先に仕掛けてきたから征伐したという脚色で、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)で楽しめるようになっていますが、本来はむしろ可哀想な話なのです。歴史というものはあくまで勝者の歴史であり、勝者が正当化されています。ですから、この怒っている顔には、「何故、私たちを」という深い悲しみも潜んでいるのです。そういう思いも込めた造形です。
藤原美津子:これは、新しい時代を開いた面(おもて)ですね。
石山裕雅様: 一方的に退治されたくないという「土蜘蛛」の主張が、蜘蛛の巣をまくという行為にもなっている。必死な抵抗をしているお話なのです。
藤原美津子:その場面は舞台ではすごい見せ場です。やはり、面(おもて)の持つ役割というのはすごく大きいですね。
石山裕雅様: 「人形は顔が命」というのと同じで、神楽も仮面劇ですから、面(おもて)が演出をすべて決めてしまいます。面(おもて)をつけないとその役にならないわけですから、御神体みたいなものですね。
石山様が製作を依頼した「土蜘蛛」の面(おもて)
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第4章 次世代へ繋げていく
名人の見立て
藤原美津子:以前にお伺いしたのですが、面(おもて)にも出来の良い悪いがあるそうで、それはどういうところで見分けるのですか?
石山裕雅様: やはり、目です。
ただ、良い面(おもて)と悪い面(おもて)の違いというものは、例えばラーメンの美味しさを完全に言葉で説明しきれないように、言葉の限界があって説明するのが難しい。しかし、パッと見た時に分かる、つまり勘(かん)なのです。それと、出会いを感じられるか否かでしょうね。良いものとの出会いでは、「これは私に使って欲しくて、私を待っていた」というような感覚を持つものです。
藤原美津子:千利休が茶器の見立てをした時のように、「名人の見立て」というものがあると思うのです。どうしてこの茶器が良いのか、言葉ではうまく説明できないけれども、きっとそういうことなのでしょうね。
石山裕雅様: 出会った瞬間に、そのものの本質と、可能性や将来が見えるということでしょうか。
藤原美津子:素晴らしいですね。
稽古場では、面(おもて)がまだ新しすぎるからと、わざと日に当て焼けるようにして置いているところも拝見しました。
石山裕雅様: 日本人の美意識として、こういうものは古ければ古いほど良いとされます。面(おもて)は使われることで、人の汗や息で水分を吸い、それが表面に浮いてきて、時代と共にだんだん色が落ち着いていくのです。
百年くらい経つとちょうど良い感じになります。それを過ぎて黒くなり過ぎてしまうと、塗り替えたりすることもあるのですが、そうすると価値は落ちてしまいます。
「どんなに技術があっても、時代は超えられない」という言葉があります。百年の古さは作れませんし、結局、百年経たものの方が良く見えるということです。ただし、これは使っていてこそで、博物館のようなところで飾っていたのではダメなのです。
藤原美津子:使っていないと、命が吹き込まれないということなのでしょうね。面(おもて)として人と一緒に舞っていて初めて、そこに命が吹き込まれるのですね。
石山裕雅様: 本来、飾るものではなく、舞台で使われるものですから。また、部屋の中では良く見えても、舞台で着けた際に思ったより良くない、ということもあります。すぐそばで見るのは作っている職人の視点ですが、本来は遠くから見るものですから、舞台でこそよく映えるべきなのです。
次世代へ引き継ぐために
藤原美津子:石山様は、息子さんが生まれてすぐ「この子が十一代目です」と宣言し、命名の時からずっと仲間のみなさんに知らせておられますね。私はこういうことがすごく大事だと思っています。
石山裕雅様: 石山家の「里神楽」はもちろん残していかなければいけませんが、私は息子にただ引き渡すだけでは無責任だと思っています。私の父は農家も兼業でしたが、私は父と違うことを行い続けて、今では「里神楽」専業の体制を作りつつあります。この体制をある程度成り立つようにしてから息子に渡したい、と考えているのです。
「子は親を選べない」という言葉がありますが、私はそう思っていません。むしろ、子は親を選んで生まれてきた。幽界のようなところで、使命をおび、「あの家に生まれなさい」というようなことがあったに違いないと考えているのです。子供は必ず意味があって、そこの家に生まれている。
藤原美津子:私の会でも「天命」ということを教えています。天から命じられた使命のことです。「天命」には三つあり、その人本人が持っている「天命」、どの家に生まれたかという家筋としての「天命」、そして、日本に生まれた日本人としての「天命」があります。
中でもどの家に生まれてきたかということは、実はものすごく意味があるのです。親の志を継ぐということ、先祖からの思いを受け継ぎ、次へと繋げていくことによって、自分も鎖の一つになっているのです。
石山裕雅様: 私も、子供には試されているという感じがします。
藤原美津子:石山様は、お七夜で命名するところから、お食い初め、みなさまへの初お目見え、お宮参りと、伝統行事をしっかりされています。私はそこに次世代に繋ぐということ、そして神への祈りを感じました。現代では伝統行事を省略する家庭も多いようです。
しかし、それらを一つ一つ丁寧にすることで、その子の魂が育っていくのではないでしょうか。そういった積み重ねがその家の伝統を受け継ぐことになり、神様とも繋がり、守られ成長していくことになるのだと思います。
石山裕雅様: 私はある意味では、我が子を十一番目の人柱のようなものだと考えているのです。それは、古いものがどんどん捨てられていく時代の流れの中、伝統を残していくということは激流の中に一本の柱を立てるようなものだからです。普通の仕事で生きていくのとは一味違う苦しみがあります。
しかし、石山家十代目までの人柱の DNAと思いを受け継いでいるのですから、それをよく理解させることが、生きていくための強い背骨を作っていくことになるはずです。
藤原美津子:人は決して自分一人で立っているのではなく、木で言えば根っこにあたる先祖や親たちが、目に見えないけれども支えてくれているのです。
石山裕雅様: ボクシングのチャンピオンの拳一つには、おそらくものすごくたくさんの人々の思いがのっているでしょう。だからこそパンチも重いし、簡単には倒れない。我々で言えば、笛のひと吹き、舞のひと足、、太鼓のひと撥であったり、それらが一般の人々より重く深くならなければいけない。
そういう精神的な糧を宿らせつつ、「里神楽」を残していく道筋をしっかり固めてバトンを渡す、という段階にしないといけないですね。
石山様演奏
そして絶対に一人ではやっていけませんから、いかに人に応援したいと思ってもらえる人間になるか、ということでもあります。
藤原美津子:その家に生まれてくることも、天命ですね。 私もそう思います。
石山裕雅様: 私も、子供には試されているという感じがします。
藤原美津子:これからが楽しみですね。石山様がおっしゃられたように、激流の中を立っているだけでなく、鮭のように遡っているのですから大変だとは思います。しかし、本来持っている力を出そうとしておられるのだ、と思っています。ますますのご活躍が楽しみです。
石山様のお子様のお話のときに、赤ちゃん誕生の際のしきたりの話が出ましたので、詳しくお知りになりたい方は、当会 「心を添えてこそ美しい 日本のしきたり」をどうぞ書籍詳細を見る>> | ![]() 2013年8月8日発売 藤原大士 藤原美津子 著 定価(本体1,300円+税) |
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「平塚らいてう」続き
発刊の辞とは言っても長い文章で、文庫版で十六頁にわたる。このあと、フリートリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』からの引用や、「天才」をめぐるロダンの言葉がちりばめられ、いま世に唱えられる「女性の自由解放」を超えて、「真の自由解放」をめざすことが、高らかに宣言されている。
女性を「家庭という小天地から、親といい、夫という保護者の手から」解放し、「独立の生活」をさせること。高等教育を授け、「一般の職業」に就かせ、参政権を与えること。そうした通常に唱えられる「自由解放」は「手段」あるいは「方便」にすぎず、それをのりこえた「真の自由解放」を目的として目ざさなくてはいけないというのである。その「真の自由解放」が、すなわち「太陽」としての女性の真正の姿を復活させることにほかならない。
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この文章が書かれて百年以上がすぎた現在に至っても、日本社会ではまだ通常の「自由解放」すら、十分に実現されていると言いがたい現状からすると、それを超えた「真の自由解放」を宣言するらいてうの言葉は、あまりに突飛なようにも見える。女性の内にある「潜める天才」を十二分に発揮させることだと説明されてはいるのだが、いかなる状態がこの「天才」すなわち「太陽」の顕現と言えるのか、いささか謎めいている。
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実はこの文章を書いたときはまだ、「社会問題や婦人問題」について、書物を読んで十分に勉強していたわけではなかった。そういう驚くべき事実が、らいてうの晩年の自伝には見える。厳密には小林登美枝による聞き書き、いわばオーラル・ヒストリーとして執筆・編集された『元始、女性は太陽であった』全四冊(大月書店、一九七一年~七三年)における回想である。
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二十歳代なかばの若い女性たちが五人集まって始めた、女性による女性のための雑誌という初の試みである。慣れない編集・校正作業に奮闘するあいまに、発刊の辞の執筆を引きうけることになったらいてうが、一晩で書き上げたという。
「まったくわたくし一人の考えで」書いたと回想しているが、五人の女性たちの、雑誌の刊行にむけたエネルギーが文章に漂う熱気を支えていることは、まちがいない。
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ただ自伝のなかで、『青鞜』の創刊について語る章の末尾には、奇妙な一節がある。最初のころの号に、らいてうはエドガー・アラン・ポオの作品の翻訳を連載しているが、それは三年前、作家、森田草平と一種の心中未遂事件を起こし、それがスキャンダルとして世間に報じられたあと、信州の山の麓にある養鯉所で隠棲していたときに、書きためていた仕事であった。
そのなかで短篇「黒猫」を手がけていたときのようすを、こう回想している。
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「黒猫」を訳しているとき、養鯉所の母屋に大きな尾の長い黒猫がいて、それが音もなくわたくしの部屋の前を通りすぎたりするのを眺めるのは、ぞっとするほど気味の悪いものでした。
むろん、猫嫌いのわたくしのそばへ、猫の寄ってくることはありませんでしたが、ほんとうに珍しく胴の長い大きな、真黒な猫でした。
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猫嫌いや、ポオの作品と重なったせいもあるとは言え、このときらいてうは、「真黒」な猫の姿に、現実をこえた神秘的なものを感じている。
これと同じく、「太陽」としての女性の「潜める天才」もまた、単に頭脳に備わった能力を指すだけではなく、目に見えない世界と直結する感性を指し示しているのではないか。
そしてそれは、平塚らいてうという人物がもつ思想の特異さとも関連するように思われる。
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