台風19号が我が家の近くを去って、明け方に被害状況をずっとテレビで見ながら スクワットしていた。チャンネルを変えたら「宇江敏勝さんとの対談」の真っ最中。炭焼き小屋で子供のころから生活して、生活が性に合っているということで 他の人たちが山を下りても、一人留まって大好きなご本を沢山読み続けていたという。学校から本を送ってもらったりしながら 読みふけっていたという。私は、すっかり魅せられて最後まで聴いていた。
「私と真逆の人生」。いや殆どの人たちと真逆の人生。訥々と語る言葉に重みがあり、すっかり気に入った。これは 読まねば!!と。さて、どのような人生を送ろうか? 何に向いているのか未だに彷徨い続ける自分とは真逆。素晴らしいご本を書いておられるのだろう。と肌で感じた。
よし片っ端から 読んでみようか!!
ところで備長炭は ラオスやタイで炭焼き名人に教わっていたので多少土地勘がある。中国もラオスも備長炭の類は掘りつくされ、絶滅してしまった?ので、似たような木を探して、多くの炭焼き名人が、探し求め、ラオスやタイで代わりに「マイチュー」という木を見つけた。私の先生のお一人「瀬浦さん」だ。実際にご一緒に中国へ行ったり ラオスで行動を共にして炭焼きの箱詰めも少し手伝った。なんと出張旅費まで出してくれた。
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CHARCOAL MAKING
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紀州備長炭ができるまで ①Making of japanese charcoal[kisyubintyotan]
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マイチユウ炭は、備長炭ほど 6~8時間は持たないものの、「5時間前後」持つようで 師匠は商品化して日本に送り始めた。もう10年以上前の話だ。瀬浦師匠は、まだラオスで頑張っていらっしゃる。時折ラオスにお誘いの声をかけてくれるラオス政府から何度も表彰されていて現地でも著名な日本人として高く尊敬されている。
当時 私はタイで、広島大学院の中根周歩先生の指導の下、タイの竹(根が横には広がらず縦に張る、また真ん中の穴が細く肉厚)で竹炭を陸軍と一緒に47基つくり焼いていた。当時お世話になっていた会社が 5億円もタイの竹の植林に貢献してくれた。タイではシリキット皇后が 先ほどのマイチュウの木を愛して育てていると聞いたことがある。中国ではウバメガシの根っこまで焼いて炭にしてしまい。ウバメガシが全滅したが、ラオスやタイでは 枝の剪定や間引きした木々の実、炭に加工していた。民族性の違いは 貧しさの性もあると思うが こういうところにでると感心した覚えがある。
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Making homemade charcoal in rural Thailand. 12,097 回視聴
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竹炭の効用は大きなものがあり、今では備長炭だけではなく、孟宗竹でも保水力があるとのことで 屋上緑化の良い材料として普及活動がつづく。
私は小池百合子さんが環境大臣の時のエコプロダクト展示会で ビジネスコンテストに応募を求められ ヒートアイランド現象対策として「竹炭が日本を救う」というテーマで応募させて頂いた。データは すべて中根先生のご指導で学んだものばかり、
竹炭を5cm屋上に載せ、その上に真砂土を10cm敷くと いったん雨が降ると竹炭の保水力が抜群なので ずっと水を含み、ゆっくりと蒸発。乾季でもなんとか植えたものが生き延びる。水をやる灌水システムは不要なので とても安上がりで対策ができるという代物だ。
炭は健康にも良く風もさわやかだ。中根先生のご指導が良かったのでなんと「環境大臣賞」を頂いた。
先日 何年かぶりにお世話になった中根周歩先生の講演会に駆けつけてお世話になったお礼や旧交を温めた。備長炭を使う焼き鳥屋さん、うなぎ屋さんのお店に行くと走馬灯のように ラオスやタイ、中国の現場を思い出す。 だれか備長炭をさかなに一杯やりませんか??
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紀州備長炭ができるまで② Making of japanese charcoal[kisyubintyotan]
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[朝日新聞 2002年12月1日] 著者に会いたい 『宇江敏勝の本』第1期全6巻 「山びと」の記録を集成 山の暮らしや風景、動植物の姿を書きとめた選集。『宇江敏勝の本』第1期が『若葉は萌えて』で完結した。7年がかりの息の長い仕事となった。 紀伊半島の山林で炭焼きを営む両親のもとで育った。高校卒業後、町で就職するものの、数カ月で辞めて山に帰った。後に「青葉吹く風を胸一杯に呼吸して、・・・帰るべきところへ帰ってきたという思いがした」(『山びとの記』中公新書)と記したように、根っから山びとなのである。自らも炭を焼き、やがて植林の仕事に携わる。山深い作業現場の小屋で「ミカン箱にろうそくを立てて、読み書きをする」日々を過ごした。 「最初は創作をやるつもりやった。そのうち、自分が非常に特異な世界にあるんやないかなと気づくんです。山林の生活を内側から書く人はいない。ありのままを記録した方が値打ちがあるんやないか、と」 自身の生い立ちや山林の生活をつづった『山びとの記』を80年に上梓した。簡潔な文体と、体験に裏うちされたリアリティーが注目を集め、執筆の依頼が続いた。紀伊半島だけでなく、日本各地の山びとを訪ね、紀行やエッセー、聞き書きなど様々なスタイルを駆使してつづった「記録文学」の集成が、今回の選集である。 選集からは、山の暮らしと山林の姿が、高度成長とともに大きく変貌していったことが読みとれる。林道の開発で、山仕事の人たちが里の住まいから現場に通う「里びと」になった。雑木林だった山林は、大規模な植林でスギとヒノキの「美林」に生まれ変わったが、その後の林業の低迷で間伐すら十分でない–。山と濃密に交わりつつ山と対峙することを忘れない、作家としての姿勢もまた行間にうかがえる。 現在は熊野の里に居を構えて、文筆中心に暮らしている。「今でも自分の山に木を育ててます。今度は広葉樹の林を作ろうと。一生、山とのつきあいですね」とほほえむ。(新宿書房・2000~2200円) 文と写真・西岡一正 |