★出口会長からコメント:重要議題として審議をお願いします。 会員を募るのか、イベントに呼ぶのか、古代文字研究者、縄文関係者など、出口に何を期待するのかで、司会のトークやアンケートの内容が変わってきます。縄文の活動に具体的に弾みがつくようにやりましょう!よろしくお願いします!
★2/14のメキキユニバーシティ縄文編をあげさせてください。 300人近い人を集めたいと思ってます。 光さんは、明日、前から入っている別法人のミーティングで参加できませんが、縄文ワールド・ネットワークの発起人や賛同者を集める場として、光さんの持ち時間を使ってでも取り組みたいと言ってくれました。 皆さん、嬉しいではないですか! 明日は、よろしくお願いします。
★(今井さんコメント:縄文ロハスカフェは、地域の活性をテーマに、自治体と組して、地域交流の場所として、全国の縄文遺跡がある78カ所の自治体の集まりである縄文文化発信サポーターズにそれぞれの遺跡施設に、縄文集いの場、情報交換の場として、健康的で安全な材料を提供するLOHASなカフェとして提案したいと考えます。これは縄文ワールドネットワークの地域活性事業としたいと思いますが、如何でしょうか? この場所から縄文に触れて縄文に興味を持つキッカケになる場になればと思います。 それぞれの遺跡施設に提案したいと考えましたが、如何でしょうか?
★ (今井さんコメント)一番私たちに期待しているのは、縄文遺跡に観光客が訪れる手助けをすることです。 聖火台になり、かつアイヌが開会式に行進して、2020年に縄文が世界から注目されます。まず国内でこれを盛り上げたいというのが、全国78カ所の遺跡、縄文文化発信サポーターズの願いです。これに協力することが縄文ワールドネットワークの役割ては無いでしょうか?
★名取さんコメント: まずは78カ所を繋げ、情報発信のお手伝いをして信頼を得ることが大切かと。カフェは信頼を得た後の方がよいのではないでしょうか?
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000.(1) 世界先住民平和フォーラム (今井さんコメント:浦川さんに2020年の先住民平和会議の先導をして頂くようにお願いをしてまいりました。 7日に、実行委員会の設置を提案させて頂きたいと思います。 縄文ワールドネットワーク、目的に向けて船出の年です。)
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① 世界先住民平和フォーラムは、平和の祭典である東京オリンピックとパラリンピックの開催までの間、世界の先住民族の人権と基本的自由をテーマにしてそれぞれ固有のアートや音楽、芸術表現、さらには独自の文化に育まれて生まれた食文化などを体験する場であり、彼らとの出逢いを通した触れ合いの中で、先住民が共通して大切にしている「OneThird」のフィロソフィーを体現して、先住民族の存在を知って頂く場を創出します。
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② また同時に、先住民族の権利を向上させるために国や民族、言葉や宗教などを越えた人たちによるトークフォーラムを開催します。その目的は、彼らのアイデンティティーを理解し、先住民族の権利を守るために世界ががどうすべきかを一緒に考え、情報を交換しながら、その存在をリスペクトする人たちが増えることを目的にしています。世界中の言葉や宗教、異なる民族や人種の壁を越えて、一人でも多くの人々が手を結び合い、より平和な世界に寄与する活動へと発展させるための先住民平和宣言を発したいと考えています。
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③ 世界先住民族会議は、世界の先住民族による国際的連合体。 1975 年 10 月にカナダで開催された「第 1 回国際インディアン会議」の際に結成されました。本部はカナダのオタワに置かれ。a. 北アメリカインディアンやb. イヌイット (→エスキモー ) ,c. ラテンアメリ カのインディオ (→ラテンアメリカインディアン ) ,d. オーストラリア先住民 (アボリジニ) ,e. 日本のアイヌなど,先住民 族の政治的・経済的・社会的権利の保護,衰退しつつある固有文化の保持などを目的に活動を展開しており,「先住権」や先住民自身による「自決権」の確立を求めています。
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④ 2007 年、画期的な「先住民族の権利に関する宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples)」が総会によって採択され、文化、アイデンティティ、言語、雇用、健康、教育に対する権利を含め、先住民族の個人および集団の権利を規定して先住民族の制度、文化、伝統を維持、強化し、かつニーズと願望に従って開発を進める先住民族の権利を強調しています。
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⑤ また、先住民族に対する差別を禁止し、先住民族に関係するすべての事項について完全かつ効果的に参加できるようにする。それには、固有の生活様式を守り、かつ経済社会開発に対する自身のビジョンを追及する権利も含められます。
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A.北海道先住民「アイヌ」について詳しく解説!アイヌ語・子孫・差別の現状とは…25,838 回視聴 ハテナ見聞録
2018/04/09 北海道周辺で暮らしていたと言われる先住民、 「アイヌ民族」。 アイヌ民族を描いた漫画作品「ゴールデンカムイ」の影響で、 今アイヌ民族が話題となっています。 独自の文化、歴史的背景による迫害、差別… 現在にいたるまで、アイヌを守ろうとする活動が各地でおこなわれています。
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B.アイヌのイベントに坂本龍一氏を招待 LunaticEclipseAinu2
2015/01/06 チャンネル登録 59 <参照> 神々のうた 大地にふたたび アイヌ少女 知里幸恵の闘い / あるダムの履歴書:二風谷ダム / スコットランド 響き合うアイヌの心 / 先住民族サミット アイヌモシリ / アイヌとして生きる http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-ni…
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★備考(山元)先住民族の人たち。一番なじみの深いアイヌの人々。予言の民 ホピ族。アメリカインディアンその他の人たちの話は いつも興味深々。いつも深遠な言葉をお聴きして、原点に立ち返ることが出来るからだ。これまで様々な人たちとの交流があり、様々な知恵や生き方を教えて頂いた。お気にいりの本は 断捨離出来ずに何冊も捨てられない。(先住民族の一覧表は 一番下に記載)
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★備考(今井)縄文ワールドネットワークは、2020年に「人と自然と平和のための地球会議」の一環として、(世界先住民平和フォーラム)を、 北海道白老町のアイヌ象徴空間*ウポポイにて、世界先住民平和フォーラムの開催を目的として活動をスタートしました。日本から平和メッセージを世界に! 素晴らしい世界を共に創ろう!絶対に出来る。出来る。出来る。闘志を燃やそう!!
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C.『カムイと生きる』予告 C2[シーツー]予告&インタビュー動画 2012/05/11 登録 1.1万
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D. 知里さんとアイヌ民族学者との出会い②=NIU=Ngo国際大学&Ngo未来大学院
john clark 2017/09/23 チャンネル登録 6136
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E. アイヌモシリ ~アイヌ民族の誇り~215,713 回視聴 hokkaido 2012/11/14 登録 4185
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It’s A Good Day To Die WapiskisiwMahihkan 2009/08/06
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111. Indigenous peoples around the world still look to Māori for leadership and guidance
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カナダの先住民族
カナダの憲法では、3つのグループが明確な先住民族として認定されています。ファースト・ネーションズ(北米インディアン)、メティス(先住民とヨーロッパ人の両方を祖先とする人々)、イヌイット(北極地方の人々)の3グループです。
カナダにおける先住民の人口は約117万人で、全人口の約4%を占めています。この内訳は、約60%がファースト・ネーションズ、33%がメティス、4%がイヌイットです(2006年)。
カナダは10の州と3つの準州により構成されています。準州では徐々に地域住民による自治権の拡大が図られ、教育、保健など州とほぼ同様の権限が認められています。一方、経済基盤が脆弱であるなどの理由により、連邦政府への財政的依存度が高いのが特徴的です。
イヌイット
カナダには、世界のイヌイット(彼らのイヌクティトゥト語で”人々”を意味する)のおよそ4分の1が住んでいます。そのほとんどは大陸北岸沿いや東西 4000キロ、北極諸島に点在するおよそ40の小集落です。1960年代、イヌイットの人々を定住させる政策が実施されたため、季節により移動していた 人々が定住し、その生活は大きく変わりました。1970年代には、自治と土地請求権の確立をめざす運動が始まり、1993年にカナダ政府との間で土地請求 権合意が締結されました。これは、土地35万km2(うち3万6000km2は鉱業権を含む)、14年かけて支払われる140億カナダドル超の補償金、土 地・資源の管理運用に関する決定への参加保障をイヌイットに与えるものでした。この合意により1999年4月、旧ノースウェスト準州が分割され、新しくヌ ナブト準州が誕生しました。ヌナブトとは、イヌクティトゥト語で「私たちの土地」を意味し、人口の85%をイヌイットの人々が占めています。自治は実現し たものの、高い失業率、薬物・アルコール依存や自殺などが問題になっています。
カナダのイヌイットはまた、グリーンランド、アラスカ、ロシアのイヌイットと共に、北極全体に関わるさまざまな重要問題に対処する国際機関、イヌイット北極圏会議を組織しています。
カナダのオイルサンド
アルバータ州には、粘り気の強い油を含む砂岩であるオイルサンドが大量に堆積しています。この堆積物はアルバータ州の原油埋蔵量の大部分を占め、アサバス カ、コールド・レイク、ピース・リバーの3つの地域に点在します。2003年に米国エネルギー情報局が原油の確認埋蔵量にアルバータ州のオイルサンドを加 えるようになり、カナダはサウジアラビアに次ぐ世界第2位の産油国とされました。
オイルサンドから石油を生産するには、原油より手間もコストもかかりますが、近年技術が進歩し需要が増え、開発は加速しています。埋蔵しているとされる場 所は、かつてファースト・ネーションズのチペワイアン族やクリー族が狩猟生活を営み、ビーバーやミンクの毛皮を売って生計を立てていた土地でした。 1970年代以降、事前の通告も話し合いもないまま開発は進み、先住民族は長年抵抗を試みてきました。しかし、森を失った人々に新たな生活手段を与えるた め、現在、チペワイアン族の首長は地元の経済団体の会長も務め、オイルサンド業界に協力しています。しかし、オイルサンドが埋蔵している地域には、その他 にも多くの先住民族の居住地があります。環境汚染や発癌率が高まっているとの報告もあり、懸念されています。
ルビコンクリー
1970年代、カナダのアルバータ州は、大規模な石油とガス開発に関するプログラムを開始しました。それらの開発によりルビコンクリーの人々の健康、生き 方、文化が荒らされてきました。1990年、国連人権委員会がルビコンクリーの人々の基本的人権が侵害されているという結論を下し、解決の努力を求めてい ますが、進展はありません。
2008年10月10日、アルバータ州公益事業委員会は、彼らの領土に大規模な天然ガスパイプラインを建設する計画を承認しました。これはルビコンクリーの人々との間に何の協定もなしに進められました。
アムネスティ・インターナショナル・カナダ支部がニュースリリースを出し、カナダの首相もしくはアルバータ州首相宛の手紙書きを呼びかけるキャンペーンを行っています。
ルビコンクリーと日本の関わり
1988年、アルバータ州政府は、大昭和・丸紅インターナショナル社に、ルビコン族の伝統的な地域である100万ヘクタールを含む400万ヘクタールの賃 借権を認めました。同社が論争地域で伐採を続けたため、ルビコン族側は大昭和社(2003年、日本製紙が吸収)の国際的ボイコットを始めます。ボイコット 活動は大昭和社の製造したパッケージを使用していた、複数の企業に向けたものでした。NGO「ルビコンの友」は48の企業に受注先を変えさせることに成功 し、その結果、大昭和社は1400万ドルも販売高が減少したそうです。この対立は、同社がルビコンの地域について再確認し、ルビコンの友が大昭和社に対す るボイコット活動とその他の抗議行動を停止することに同意した2000年、収束しました。
同化政策
カナダのスティーブン・ハーパー首相は2008年6月11日、過去の同化政策について先住民族を「深く傷つけてきた」ことを認め、公式に謝罪しました。
1874年以来、国内に住む先住民族の子どもたちは、教会が運営する132の寄宿学校に強制的に入学させられてきました。「先住民族の文化や信仰は劣って いて適切ではない」という考えのもと、独自の文化や言語が禁止され、英語を話し、キリスト教を信じるよう強要されました。さらに、校長や教師に暴力や性的 虐待を振るわれたと証言する先住民族もいます。
カナダ政府は1970年代までこのような寄宿施設に対して、補助金を交付し続けていました。
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222. International Day of the World’s Indigenous Peoples (9 August 2018) United Nations 2018/08/08 チャンネル登録 33万
アフリカの先住民族
1994年に制定された憲法の多民族主義により、エチオピアは2つの特別州と民族の分布にもとづく9つの州に分けられています。しかし、 この州の分割により、森の民であるマジャン(Majang。民族集団を表す時にはマジャンギル)が住み続けていたエチオピア南西部の森は三つに分けられま した。このため、マジャンはガンベラ州からは連邦議会へ代表者を送る権利を持っていますが、その他の州ではその権利を持っていません。その結果、州内で多 数派の民族に比べて行政サービスは後回しになり、どこに学校や診療所、道路を作るか、高等教育を受けるための推薦枠を何人取れるか、といったようなこと で、実質的に不利な扱いをされています。
南部諸民族州の町テピは、1950年頃にマジャンの森をアムハラ(エチオピアの代表的民族)が開拓してできた町ですが、シェカチョー(テ ピより北に住んでいた民族)が代表権を持つイエキ行政区に組み込まれました。この地域がコーヒーやターメリックなどの市場価値を持つ多くの農産物の産地 だったためだと考えられています。
2002年3月、イエキ行政区の警察権を持つシェカチョーにより、テピ周辺のマジャンとシェコ(マジャンの南東に住む民族)が襲われまし た。人々は家の中に追いつめられて火を放たれ、マジャンは約20名の死者、シェコは数百名の死者を出しました。この時、警察はマジャンらを助けず、事件を 内々に処理しようとしました。
数か月後、この事件が海外に報じられてシェカチョーは非難され、同年8月、政府は加害者側の政治家などを処分しました。
2008年、マジャンが住んでいる森のかなりの面積をアブラヤシのプランテーションとして開発しようという計画があるとの情報が流れまし た。具体的な計画の内容は分かっていませんが、同様のプランテーションはエチオピア国内でいくつか計画されていて、マジャンの人たちは大きな不安を感じて います。
マラゴリ / ケニア
18世紀、イギリスの植民地政府は、森の民であるマラゴリ(Maragoli)が住むケニア西部の約470haの広さの森を一方的に国有化しました。
1963年、ケニアはイギリスから独立しましたが、それまで白人の支配下で白人の屋敷の使用人やプランテーションの現場監督の役割を与え られていたマラゴリは「サーバント・トライブ」(使用人の部族)と呼ばれ、大臣や上級公務員の地位につける者はいませんでした。マラゴリの森の住人は土地 登記上、不法占拠者で、強制退去の対象となっています。
政府はケニアの森林資源を保護するため、レンジャーを設置して「部外者」が森へ立ち入ることを制限しました。また、森を観光資源として活用するため、野生動物の移入を図ったことで豹やハイエナが急増し、家畜や子どもが襲われる事件が相次ぎました。
1990年、害虫の異常発生により森林が大きな被害を受け、政府は駆除に失敗しました。
1992年、政府は許可証を発行した業者だけに被害地域に限った伐採を認めましたが、許可業者は被害にあっていない木も切り出し、無許可 業者らも伐採を始めました。住むところを追われた豹がマラゴリの村の人々を襲うようになり、豹を追い払うためにマラゴリ木々を切り倒さざるをえず、 1997年末までに森は消え、はげ山になってしまいました。
これに対して政府は国連や海外NGOなどとともに森の回復に乗り出し、地元に森林管理委員会を作りました。この委員会は実際には森の中に住んでいない地域の有力者が実権を握っていたため、マラゴリは彼らを政府の代弁者とみなして再植林の計画を拒否しました。
マラゴリは自然保護と資源管理のもとに押しつけられる森の国有化を拒否し、自分たちが耕作し居住する土地の登記を認めることを求めています。
オゴニ、ウグボロド / ナイジェリア
オゴニ(Ogoni)が暮らすニジェール・デルタはナイジェリアの石油産出地で、開発による環境破壊が進み、地表からガスの炎が噴き上 がっていて夜でも明るくなっています。マングローブ林や湿地帯を貫いてパイプラインや道路が敷かれた結果、魚の産卵場所は破壊され、水の流れが変わって漁 業と農業に大きな影響を与えています。シェル社は、石油が流出しても除去もせずに簡単な修理だけで済ませています。
1990年、オゴニ出身の作家、ケン・サロ・ウィワは、これらの問題に取り組むため、オゴニ民族生存運動(MOSOP)を設立し、政府とシェル社によるオゴニ地域の石油採掘に反対するキャンペーンを始めました。
1995年、政府はサロ・ウィワと仲間の活動家を、政府に協力的だったオゴニの指導者4人を殺させた疑いで逮捕しました。サロ・ウィワたちには死刑判決が下され、絞首刑になりました。彼らの逮捕と処刑は、石油開発の反対運動による政治的な理由だと考えられています。
また、2005年には、政府の特別部隊がウグボロド(Ugborodo)の居住地付近からシェブロン社のエスクラボス石油基地にいた抗議者に発砲し、1名の死者と数名の重傷者の被害が出ました。政府もシェブロン社も十分な医療の提供や負傷者の搬送を支援しませんでした。
マレーシアの先住民族
急激な近代化を進めるマレーシアで、先住民族に対する人権侵害は多発しており、その多くは土地をめぐる問題です。80年代以降、政府や企業は先住民族の暮らしていた森林を伐採し、ダムやニュータウン、プランテーションなどを次々と開発し続けています。先住民族には慣習的土地利用権が州法によって認められていても、それは軽視され、政府や企業による開発が優先されています。先祖から受け継いだ生活基盤である森林が失われることは、土地が痩せ、食料源の減少、川の汚染や枯渇、病気の蔓延に繋がり、先住民族への影響は計り知れないものです。
1997年、スランゴール州で暮らしていたセノイ系マフリム族の住民約100世帯に対し、先住民族の集落としての土地登記が未了であるとし、政府系パーム油企業であるゴールデン・ホープ社が立ち退きを要求しました。同年、サラワク州バコン地区でプランテーション企業セガラカム社、プラナ社が進める慣習地での開発に反対してバリケード設置や抗議集会をしていたイバン族を、警察が令状なく大量に逮捕し、暴力をふるったり、銃撃したりしました。また、こうした開発反対運動のリーダーや参加者が誘拐されることもあります。
2007年、サラワク州のプナン族ケレサウ・ナーン氏が行方不明となり、2カ月後に彼の遺骨が発見されました。ナーン氏は、州政府と伐採 業者サムリン社によるサラワク州バラム北部の先住民族慣習地で森林伐採に反対して道路封鎖を主導した一人でした。彼の遺体には暴行を受けたと思われる傷痕がありました。サムリン社の関係者がナーン氏の息子の元を訪れ、彼の死は暴行によるものではないという書類にサインさせようとしましたが、息子がこれを拒んだため、サインを偽造したといわれています。
先住民族の土地をめぐる事例は多数あります。マレーシア国家人権委員会への申し立ての8割は土地問題ですが、先住民族からの土地所有権に関する申し立て1万件以上が未調査です。土地所有権の所在が明確になっていないこと、政府の一方的な告知(先住民族があまり購読しない新聞等)だけで所有権の変更がなされていることなどが対立の原因となっています。
国立公園の開発
サラワク州北部に位置するグヌン・ムル国立公園は2000年にユネスコ世界自然遺産に登録され、広大な熱帯雨林や巨大な洞窟群、多様な動物たちを見に、年間1万6000人以上の観光客が押し寄せています。しかし、国立公園化の過程でも先住民族への人権侵害が見られます。
この地域には、ブラワン族とプナン族が暮らしていました。しかし、国立公園としてこの地域を保護していくために、移動型の耕作生活や狩猟 生活を送っていた彼らは立ち退きを要求され、近隣の村に再定住させられました。1974年に保護地域に指定され、国立公園化が発表されて以来、彼らは自分たちの神聖な土地が破壊されることや、食糧確保が困難となることを危惧し、反対を続けてきました。それでも開発は進み、1993年には観光客誘致のための巨大リゾート(ロイヤル・ムル・リゾート)まで造成されました。1999年には、グヌン・ムル国立公園を世界自然遺産に登録する話が具体化した際には、先住民族であるブラワン族、プナン族は協議されるどころか、候補地となっていることすら知らされませんでした。その翌年、ロイヤル・ムル・リゾートでムル世界遺産会議が開催された際には、議事は全て英語で進められました。ブラワン族、プナン族も約30名が招待されていましたが、通訳がなかったため内容を理解できないまま会議は終了し、2000年11月、ムル国立公園は世界自然遺産に登録されました。
ダム建設
ダム建設も、先住民族を脅かす原因の一つです。1999年、スランゴール州北部に暮らす約1万人のトゥムアン族は、スンガイ・スランゴールダム建設に伴い、600ヘクタールの自然が破壊され、自分たちの村がダムの底に沈む不安から計画に反対していました。しかし、計画が実行される前に説明 を受けることはありませんでした。その後、州政府や企業と協議した結果、他村へ再定住させられることとなりました。
数あるダム建設の中でも、サラワク州の世界最大級の水力発電ダム建設画(バクン・ダム計画)は、提案された1980年代初期からずっと論争が続いています。この計画はマレーシア電力公社テナガ・ナショナル社が進めており、シンガポールの面積ほどの規模で、15の先住民族の村(1640世帯、約1万人)が立ち退き、他村へ再定住しなければなりませんでした。不況のため、1986年と1997年に工事が中断されましたが、現在、2009年末 の一部完成、2011年の本格運用を目標に建設が進んでいます。
しかし、サラワク州で暮らしていたプナン族、カヤン族、カジャン族、ウキット族、クニャー族は、事前にダム建設について何ら説明を受けな いまま、立ち退きを要求され、伝統的な生活を奪われました。彼らは再定住先について十分知らされないまま新住居の購入を契約させられ、再定住後の経済支援も十分なものではなく、食料や仕事も減少しました。この再定住は、工事が不況の影響で中断されていた1999年に行われたため、開発に対する不信感をあおりました。さらに2008年、2020年までに12基の水力発電ダムを建設することが明らかになりました。これで総電力量は7000メガワットとなり、これは2008年にサラワク州で生産された電力の6倍に相当します。
女性への暴力
マレーシアでは年間3000件以上の強かん事件が報告されています。しかし、全ての事件が報告されているわけではなく、この数字は実際の 10%程度と見られています。先住民族の女性や少女が被害者となったケースも数多くあります。2008年9月、サラワク州でプナン人の女性2人がマレー系 森林伐採労働者に強かんされました。労働者はその伐採地域でキャンプ生活をしており、酩酊状態でプナン人の村に現れ、住民たちを脅かしていたことがよくありました。「プナン人の女性は、日常的に森林伐採業者に性的虐待されている。学校が長期休暇に入ると、彼らは村にいる子どもを狙ってひんぱんに現れ、最悪の状況だ」と話す住民もいます。その翌月、マレーシア政府はこの事件の捜査を開始するとしましたが、警察の発表は起訴すべき事件はないというものでした。
先住民族の女性が強かんされた事件は、これまでも多々無視されてきました。1994年、プナン人の12歳の少女が強かんされた事件では、 スイスのNGOであるブルーノ・マンサー基金(BMF)が犯人逮捕に十分な情報を警察に提供しましたが、情報不十分として取り上げられませんでした。
先住民族の強かん事件では、メディアの扱いも問題となります。メディアはこうした事件を積極的に報道しません。さらに同年11月、サラワ ク州の地元紙ボルネオ・ポスト紙が「レイプ事件はBMFのでっちあげ」という記事を掲載しました。同紙は森林伐採業者KTS社が保有する新聞社であるた め、このような記事が載ったと考えられます。
強かん事件のほかにも、2007年にはバノン州で暮らしていた先住民族の若い女性12人が次々と行方不明になる事件が発生しました。外部の人間が若い女性に家政婦などの仕事を与えるといって連れ出し、その後、彼女たちと連絡が取れなくなったのです。先住民族の半数以上が貧困層といわれる現 状につけこんだ事件と考えられます。
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444. 日本そして世界へ ホピ族からのメッセージ Miriam Delicado 2011/03/22 チャンネル登録 1.1万
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たくさんの祈りを とおして多くの良きハートと共に祈ることで、 われわれのエルダーたちが言っていたように、 この間に起きた出来事の衝撃を軽減することが出来ると信じてい る。 ダライ・ラマや世界の人々と共に、 日本と地球とすべてのいのちのために癒しを送るための祈りに、 われわれはホピとして加わる。この変化の時にあって、 世界のすべての人々に、 よりバランスのとれた生き方に戻ることを求める。 われわれのエルダーたちは、この幾多の変化のなかをいかに通り抜けるかについて、導きを与えてくれていた。 人類は今すべてのいのちが従うことになる細い道を選びつつあり、 われわれはいずれこの日が来ることを知っていた。
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ホピは言う。われわれがこの変化の時を通り抜けていけるための道はあると。 それは、地球を敬い、そのすべてのいのちを敬い、 母なる地球の上を優しく歩くことだと。 われわれのハートを未来に繋がるこの細い道の心とひとつにもう一度つなぎ直すことだと。 子供たちの未来の世代のすべてのいのちのために、庭で作物を育て、 それに水を与えることで、われらの聖なるいのちを敬い、 あなたのハートを母なる地球を讃えるホピに繋ぎ合わせてください。 カワク・ワ ロロマニ (ありがとう。未来に良きことが起こりますように) リー・ウェイン・ロアマイェステワ キクモングイ シュンゴパヴィ村チーフ ホピ・ネーション
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お問い合わせ:メール英語にてお願い致します。traditionalhopi@gmail.com なお、ホピの公式文章は こちらでご覧になれます。 http://native.way-nifty.com/native_he…
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アジア
モン族急激な近代化を進めるマレーシアで、先住民族に対する人権侵害は多発しており、その多くは土地をめぐる問題です。80年代以降、政府や企業は先住民族の暮らしていた森林を伐採し、ダムやニュータウン、プランテーションなどを次々と開発し続けています。先住民族には慣習的土地利用権が州法によって認められていても、それは軽視され、政府や企業による開発が優先されています。先祖から受け継いだ…もっと読むタイ国内の先住民族タイの人口約6000万人のうち、タイ族が約85%と圧倒的多数を占め、山岳民族とされる少数民族は全人口の約1.5%(約93万人)です。
主な少数民族として、カレン族、モン族、ラフ族、アカ族、ミェン族、ティン族、リス族、ルワ族、カム族、マラブリ族等が挙げられます。彼らの多くは、200年以上前から中国南部雲南付近から南下し、ミャンマーやラオスを経てタイ北部にたどりついたと見られています。もっと読むアイヌ民族アイヌ民族は近代以前には、本州最北端、北海道島、樺太、千島列島を生活圏として、交易、狩猟、漁労、粗放的農業などを営み、独自の社会・文化を発展させてきました。
日本列島の本州以南と、樺太やカムチャッカの北方諸民族社会とを交易で結び、交易のための商品生産活動と、交易によってもたらされた商品とを重要な要素として、アイヌ文化を形成してきたのです。もっと読むブラジルの先住民族1500年にポルトガル人にブラジルが「発見」された当時、トゥピやグアラニといった先住民族の人口は100万から300万人程度と推定されています。
しかし、その後の白人による虐殺や奴隷狩り、重労働、さらに疫病などにより少なくとも100近い民族が消滅し、現在の人口は20万人程とみられています。もっと読むウイグル人中国・西北部に新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)という最大の自治区があります。ウイグル人はテュルク系の言語を使用し、大部分が中央アジアを中心に長い歴史を持つ、スンニ派のイスラム教徒です。もっと読むメキシコの先住民族メキシコは、人権擁護活動家にとって危険な国です。活動家たちは、日常的に脅迫や嫌がらせを受け、無実の罪による逮捕・起訴に苦しめられ。中には命を奪われる人もいます。
国連人権高等弁務官のメキシコ事務所は、2006年から2009年の間に、人権擁護活動家に対する128件もの人権侵害を報告しています。もっと読む
- 2018年9月23日インド:
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555.地球最後の秘境で起きた、聖書予言。Eden Media 2018/12/09 チャンネル登録 2.5万
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666.予言・オカルト・滅亡 8つの予言が的中率100%!?アメリカ先住民「ホピ族」の予言で世界滅亡を示唆?衝撃の第9番目の予言内容とは 世界の謎、不思議ニュースチャンネル 2016/10/05
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BBB. ① 国連、中国政府がウイグル人100万人拘束と批判BBC News Japan 2018/09/10 登録 4.9万
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<北極圏> ■アレウト族 ■エスキモー ■イヌピアト ■イヌイット ■ユピク <亜北極圏> ■アトナ ■アティカメク ■キャリアー ■チペワイアン ■チルコーティン ■クリー ■グウィッチン ■ハイダ族 ■ディネ ■ニスガ族 ■オジブワ ■タギシュ ■トリンギット <北米> ■アシニボイン ■スー族 ■カド ■チカソー ■クロウ族 ■クリー ■カイオワ ■MHA ■ヒダーツァ ■オマハ族 ■ウィチタ族 ■アパラチー ■チェロキー ■チョクトー ■コウシャッタ ■ナチェズ ■モソペレア ■セミノール ■パパゴ ■プエブロ ■パムンキー |
<北米>
■ヤヒ ■パサマクォディ ■ピクォート ■プースタパック ■ポウハタン ■ソーク族 ■レナペ ■ショーニー族 ■サスケハノック ■イロコイ連邦* ■モホーク族 ■プースタパック ■ワンパノアグ ■ワッピンガー ■キカプー ■ネズ・パース ■スコーコミッシュ ■マカ族 ■アラパホ ■シャイアン族 ■コマンチェ ■カランカワ ■アパッチ族 ■マンダン ■オジブワ ■ポンカ ■アラバマ族 ■アタカパ ■チカホミニ ■クリーク族 ■ラムビー ■チェロエンホカ
■ホピ族
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<日本・ロシア> ■アイヌ ■ウィルタ ■ニヴフ ■琉球民族 ■台湾原住民 <中国> ■アチャン族 ■イ族 ■ウイグル ■ウズベク ■エヴェンキ ■オロチョン族 ■回族 ■カザフ ■キルギス人 ■高山族 ■コーラオ族 ■サラール族 ■ジーヌオ族 ■シェ族 ■シベ族 ■ジン族 ■スイ族 ■タジク人 ■タタール人 ■タイ族 ■ダウール族 ■チベット民族 ■チャン族 ■朝鮮族 ■チワン族 ■チンプオ族 ■トゥ族 ■トゥチャ族 ■トーアン族 ■トーロン族 ■ドンシャン族 ■トン族 ■ナシ族 ■ヌー族 ■ハニ族 ■バオアン族 ■プーラン族 ■プイ族 ■プミ族 ■ペー族 ■ナナイ ■マオナン族 ■満州民族 ■ミャオ族 ■ムーラオ族 ■メンパ族 ■モンゴル族 ■ヤオ族 ■ユグル族 ■ラフ族 ■リー族 ■リス族 ■ローバ族 ■オロス族 ■ワ族
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<カリブ>
■アラワク族 ■タイノ族 ■シボネイ ■カリブ族 ■ナソ族 <中米> ■アステカ* ■チョチョ族 ■ワベ族 ■イチャテコ族 ■レンカ族 ■マヤ人 この地域に居住しているマヤ人の人口は、21世紀初頭では700万人と推定されている。グアテマラ、メキシコ南部とユカタン半島、ベリーズ、エルサルバドル、それにホンジュラス西部に大きな共同体が存在しており、今も古代の文化が多く継承され残っている。 ■イシル族 ■マサテコ族 ■ミシュテカ ■オルメカ* ■ポポルカ族 ■ラビナル族 ■テオティワカン* ■テキストラテコ族 ■トルテカ帝国 ■トリケ族 ■サポテカ文明* ■ソケ族 <アンデス> ■ケチュア ■アイマラ <アマゾン> ■ヒバロ族 ■グアラニー族 ■マプチェ族 ■チャルーア族 ■ヤノマミ族 <マレーシア> ■ダヤク族 ■オラン・アスリ <太平洋諸島> ■チャモロ人 ■カナカ族 ■チャモロ人 ■パプア人 <オーストラリア> ■アボリジニ <ニューウジーランド> ■マオリ <スペイン> ■バスク人 ■カタルーニャ人 ■ガリシア人 ■アンダルシア人 <フランス> ■コルシカ人 ■ブルトン人 <イギリス> ■ウェールズ人 ■スコットランド人 ■アイルランド人 <ヨーロッパ> ■ロマ ■チャーンゴー人 ■サーミ人 <オーストラリア> ■アボリジニ <ニュージーランド> ■マオリ <アフリカ> ■コイコイ人 ■マサイ族 ■サン人 ■ベルベル人 |
<先住民・先住民族由縁の著名人> ■クアウテモック クアウテモックはコルテスの短刀を指さして自分を殺すように言ったが、コルテスは彼を殺さず、勇者として手厚くもてなした。しかしそれは始めのうちだけで、黄金の場所をつきとめるためにコルテスは彼を拷問にかけた。 ■ラウタロ ■ハイアワサ ■マサソイト しかし白人入植者達は馴れない土地での環境に苦しみ、病気や寒さ、飢えなどで約半数近くが死んだ。そこへ付近に住むマサソイト酋長を始めとするワンパノアグ族がピルグリムファーザーズにトウモロコシを始めとする農作物の栽培方法を教え彼らを飢えから救った。「すべてを共有する」というインディアンの文化に従って、ワンパノアグ族は白人たちに惜しみなく食糧を与え、これを助けたのである。 ■ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ 彼はインカ帝国最後の皇帝トゥパク・アマルの末裔と自称し、その確認を求めてリマのアウディエンシア(最高司法院)に訴え出たこともあった。当時スペイン植民地当局の先住民に対する抑圧と収奪は非常に激しく、それに対する反乱も各地で頻発していた。コンドルカンキも、植民地支配に対する反感を次第に募らせていったものと推測できる。 ■トゥパク・カタリ ■テクムセ 1806年、テクムセはショーニー族の土地への白人入植者の侵入に抗議して、以下のように宣言した。白人たち(the white man)による侵略というこの悪を阻止する、唯一無二の方法は、インディアンが一致団結して、土地に対する共通の、しかも平等な権利を主張することしかない。土地というものは、かつて分割されたことなどなかったのだ。それは我々インディアンたち全員のものだ。 ■サカガウィア ■ベニート・フアレス ■ジェロニモ ■クレイジー・ホース 彼の服装はいつも必要最小限で、彼を描いた映画や絵画にあるように、派手な羽根冠をつけて戦に出るようなことは一度もなかったとハンプやヒー・ドッグ、ブラック・エルクら近しい者たちは揃って証言している。「常に弱きものを助け、分け与えよ」との啓示を受け、生涯それを実行した。そのために、彼は部族の中の弱い立場の人たちから熱烈に愛された。 ■ローゼン ■ルイ・リエル ■ファン・デ・ディオス・フィリベルト ■ロスト・バード ■ルフィーノ・タマヨ ■マリア・トールチーフ そこでマリアは、ブロニスラヴァ・ニジンスカの元で5年間学んだ。ニジンスカのバレエ哲学が彼女の基礎をつくったという。『夜眠るとき、バレリーナのように眠りなさい。通りでバスを待っているときも、バレリーナのように立つのよ』と教えられたと後に語っている。 ■ロバート・ラウシェンバーグ ■アルマンド・マンサネーロ ■メルセデス・ソーサ その後、首都ブエノスアイレスに出て様々な職を転々としたのち、1960年代半ば、30歳頃に歌手として世に出る。1973年、作詞のフェリックス・ルナ、作曲のアリエル・ラミレスと組んで、アルゼンチン史上の8人の女性(7人のアルゼンチン人と1人のボリビア人)を歌ったアルバム「アルヘンティーナの女(Mujeres argentinas)」を発表、フォルクローレ史上に不朽の名を残す。 ■ジミ・ヘンドリックス 多くのブルースやロックのミュージシャンと同様、ヘンドリックスもレコードなどを聴いて、独学でギター演奏を学んだ(父アルの談話)。父アルは庭師の仕事をしていたが、生活は貧しかった。ヘンドリックスが15歳の頃ギターに興味を示したため、アルは当時のアパートの家主の息子から古いアコースティックギターを5ドルで買い取り、ヘンドリックスに与えた。これがギターとの最初の出会いだった。 ■ジェシ・エド・デイヴィス ■イシ ■マリー・スミス・ジョーンズ ■ティナ・ターナー ■リタ・クーリッジ 1970年にはジョー・コッカーのアメリカ・ツアーでバック・コーラスを担当。この時、リタにスポットを当てたコーナーで、レオン・ラッセル作の楽曲「スーパースター」を歌っており、その様子はコッカーのライヴ・アルバム『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』(1970年)にも収録された。 ■ブライアン・アキパ サウスダコタ州北東部のスー族の支族、シセトン・ワーペトン・ダコタの保留地で生まれた。青年期にニューメキシコ州サンタフェのインディアン美術学校のインステュート・オブ・アメリカン・アーツ(IAIA)で学び、サウスダコタ州のヴァーミリオンのサウスダコタ州大学でインディアン絵画の第一人者でもあるオスカー・ハウの元で絵画を学んだ。 ■ヴァル・キルマー ■ジョン・オキセンダイン ■リヴ・タイラー ■アリーヤ ■ビヨンセ ■ソランジュ ■ジョジョ ■マイリー・サイラス
■ミーガン・フォックス |
<先住民・先住民族由縁の著名人>
■アトゥエイ 火刑の際、木に縛り付けられたアトゥエイは、スペイン人神父ラス・カサスから「悔い改めキリスト教に改宗すれば天国に行ける」と説かれ、キリスト教への改宗をするよう勧められる。アトゥエイは「天国にはどんな人がいるか?」とカサス神父にたずね、「キリスト教徒なら誰でも行ける」と聞かされた時、「お前達、みんないるのなら、そんな所に死んでまで行かなければならないとしたら、キリスト教徒になりたいとは思わない」とキリスト教の改宗に死ぬまで断乎拒否した。アトゥエイの死は、キューバで最初の独立のための苦悩の殉教者として色んな伝説を生んだ。 ■グアイカイプロ ■デガナウィダ ■ポカホンタス ■メタコメット ■オブワンディヤグ ■ジョセフ・ブラント タイエンダネギー(ブラント)は今日のオハイオ州アクロンの近く、カヤホガ川の堤にあるオハイオ領土カヤホガで生まれた。折りしも狩の季節であり、モホーク族がその地に移動してきていた。ブラントはタイエンダネギーと名づけられた。 ■レッド・クラウド ■ラナルド・マクドナルド ■シッティング・ブル 「昔の戦士たちはもういない。 私自身が勇気を出す」シッティング・ブルはのちに、白人に「インディアンの戦士」についてこう語っている。「我々にとっての戦士とは、お前さんたちが考えるような、ただ戦う者ではない。本来誰にも他人の命をとる権利はないのだから、戦士とは、我々のためにあり、他者のために犠牲となる者だ。その使命は、歳取った者やかよわき者、自分を守れない人々や将来ある子供たちに注意を払い、守りぬくことにあるのだ。」 ■クアナ・パーカー ■ヘンリー・ベリー・ローリー ■ツー・ムーンズ ■チャールズ・カーティス ■フベンティーノ・ローサス 国立音楽院に2度入学して一時的に学んだものの、たいていは独学であった。その後オーケストラやブラスバンドを率いて、国際的な演奏旅行を行なった。最も有名な作品は、ワルツ『波濤を越えて “Sobre las Olas”』である。この古典的なワルツは、『ドナウ河のさざ波』とともにしばしばウィンナ・ワルツと混同されているが、最初に出版されたのは、1884年にルイジアナ州ニューオーリンズで、ローサスが有名なメキシコのバンドとともに、同地の万博に参加していた時期のことだった。 ■ジム・ソープ 1912年のストックホルムオリンピック陸上競技では走幅跳、走高跳、五種競技、十種競技の4種目に出場した。7月7日、最初の種目五種競技に出場、走幅跳は7m07cmで1位、やり投46m71cmで3位、200m22秒9で1位、円盤投35m57cmで1位、1500m4分44秒8で1位と圧倒的な成績で優勝した。 ■ミゲル・アンヘル・アストゥリアス ■フリーダ・カーロ ■アタウアルパ・ユパンキ ブエノスアイレス州ペルガミーノで鉄道員の家庭に生まれ、のち父親の転勤によって北西部のトゥクマンに移る。父はケチュア系先住民の血を受け継ぎ、母親はバスク系移民。1929年、処女作「インディオの小径」(Caminito del indio)でデビューし、1930-40年代に多くの作品を発表するが、その活動が反政府的と目されて1950年代初頭にはヨーロッパへの亡命を余儀なくされたこともある。 ■マイケル・フォレスト ■ジェームス・ブラウン ■マリオ・バルガス・リョサ 2010年ノーベル文学賞を受賞。1936年、ペルー南部のアレキパに生まれる。生活のためにさまざまな職業につきながらリマの国立サンマルコス大学にて法律、文学を学ぶ。1958年よりスペインのマドリード・コンプルテンセ大学に入学、同大学で博士号を取得した後はパリに渡りAFP通信社などで働いた。 ■チャック・ノリス ■ロビー・ロバートソン ■シェール ■グラハム・グリーン ■オプラ・ウィンフリー ■ケビン・コスナー ■リゴベルタ・メンチュウ ■エボ・モラレス オルロ県でアイマラの農家に生まれた。最終学歴は中学卒であり、本人は「人生という大学で学んだ」としている。17歳で兵役に就いた他、様々な職を転々とした後、コチャバンバ県チャパレに移住し、コカの栽培農家となる(ボリビアにおいてはコカの栽培は合法である)。 ■クエンティン・タランティーノ ■ジョニー・デップ ■シャーマン・アレクシー ■アダム・ビーチ ■アンジェリーナ・ジョリー ■ジェシカ・ビール ■マンディ・ムーア
■ヴァネッサ・ハジェンズ
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