渡部昇一先生には アパの懸賞論文の発表会や ご講演会でずいぶん勉強をさせて頂いた。このビデオを見つけた。当時の東京裁判の最中の色々な米軍側の日本に対する態度や、推移を詳しくお話されていらっしゃる。改めて感謝したい。戦争とはこういうものか、実際は これが成り行きだったと認識すると 身の引き締まる思いがする。同時にその後の展開に失望も感じる。洗脳や自虐史観で 未だに呪縛から逃れられない。日本人の敵は日本人と言われた前野 徹さんの悔しさも思い出す。前野さんのニュービジネス協議会やアジア経済人懇話会には 良く参加せて頂いて教えてもらっていた。幾つかの映像を見ていると 目頭が熱くなる。どれだけ この話を 私たちは気づいているのだろう???
誇りを取り戻そう! 私たちの心に!! そして私たちお子供たちが目いっぱい元気になりますように。
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000.【日本人はすごかった】感動!外国人が語る大東亜戦の真実!「日本は謝罪を必要とすることなどしていない」世界各国の要人の証言に衝撃!海外から賞賛される日本! 世界が賞賛する日本 2017/07/30 チャンネル登録 8723
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111. 前野 徹さん
1926年東京生まれ。50年日本大学法学部卒業。読売新聞社、東京新聞を経て、60年東急グループ総帥の五島昇氏に東京急行電鉄の秘書課長としてスカウトされ、五島氏の懐刀として政界、財界、マスコミなどの対外折衝役として活躍する。70年東急エージェンシー常務、専務、副社長を歴任し、81年より11年にわたり社長として業界13位から電通、博報堂につぐまでに躍進させる。その間、(社)ニュービジネス協議会の設立に参画。9年間にわたり副会長として同会の基盤づくりに貢献。現在、顧問を務める。95年、アジア経済人の大同団結を目指した経済団体、アジア経済人懇話会を設立し、会長として現在に至る。「日大経済人カレッジ」名誉会長、「石原慎太郎東京都知事を囲む会」世話人、「日中政経フォーラム」世話人など各分野の勉強会の提唱者として、若手起業家から創業経営者まで多くの集まりを主宰する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『日本の敵は日本人』より
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222.大東亜戦争は日本が勝った─英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る
「世界史の中の日本」 810cojp 2017/05/02 チャンネル登録 4.1万http://amzn.to/2nyOFGO 日本よ 呪縛から解放されよ! この書は日本のプロパガンダではない。史実である。 ヘンリー・S・ストークス 来日50年の総集編 世界史を俯瞰して明らかになった大東亜戦争の真実 音楽 甘茶の音楽工房 ハート出版の書籍 http://amzn.to/1oXVldW ハート出版 http://www.810.co.jp/ ハート出版チャンネル https://www.youtube.com/user/810cojp
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333.渡部昇一「 東京裁判とマッカーサー証言」「安倍総理はリビジョニストか」
HiramekiTV 2015/02/28 に公開 チャンネル登録 1万
リビジョニスト(歴史修正主義者は ネオナチかヒットラーと同じと言われるとアメリカではおしまいだそうだ)
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444.【追悼番組】渡部昇一&小野田寛郎、大東亜戦争と戦後日本を語る[桜H26/1/25]
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555.【大東亜戦争】韓国・中国の「日本悪玉論」は大ウソ!日本は植民地解放のヒーローだ!【ザ・ファクト#005】「THE FACT」 マスコミが報道しない「事実」を世界に伝える番組
メインキャスター・里村英一(幸福の科学広報局) コメンテーター・及川幸久(幸福実現党外務局長)
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666.南京~つくられた”大虐殺”【シリーズ南京事件①】
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777. 第二次世界大戦を物語る最も驚くべき発見10選
東京ストーリーズ 2018/01/27 チャンネル登録
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888. 【日本人 感動エピソード】衝撃!パラオ橋崩壊に「また日本が来る!」と大喜び!!日本軍を称え、国旗を似せた由来に驚愕!日本大好き外国人親日国パラオ
297,434 回視聴 世界が賞賛する日本 2017/07/26 に公開
チャンネル登録 8723【日本人 感動エピソード】衝撃!パラオ橋崩壊に「また日本が来る!」と大喜び!!日本軍を称え、国旗を似せた由来に驚愕!日本大好き外国人親日国パラオ 親日国パラオのライフラインとなる橋崩壊による混乱を救ったのは日本!! 【海外が賞賛する日本】おススメ動画 海外 感動「日本が学ぶべき正しい日本の歴史がここにある」日本のメディアが報道しない事実!親日家を超えた「愛日家」台湾人男性の90年の生涯【海外が感動する日本の力】 https://www.youtube.com/watch?v=7539X…
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I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜
「なぜパラオは世界一親日なのか」
〈君が代は
千代に八千代に
さざれ石の~・・〉
明快な日本語で
「君が代」を歌い上げた
94歳になる老女は、続けて
「海行かば」を口ずさみ始めた。
〈海行かば
水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば
草生(くさむ)す屍~〉
歌詞の意味は理解しているという。
ロース・ウエンティさん
(85)は
「蛍の光」と
「仰げば尊し」を歌って
涙を浮かべ、童謡の
「浦島太郎」を歌って、
テロイさんのいとこに
イナボ・イナボさん(故人)
という男性がいた。
元パラオ共和国政府顧問で、
生前は、
「日本軍と一緒に戦いたかった」
と何度も口にしていたという。
イナボさんは平成7年8月15日、
靖国神社で
戦没者追悼中央国民集会に
参加した際、雑誌のインタビューに
こう話している。
「日本には大切なものが
4つあります。
天皇陛下と靖国神社と
富士山と桜の花です。
アメリカ人から
『日本は小さな国だけども
ルーツ、根っこがあるから
強い。
それは天皇陛下と
富士山と桜だ。
それはアメリカにはない』
と聞きました。」
「日本人の戦いぶりは
アジアの人々は
皆知っているんですよね。
それで日本を
尊敬しているわけです。
皇室と神社がある限り
日本は倒れない。
日本人が安心していられるのは、
天皇陛下がおられるからですよ。
天皇陛下がおられて、
靖国神社があるからこそ
日本は尊く、
外国からも尊敬され、
強い国となっています」
イナボさんの日本への思い、
そして歌詞の意味を確かめるように
一言一言を丁寧に歌った
テロイさんとウエンティさん。
二人の心に去来するものは何か。
1885年、パラオは
スペインの植民地となり、
1899年、ドイツに売却され、
植民地の時代が続いた。
その時、
ヨーロッパ人により持ち込まれた
天然痘や
圧政と虐殺などで
6万人いた人口は
6千人に激減したといわれている。
いかにひどい
植民地政策だったかが分かる。
第一次大戦終了後、
パリ講和会議で
日本の委託統治領と決定。
帝国主義の白人は、
植民地政策として、
教育も与えず、
インフラ整備も一切行わず、
搾取することだけを
考えた統治であった。
しかし、日本は全く違った。
学校、病院、電気、道路などの
インフラ整備を行った。
特に教育に関しては、
日本本土と全く同じ
人種差別なき政策を実行。
日本敗戦後、パラオは
アメリカ統治となった。
アメリカは
浸透していた日本文化の
徹底的破壊を行った。
そして
「日本は残虐で、
パラオ人を虐殺した」
と学校教育を行う。
ところがパラオ人は誰も信じなく、
アメリカが行った
反日教育は根付かなかった。
1994年パラオは米国統治から独立。
パラオは今でも
世界有数の親日国である。
実は日本が統治していた
大戦末期に、今でも
日本人が賞賛され続けている
1つの要因となる
重要な逸話がある。
それは
パラオのペリリュー島で起こった
悲劇でもある。
ここから
「日本はなぜ
アジアの国々から愛されるのか」
(池間哲朗著・育鵬社)
から引用する。
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日本兵とペリリュー島の人々は、
共に語り、唄い、手をつなぐ、
固い友情がはぐくまれていた。
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日本とパラオの絆①nipponkaigi
2015/04/07 に公開 チャンネル登録 2414 パラオでの貴重な現地取材映像です。パラオの当時の日本人の姿、そして、現在の日本はパラオの人々にどう映っているのでしょうか。 (DVD『天翔る青春-日本を愛した勇士たち』 日本会議事業センターより)
戦争末期、
いよいよアメリカ軍が
押し寄せてくる。
実質戦闘員約15倍、
兵器物量600倍の
圧倒的にアメリカ軍有利な戦局。
日本軍玉砕は確実だった。
島民は
「愛する日本兵と共に戦い、
自分たちも死んでいく」
と覚悟を決め、
中川州男(くにお)守備隊長へ、
「自分たちも戦わせてください」
と申し入れる。
日頃、温厚な隊長は、
その言葉を聞いた瞬間、激高し、
「帝国軍人が貴様らごとき
土人と一緒に戦えるか!」
と大声で怒鳴りつけた。
「土人?」
「一緒に肩を組み、
歌を唄った日本兵たちの思い出は
見せかけだったのか?」
「やはり、こいつらは
自分たちを見下げていたのだ」
と人々は怒りと悲しみで
拳を震わせた。
島からの避難船に島民は乗り込む。
日本兵は誰一人として
見送るものはいない。
日本人への怒りと憎しみの思いが
あふれる。
船が避難船へ向かうために、
島を離れた瞬間、
「ウオォォォォォォォーーー!!!」
日本兵全員が
真っ白な砂浜に現れた。
死を覚悟した日本兵たちが
笑顔で手を振り、
「達者で暮らせよ!」
と声をかける。
一緒に唄った日本の歌を
大声で唄っている。
涙で顔を濡らす兵士もいる。
そして、その先頭には、
「土人」と自分たちを侮辱した
中川隊長の姿があった。
ペリリューの人々は悟った。
「土人」、あの言葉は
自分たちを救うため、
自分たちを戦闘に
巻き込まないためだったと。
島民の目から止めどもなく
涙があふれた。
昭和19年9月15日、
アメリカ軍上陸。
アメリカ軍との
圧倒的戦力の違いから、
長くても3日しかもたない
と言われていた。
しかし、守備隊長の
中川大佐率いる日本軍は、
なんと73日間も
持ちこたえた。
日本軍は
通常の戦闘では歯が立たないと、
500以上の洞窟に立てこもり、
ゲリラ戦を展開。
補給を一切断たれた日本兵は、
粗末な武器を手にし、
水も食料もなくなるなか、
戦い続けた。
アメリカ軍に
予想をはるかに超える
甚大な被害を与えた。
しかしついに11月24日、
兵力弾薬は底をつく。
司令部は玉砕を決定。
中川大佐、
村井中将、
飯田中佐は自決。
「サクラ、サクラ」の
電文と共に玉砕。
11月27日、
生き残った兵士55名の
万歳攻撃が行われ、
日本軍の組織的抵抗は
終わった。
結果的に日本軍は
1万人以上の戦死者を出したが、
ペリリュー島に住んでいた
パラオの人々を全員逃がし
命を救った。
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2015年4月9日午前(日本時間同)、
天皇、皇后両陛下は
戦没者慰霊のため
パラオ共和国を訪問された。
激戦地だったペリリュー島で、
日本政府が建立した
「西太平洋戦没者の碑」に供花して
犠牲者を追悼された。
碑のそばで出迎えた
同島などでの戦いの生還者の
元日本兵らとも面会し、
改めて苦労をねぎらわれた。
「ありがとうございます。
戦友に代わって、
御礼申し上げます。」
元陸軍二等兵、
倉田洋二さん(88)=東京都=は
ペリリュー島の南西に位置する
アンガウル島での
過酷な戦闘で散った、
宇都宮歩兵第59連隊第1大隊
約1200人の仲間の名簿を手に、
両陛下に伝えた。
陛下
「ごくろうさまでした」
というお声が、
戦友全員に届いたと思った。
両陛下は西太平洋戦没者の碑に
花を手向けた後、
海の向こうに見える
アンガウル島影にも
深く頭を下げられました。
今、私たちが日本人であること、
平和で豊かな社会で
暮らしていけるのは、
先人の尊い命の犠牲があったから。
愛する人、日本を守るために
命を投げ出した英雄の方々に
心から感謝申し上げたい。
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正式名称パラオ共和国(Republic of Palau)
日本から南に約3000km(グアムからは南西に約1300km)、青い海の中に散らばる数百の島々がパラオ諸島です。
と、いかにも知っていたかのように書いてますが、恥ずかしながら今回の旅行が決まるまで、どこにあるのか全然知らず「インド洋?」とか思ってました。これをパートナーに言ったら呆れていましたが。
地図で見てもわかるように、日本の真南で時差もありません。
↑
パラオ政府観光局のHP掲載の地図に若干手を加えました。
このうち人が住んでいるのは9つの島だけで、大部分は無人島。石灰岩が海に浸食されて形づくられた小さな島々は、マッシュルームかブロッコリーの小房か、って感じ。
↑浸食されてるの、わかるかなぁ。
今回はJALの直行便で行けたため、約4時間~5時間でした(往路は成田20:00発のKOROR24:50着、復路はKOROR2:50発の成田7:10着)。
近い!あっという間です。が、一般的にはグアム経由なので、もっと時間がかかるらしい…。
気候
赤道に近いため常夏で、年間の平均気温は28度前後。
雨季(6月~10月)と乾季(11月~5月)があり、ブルーコーナーに代表される諸島南西部のダイビングポイントへ行くベストシーズンは、風向きの関係で乾季とのこと。
今回まさにベストシーズンに行ったわけですが、天気は曇りがちで、けっこう激しい雨も。ダイビングショップのスタッフに聞いたところ、乾季にしては珍しい微妙な空模様だったようです。
言語
パラオ語と英語。
31年間、日本が占領・統治していたため、パラオ語として定着している日本語の単語がかなりある(「ベントー」「アブナイ」etc.)ようで、「ダイジョーブ」(=「大丈夫」)は実際に多用されていました。
ホテルやダイビングショップのスタッフの方々はもちろん、街中で出会う人々やタクシーの運転手さんなど、みんな親切! それもなんと言うか「観光客=収入源」だから親切という感じではなくて、「楽しいから話しているんだよ~」という感じで、嬉しくなります。
←これをカメラで撮っていたら、近くを歩いていた地元のおじさんが「ココナツだよ」と教えてくれました。大きくなるのに何年くらいかかるだとか、いろいろ話してくれたおじさん、ありがとう!
お互い(?)片言だからか、ほとんど「Card,OK?」「Take picture,OK?」「Oh! Thank you!」ってな感じの英語で通じてました。ま、お互いに通じてると思い込んでいるだけ、という可能性もありますが(笑)。
超簡単な最近の歴史etc.
1885年 スペインによる植民地化
1899年 ドイツによる植民地化
1914年 日本による占領・統治
1945年 アメリカによる占領・統治
1981年 自治政府の発足
1994年 独立
パラオは治安の良い国です。
道路を歩くのが物理的に少々危ないくらいで(歩道なんてものはもちろんなく、道路も穴ぼこだらけなので雨上がりなどは泥はねにも要注意)。ガイドブックによるとパラオでは銃の不法所持で懲役15年なんだとか。
通貨はUSドルです。