★昭和天皇陛下についてマッカーサー元帥の回想録を もう一度 しっかり見直してみよう。
昭和天皇の素晴らしい言動と行動力。これが第2次世界戦争後の飢饉を救った。来年は平成が終わり
新しい時代が始まる。日本とは何か? 日本は 如何に生くべきか? 考えよう。世界が保護主義、
自国ファーストに向かう中。日本の役割を認識しながら対応して行くだろうと思う。
111. ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)
生誕:1880年1月26日 アメリカの軍人、陸軍元帥、連合国軍最高司令官総司令部
死去:1964年4月5日
★昭和天皇の崇高な姿勢が 当時の食糧危機を救った。
改めて天皇陛下のなされたことを しっかり反芻したい。
D・マッカーサー・老兵は死なず・さよなら・米議会演説・1951年 jmicrotube 2014/06/17(日本語の字幕つき)
★マッカーサーの格調高いスピーチに感動する。
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333.外国人が語る大東亜戦の真実!「日本は謝罪をすることなどしていない」世界の要人の証言に衝撃! 世界が賞賛する日本 2017/07/30
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444. H29.7.17 フーバー大統領回想録 『裏切られた自由』テキストレポート宮崎正弘 TATSUnoTV*政治・経済・ニュースch2017/07/21
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555. フーバー大統領の回想録『Freedom Betrayed(裏切られた自由)』
「大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る」重大な記録が含まれている。
Freedom Betrayed:(裏切られた自由)』
Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath
◆F・ルーズベルトの犯罪 『フーバー回想録』の衝撃 稲村公望 2月20日
中央大学客員教授 稲村公望
昨年十二月、日米開戦から七十周年を迎えた。その直前に一冊の回想録が刊行された。ジョージ・ナッシュ氏が編集したフーバー大統領の回想録『Freedom Betrayed(裏切られた自由)』だ。ここには、大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る重大な記録が含まれている。千頁近くにも及ぶこの大著をいち早く読破し、その重要性を指摘している稲村公望氏に聞いた。
ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込んだ
―― 『Freedom Betrayed』のどこに注目すべきか。
稲村 フーバー大統領死去から実に四十七年の歳月を経て刊行された同書は、フランクリン・ルーズベルト大統領を厳しく批判しており、同書の刊行はいわゆる「東京裁判史観」清算のきっかけになるほど重大な意味を持つ。例えば、フーバーは回想録の中で、次のように書いている。
「私は、ダグラス・マッカーサー大将と、(一九四六年)五月四日の夕方に三時間、五日の夕方に一時間、そして、六日の朝に一時間、サシで話した。(中略)
私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかったと述べた」
これまでも、チャールス・A・ビアード博士らが日米戦争の責任はルーズベルトにあると主張してきた。対日石油禁輸について、ルーズベルト大統領から意見を求められたスターク海軍作戦部長が「禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピンに対する攻撃を誘発し、直ちにアメリカを戦争に巻き込む結果になるだろう」と述べていた事実も明らかにされていた。しかし、ビアードらの主張は「修正主義」として、アメリカの歴史学界では無視されてきた。つまり、ルーズベルトの責任がフーバーの口から語られたことに、重大な意味があるのだ。
『フーバー回想録』には、対日経済制裁について次のように明確に書かれている。
「…ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、一九四一年七月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその一カ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三にわたって、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ(日本が)報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた」
天皇陛下の和平提案を退けたルーズベルト
―― まさに、ビアードらの主張を裏付けるものだ。ルーズベルトは日本を無理やり戦争に引きずり込もうとした。彼は真珠湾攻撃前から日本本土爆撃を計画していたともいう。
稲村 アラン・アームストロングは、『「幻」の日本爆撃計画―「真珠湾」に隠された真実』の中で、真珠湾攻撃の五カ月前にルーズベルトが日本爆撃計画を承認していたことを明らかにした。その計画は「JB─355」と呼ばれるもので、大量の爆撃機とパイロットを中国に送って、中国から日本本土を爆撃しようという計画だった。
『フーバー回想録』は、「スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして真珠湾で負けたのだ」と書き、ルーズベルトが近衛総理の和平提案受け入れを拒否したことについては、次のように批判している。
「近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、交渉して議論する余地を残していた。皮肉に考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう」
徳富蘇峰は、「日本が七重の膝を八重に折って、提携を迫るも、昨年(昭和十六年)八月近衛首相が直接協商の為に洋上にて出会せんことを促しても、まじめに返事さへ呉れない程であった。而して米国、英国・蒋介石・蘭印など、いわゆるABCDの包囲陣を作って蜘蛛が網を張って蝶を絞殺するが如き態度を執った。而して、彼等の頑迷不霊の結果、遂に我をして已むに已まれずして立つに至らしめたのだ」(『東京日日新聞』一九四二年三月八日付)と書いていたが、七十年という歳月を経て、ようやく『フーバー回想録』によって、蘇峰の主張が裏付けられたのだ。
フーバーは、さらに重大な事実を記録している。
天皇陛下は、一九四一年十一月に駐日米国大使を通じて、「三カ月間のスタンドスティル(冷却期間)をおく」との提案をされたが、ルーズベルトはこの提案をも拒否したと書いている。アメリカの軍事担当も、冷却期間の提案を受け入れるべきであるとルーズベルト大統領に促していたのだ。
フーバーは、「日本は、ロシアが同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。九十日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあれば、日本から〝全ての糊の部分〟を取り去ることになり、太平洋で戦争する必要をなくしたに違いない」とも書いている。
当時、アメリカでは戦争への介入に反対する孤立主義的な世論が強かった。ルーズベルトは欧州戦線に参戦するために、日本を挑発し戦争に引きずり込んだのである。日本国内にも日本を日米開戦に向かわせようとする工作員が入りこんでいた。実際、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動を行い、そのグループには近衛のブレーンだった尾崎秀実もいた。
―― ルーズベルト自身、反日的思想を持っていたとも言われる。
稲村 彼は日系人の強制収容を行い、「日本人の頭蓋骨は白人に比べ二千年遅れている」と周囲に語るなど、日本人への人種差別的な嫌悪感を強く持っていたとも指摘されている。
(私のコメント)
終戦直後から現在に至る歴史研究は、東京裁判史観によって固定されて、これに反する発言をすれば、大臣といえども解任にされた。これによって中国や韓国はますますこれにつけ上がってきて、中国や韓国政府は半狂乱のような反応を示します。いわゆる外交カードとして歴史問題が使われてしまっている。首相の靖国参拝が外交問題化しているのも同じ理由だ。
私自身は歴史問題は歴史学界が真理を追及していけばいいのであって、外交カードとして使えば真実が曲げられてしまう。終戦直後のGHQは見えない検閲体制を取って、東京裁判に都合の悪い図書などを発禁処分にしてきた。東京裁判は裁判ではなく連合国による処分なのですが、日本の外務省は東京裁判を受け入れた事として認めている。
このときから日本の外務省は、アメリカの出先機関のようになり、東京裁判史観の監視役となった。日本の歴史学界はこれに沈黙し、政治家が東京裁判史観に反することを言えばマスコミが騒いで、それに対して中国政府や韓国政府が反応して外交問題となり、永野茂門法務大臣の首が飛んだり、江藤隆美総務長官の首が飛び、藤尾正行文部大臣の首が飛び、奥野誠亮国土庁長官の首が飛んだ。
まさに異常としか言えないのですが、それだけ外務省やマスコミから政治家が監視されているのだ。発言のないような間違っているのなら事実を示して訂正すればいいだけの話であり、解任することは言論の自由に反することだ。しかし東京裁判史観に反した発言はアメリカに対する反抗として受け止められてしまう状況に日本は置かれている。
現にアメリカ政府高官は、靖国神社の博物館に展示された内容に対してクレームをつけて修正させた。要するにアメリカは日本の軍国主義者と戦って勝利した「正義の味方」でなければならない。だから原爆を投下しても国際法で裁かれることはないし、3月10日の東京大空襲で一般市民を10万人殺しても罪に問われることはない。
しかしアメリカに本当に日本と戦争をする必要があったのかという疑問をフーバー元大統領が回想録を書いていた。要するF・Dルーズベルト大統領の政策を批判したものですが、アメリカからこのような回想録が出されることは時代の流れを感じさせます。この回想録は1000ページにも及ぶ大著であり内容は分りませんが、アメリカの元大統領の回想録が47年間も封印されてきたことは不可解だ。
それだけアメリカにとっては都合が悪いから封印されてきたのでしょうが、ルーズベルト大統領の対日政策にもいろいろと問題があることは確かだ。しかしそれを認めてしまうと東京裁判史観が成り立たなくなり、都合の悪いことは封印されてきた。日本は中国や韓国やGHQなどからの不当な言論弾圧には反論すべきなのですが、政界はもとより歴史学界もマスコミも東京裁判史観を守り続けてきた。
「株式日記」ではこれらの事に関して反論を続けてきましたが、フーバー大統領の当事者の発言が出てきたことは歴史の流れを変えるものとなるだろう。
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666.「近衛上奏文を語る」国際政治学者藤井厳喜
ヤルタ協定を徹底批判したブッシュ・ジュニアの演説・・
※書籍の内容は著者の調査を基に書かれたものであり、
すべてが真実であることを保証するものではありません。
はじめに
- 反日プロパガンダは、日本の国そのものに対する攻撃である
- 「反日中毒が蔓延している」と反骨のフランス人ジャーナリストが喝破した
- 序章フーヴァー大統領の『フリーダム・ビトレイド』が明らかにしたルーズベルトの裏切り
- フーヴァーの勇気ある告発――ルーズベルトは誰のために戦争を始めたのか
- ルーズベルト神話は、いまだアメリカ社会に根強く生きている
第1章 日米関係前史
両国は衝突する運命だったのか?
- 日本の鎖国を終わらせたのはアメリカだった
- ハワイ王国を乗っ取ったアメリカ
- 若き東郷平八郎は、ハワイの亡国とどう向き合ったか
- 英露ふたつの大国がぶつかったのが、日本だった
- アメリカが、日本を仮想敵国とした戦争計画「オレンジ・プラン」を作っていた理由
- 対日感情を大きく変えた移民排斥運動
- 日米は、どこかの段階でぶつからざるを得ない運命にあった
- 南北戦争勃発で生じた日米関係の空白
- カラカウア王が日本に持ち掛けた仰天計画
- ロシアとイギリスのグレート・ゲーム
- アメリカはなぜ、日英の蜜月関係を終わらせたかったのか
- 日米関係はずっと悪くなかった
- 日本人にとって衝撃的な出来事だった、排日移民法の成立
- アメリカは、日本がチャイナの利権を独占するのが許せなかった
第2章 日米戦争を起こしたのは誰か?
『フリーダム・ビトレイド』でフーヴァーは何を伝えたかったのか
- 日本に対する宣戦布告なき戦争が、静かに始まっていた
- スターリン、チャーチル、?介石には、ルーズベルトとの深い関係があった
- ルーズベルト家は、チャイナ貿易で財を成した家系だった
- かくして、アメリカは開戦に踏み切った
- 「戦争を始めたいという狂人の欲望」が日米戦争を引き起こした
- 日本の知らない裏側で世界はつながっていた
- なぜ、海軍は三国同盟を防げなかったのか
- ついに一緒の船に乗った! 安堵して眠りについたチャーチル
- アメリカを侵略する共産主義の脅威
- 「赤狩り」という極端な政策がアメリカで吹き荒れた理由
- アメリカ国民よ、今こそ目を覚ませ
- フーヴァーは、アメリカンドリームボーイだった
- 歴史から消し去られたフーヴァーの功績
- 世界経済を立て直すための経済サミットを、ルーズベルトが潰してしまった
- ルーズベルトのニューディール政策は、大不況を克服することができたのか
- なぜ、ルーズベルト大統領は戦争を望んだのか
- チャイナとキリスト教宣教師の奇妙な関係
- ヨーロッパの戦争でアメリカン・ボーイズを死なせるな
- フーヴァーとマッカーサーの会談で何が話されたのか
- 最大限譲歩した和平交渉は、拒絶された
- 三国同盟締結は、日本を滅ぼす道だった
- 日本はハワイではなく、極東ソ連を攻撃して挟み撃ちにするべきだった
- 議会にアメリカの宣戦布告を求めたルーズベルトの欺瞞
- フーヴァーは、共産主義の脅威と戦うことに生涯をかけていた
- アメリカ国民は本当の歴史を知らされていない
- チャイナは、あらゆるものが戦争の手段となる「超限戦」を仕掛けている
- フーヴァー大統領への期待と失望
- 世界経済を立て直すための経済サミットを、ルーズベルトが潰してしまった
- フーヴァー研究所を創設して、アメリカの保守主義を支える
第3章 原爆を落とす必要があったのか?
日本は終戦のために水面下で動いていた・・・
- 無条件降伏の要求が、戦争を無駄に長引かせ、より残酷なものにした
- 広島・長崎への原爆投下がなくても、日本は降伏していた
- 日本に無条件降伏を呑ませるための切り札
- 徹底抗戦を叫ぶ陸軍統制派は、社会主義革命を望んでいた
- イギリスは、伝統的な外交政策バランス・オブ・パワーに徹すべきだった
- 第二次世界大戦は、世界の構図をどう変えたのか
- 第二次世界大戦の本当の勝者は誰か
- チャイナを労せずして得た毛沢東
- ルーズベルト大統領3つの大罪
- 原爆投下は、新世界におけるアメリカの覇権を誇示するものだった
- トルーマンが、ソ連対日参戦の前に戦争を終わらせたかった理由
- 和平を訴える「近衛上奏文」のもうひとつの危機感
- 日本は、大局観に基づく知恵を持っていたか
- 余りに大きかったイギリスの勝利の代償
- 最大の犠牲者を出したソ連が、第二次世界大戦で得た最大の成果
終章 日米がもし戦わなかったら?
世界地図は全く異なるものになっていた・・
- 日本はイギリスとの戦いだけなら勝機があった
- 大英帝国の運命を握っていたのは、ドイツではなく日本だった
- ヨーロッパは、ナチス・ドイツとソ連の支配が温存された
- チャイナは分断国家となっていた
終わりに