山元学校のMission(天命)「Before &After」
「だれでも天才に成れる塾」。初回から最終回まで、
熱心に付き合ってくれた天才塾事務局長の岩瀬貴之くん。
また本来の山元学校事務局長さんや、熱心なスタッフ
の皆様と、その都度「山元学校のあるべき姿」に
ついて、話しあって来ました。
岩瀬くんが、天才塾第2期が始まる秋を控えて、見事なカタチ
で、総括をしてくれました。
山元学校や 天才塾のミッションは、まだまだ「道半ば」で、
これからが 本番です。
良い方向を目指して、みなさまが、指摘してくれた
ことは、肝に銘じて、引き締めて対応して行きます。
足掛け27年。ここまで来れたのは、山元学校や天才塾で
のスピーカーやアーティストの皆様のおかげです。
更にスタッフの皆様の熱心なサポートがあったからだ
と思います。改めて感謝します。
あ~しあわせ。
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みんな、天才を超えようぜ
公開日: : (岩瀬貴之くんの総括)
輝く日本人、強い日本人を創りたい
20年もの長期に渡って続く私塾がある。
20年を超える歴史で、参加した者の数はのべ1万人以上。
異業種ビジネス交流の先駆的な立場で、これまで
毎月一回活動してきた。
参加者は実に様々で、多種多様な企業経営者や起業家、NPOやNGO
団体を運営する者、400以上の学生団体とそのリーダーたち、塾に
参加した学生と創設した団体も65団体にのぼる。
さらに、現役衆議院議員&参議院議員から、200名以上の国会議員
や地方議員、来賓として駐日大使も講演を行う。これまで130カ国
の大使が講演した。
それだけではない、ビジネスだけではなく、絵画や音楽など文化的
な側面を大切に考え、茶道、華道、歌舞伎、三味線、オペラ、民謡、
箏曲など、たくさんのアーティストがこの塾でパフォーマンスを
披露し、その後も活躍を続けている。
世代や業種・人種を超えた交流を図ることで、多くの化学反応を
生み出し、互いにサポートし合う関係性を創出していくのが、
山元学校という私塾だ。
この塾の塾長が山元雅信氏。現在74歳。
その風貌と思考力、行動と実践力を見る限り、70歳を超えた
人物とは到底思えない。山元氏は私塾の企画、運営、演出、
集客から同時通訳までを一手にこなす。
それはまるで、1つの舞台を創り上げる演出家、
バラエティープログラムの名司会者、
ドキュメンタリー映画の総監督のようである。
山元氏は、1968日立造船に入社し、新造船輸出営業として、
ノルウェー駐在6年・インドを4年担当し、ノルウェー時代に
ゼロから市場90%のシェアを獲得し、日立造船全体売上の3割
を超えるという伝説を作った。
さらにその後、国際展示会を主催する会社へ転職。4年半の間に
国際展示会をゼロから14本立上げ、うち7本は初回からアジア
最大規模となった。眼鏡業界の全体の売上4倍。宝飾業界の売上5倍
を初め数々の伝説を作った。
その後もこの人物の活躍は目まぐるしいものがある。ゲーム業界では
サードパーティの売上を、2年間で10倍に成長させ、1990〜1993年の
間には、北米市場での売上を1年間で倍増させた。
また、崩壊状態だったアジアマーケットを再構築し、9億円の目標売上
を達成するという偉業を見せた。
1995〜1998年は、別の会社で、ギフトショーとプレミアム・
インセンティブショーを日本最大の展示会に仕立て、
年に2回のギフトショーを7回担当し、毎回100社増やし
ながらビジネス展開の仕組みを作成していった。
★1998年に独立を果たし、故瀬島龍三氏の「幾山河」
出版記念講演会において、瀬島氏ご本人から
「自分の会社のことを一生懸命やる」のは、
経営者として当然だ。
しかし少しで良いから日本の若者、日本の社会に
「時間とエネルギーを割いて欲しい」との言葉を受け、
現在の私塾をスタートした。
その塾が20年の歴史を刻み、今もなお多くのファンを
生み出している。
人生は順風満帆なんかじゃないさ
どこからどう見ても輝かしいビジネスマン人生。誰もが羨むような
伝説的業績を持った山元氏。
しかし、実はここに至るまでには壮絶な苦しい時代がある。
自身の身体的・精神的コンプレックス、トラウマ的思考、
ハンディキャップに苦しみ続け、人生のどん底を味わい、
苦しみ続けた過去を持っているのだ。
輝かしい実績の裏には、数千という策を自身で考え実験し、
それを愚直にやり続けるという常人では真似できないような
努力があった。
ハンディキャップがあったって、自分で道を決めて実験し
続ければ、必ず光が見える。やり続けることが大切だ。
「俺の人生は、こんなことが果たして俺なんかにできるか!?
という実験の場なんだ。今も実験中だよ」と山元氏は笑う。
その山元氏が、2018年に入り新たな塾を開催した。
塾の名は「誰でも天才を超える塾」。
自身は天才とはかけ離れていたという山元氏。
山元学校では、巧みな雰囲気作りと話術で参加者が
持つポテンシャルを引き出し、プレゼン内容にじっくりと
耳を傾ける。その好奇心も並外れている。
しかし、これまで断片的に話すことはあっても、自身の経験
をじっくりと話す機会を持つことはなかった。
「武勇伝をひけらかすようなことは嫌なんだよな」
それが理由だったらしい。らしいなぁ、と聞いていて思った。
それでも、
①「さらに輝く日本人、強い日本人に育って欲しい」
②「もっと世界と渡り合える日本人が増えて欲しい」
③「俺はもっと誰かの役に立ちたい」
という想いが、ついに山元氏を動かし、自身の
経験を余すことなく、赤裸々に語り、参加者の
想いに耳を傾け、仲間とともに考える。
少人数でできる限り個人に寄り添うという形の塾を
スタートした。
塾は全10回開催し、昨日ひとまず終わりを迎えた。
20年の歴史がある山元学校と比べると、
参加者の人数は、とても少ない。
でもこれが山元氏が望んでいたことなのだ。
僕はこの塾でいつも傍に座らせてもらい、山元氏
と参加者の表情を眺めてきた。
ときに真剣に、ときに笑い合い、双方ともその目も
笑顔もキラキラと輝いていた。
最後の回で山元氏が語ったのは、
「足るを知る」ということと「利他の心」だ。
人生においても、ビジネスにおいても、
この精神が大事だ。
日本人の我々は、皆がこの精神を持ち合わせている。
特に個人的には、山元氏に教わった「利他の心」を
大切にしている。
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「いいかい岩瀬君。
どんな時もまずは相手のことを考える
ことが大事だよ。
それが必ず自分に還ってくるから。」
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まだお会いして間もない頃に教えてくれたことを、
いま僕は強く強く実感している。
「誰でも天才を超える塾」は、いずれ形を変えて再スタート
するだろう。その時は是非この人物の門を叩いて欲しい。
きっとこれまで見たことのない世界を見せてくれるに違いない。