日本人の敵は日本人。なぜ?? 人道主義171102Thu

白洲次郎。憧れた人物。「Principle」ご本を何度も 読み返した記憶がある。毎年 2トンは 書籍類を断捨離しているが 捨てられないシリーズ。「戦争に負けたのであって奴隷ではない」何度も反芻した言葉。こういう姿勢と信念、勇気を持たねばと思う。だが 私たち日本人は まだ「「War Guilty Information」に縛られている。毎年 アメリカ大使館と日本の各省の官僚たちが いつの間にか決めてしまう。アメリカの年次要望書の存在。従うしかない。もちろん そのお陰で 日本は戦争に深く巻き込まれることがなく 平和を維持でき、国際的に、豊かな国になったのは事実だ。

日本人の敵は日本人。 私もそういう場面に何度も遭遇してきた。だが良く聴いてみると その人たちの主張は 戦争中に 勝手に日本が侵略した。いかに日本軍がひどい殺戮を繰り返したということに尽きる。

確かに その面はあるはずだ。戦争だから。必要がないのに原子爆弾を2つもおとし、東京大空襲で 子供も民間人も虐殺してしまったことは 記憶に新しい。最近でも 数か月前に シリアを爆撃した。犠牲者は殆どが 民間人 子供 赤ちゃんも 殺戮。勝手に、他国に爆撃して侵略していくことは 長年 私たちも見て来た。どこに 正当性はあるのか? ベトナム イラク シリア 枚挙にいとまない。中国 北朝鮮の実態を見ても 同じことをしている。どこに正当性があるのか? 人道主義は どこへ行ったんだ。人間として。

マッカサーのこの証言を語る日本人の敵は 少ないように思う。人間として大切なことを言っているので しっかり聞いてほしい。私たち自身がそうならないように。

GHQが定めた30項目の報道規制(プレスコード)

  1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2. 極東国際軍事裁判(東京裁判)批判
  3. GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
  4. 検問制度への言及
  5. アメリカ合衆国への批判
  6. ロシア(ソ連)への批判
  7. 英国への批判
  8. 朝鮮人への批判
  9. 中国への批判
  10. その他連合国への批判
  11. 連合国一般への批判(国を特定しなくても)
  12. 満州における日本人の取り扱いについての批判
  13. 連合国の戦前の政策に対する批判
  14. 第三次世界大戦への言及
  15. 冷戦に関する言及
  16. 戦争擁護の宣伝
  17. 神国日本の宣伝
  18. 軍国主義の宣伝
  19. ナショナリズムの宣伝
  20. 大東亜共栄圏の宣伝
  21. その他の宣伝
  22. 戦争犯罪人の正当化および擁護
  23. 占領軍兵士と日本女性との交渉
  24. 闇市の状況
  25. 占領軍軍隊に対する批判
  26. 飢餓の誇張
  27. 暴力と不穏の行動の扇動
  28. 虚為の報道
  29. GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
  30. 解禁されていない報道の公表

ケントさんのお話は いつも説得力がある。お目にかかるチャンスが 何度もあった。実によく勉強されている。ご本も読ませてもたっている。一読をお勧めする。「歴史教育をやめた、あるいは忘れた」「誇りを忘れた国」は 歴史の彼方に消えていく。

歴史学者が 良く勉強されて、この話をされる。

では 誇りは持てるのか?? 勉強すれば 持てる。自分で考え行動すれば そうなる。批判することは かっこいい。だが 裏づけのない、単なる迎合で言っていると すぐに 化けの皮がはがれる。

自分たちの良い伝統や 考えをしっかり持たねばと思う。この文章を書きながら ずっと音声を聴いていた。私の知らないことを一杯、聴けた。

あ~しあわせ。幾つになっても 勉強をしよう。

 

 

 

新聞
昭和20年の12月8日(1941年の真珠湾攻撃の記念日)から、GHQの命によって全国の新聞社に「太平洋戰爭史」という連載記事が10回にわたって掲載された。
その内容は張作霖爆殺事件(1928年に発生した中国大陸の軍閥指導者の暗殺事件)からミズーリでの降伏文書調印式(昭和20年9月2日、これによりポツダム宣言、すなわち全日本軍の無条件降伏を含む全13か条から成る宣言の受諾は外交文書上固定された)までを題材とした「日本の悪行(過剰な表現等を含む)」をことさらに強調されたものであった。

書籍
GHQはさらに太平洋戰爭史を昭和21年4月に単行本化し(この時点で「聯合軍總司令部民間情報教育局資料提供」としている)た。
また、昭和24年2月に発売された随筆集「長崎の鐘」にマニラ大虐殺(フィリピンマニラにて庄和20年2月から3月にかけて発生した戦闘により日本軍による民間人の大量虐殺が発生したというものである、これにより無防備都市宣言しようとした山下奉文大将絞首刑となった。ただし、アメリカ軍の戦闘行為、すなわちマニラに対する無差別砲爆撃等による死者も馬鹿にならないことを隠ぺいするための陰謀であるという意見もある)に関する資料を掲載させた。

教科書
修身日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」を昭和20年12月31日に出し、それまでの教科書を回収、当然新しい教科書準備は間に合わないため、先の太平洋戰爭史を教科書として使用させた。

教科書の検問基準は5つあり以下の通りである

  1. 天皇に関する言葉で「現御神(あきつみかみ)」「現人神(あらひとがみ)」「大君(おおきみ)」などを扱ってはならない
  2. 国家的拡張に関する言葉で「八紘一宇」「皇道の道」「肇国の精神」などは扱ってはならない
  3. 愛国心につながる用語を記載してはならない(愛国心がタブー視されていく源がここにある)
  4. 日本国の神話の起源、あるいは英雄及び道義的人物としての皇族、これを扱ってはならない
  5. 神道や祭祀、神社に関する言及をしてはならない(神道指令)

実際に禁止されたものに、以下のものがある。

  • 国民から尊敬される天皇の歴史を教えてはいけない(天皇の負の面しか教えてはいけない)
  • 国民から尊敬されるような英雄を教えてはいけない(日本人に誇りや勇気を教えてはいけない)
  • 「我が国」という言葉を使ってはいけない(日本のことは「この国」としか呼んではいけない)

ラジオ
ラジオにおいてGHQ配下のCIEが作成した「太平洋戰爭史」を劇化した「眞相はかうだ」を昭和20年12月9日より10回にわたって放送させた。この番組はGHQが作成したことを隠匿していたため、この放送を行ったNHKに問い合わせ等が殺到したとされる。そこでCIEは反響を利用して新たな番組「眞相箱」や「質問箱」を作成し、昭和23年まで放送させた。

プレスコード

上述の通り、「何を伝えさせるか」という積極的な政策を行ったわけであるが、そのほかにも「何を伝えさせないか」という政策も同時に行われた。その中でも有名なものが、通称『プレスコード』と呼ばれる検閲である。
この『Press Code for Japan』と呼ばれ、日本名を『日本に与うる新聞遵則』という。この検閲は新聞のみならず雑誌書籍などにも適用された。さらに放送においては日本放送遵則(英名:Radio Code for Japan)という同様の規制が存在した。

日本を占領したダグラス・マッカーサー元帥が1946年元日に声明を出す以前の1945年9月10日に『新聞報道取締方針』『言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書』を発令し、報道の自由と裏腹に、GHQ及び連合国批判および大東亜戦争の被害に関するものの報道を一切禁止させた。

更に9月21日より、日本における出版に対して検閲を行うことを定めた日本に与うる新聞遵則が成立し、第二次世界大戦中の検閲と異なる点は「削除の形跡が残らないこと」であったとされる。また30項目の記載してはならない点があった。

GHQが定めた30項目の報道規制(プレスコード)

  1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2. 極東国際軍事裁判(東京裁判)批判
  3. GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
  4. 検問制度への言及
  5. アメリカ合衆国への批判
  6. ロシア(ソ連)への批判
  7. 英国への批判
  8. 朝鮮人への批判
  9. 中国への批判
  10. その他連合国への批判
  11. 連合国一般への批判(国を特定しなくても)
  12. 満州における日本人の取り扱いについての批判
  13. 連合国の戦前の政策に対する批判
  14. 第三次世界大戦への言及
  15. 冷戦に関する言及
  16. 戦争擁護の宣伝
  17. 神国日本の宣伝
  18. 軍国主義の宣伝
  19. ナショナリズムの宣伝
  20. 大東亜共栄圏の宣伝
  21. その他の宣伝
  22. 戦争犯罪人の正当化および擁護
  23. 占領軍兵士と日本女性との交渉
  24. 闇市の状況
  25. 占領軍軍隊に対する批判
  26. 飢餓の誇張
  27. 暴力と不穏の行動の扇動
  28. 虚為の報道
  29. GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
  30. 解禁されていない報道の公表

この検閲により7769冊もの書籍が出版されることなく没収され、焚書された。また、GHQ自体、あるいはその付属者や外国人などの悪事も報道されることがなかった。
この検閲における削除および発行禁止対象アメリカ国立公文書館の資料に残されている。

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月刊正論】
これが戦後の元凶だ! 米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘

 WGIP(War Guilt Information Program)とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画です。

はじめに何故、私がWGIPを取りあげたのか、という理由から述べます。WGIPが行われたのは今から約70年前ですが、決して過去の話ではありません。むしろ今でも効き目を発揮し、ますます毒性が強まっている、いわば現在進行中の話なのです。

WGIPが残した毒は、政、財、官、法律、教育等あらゆる分野で、今も枢要の地位を占める人を含む、多くの日本人の思考を今も縛っています。最近も、戦後70年の首相談話を検討する「21世紀を構想する有識者懇談会」の北岡伸一座長代理が、「総理に侵略だといわせたい」などと、およそ信じがたい発言をされました。自民党の三役の一人が、「慰安婦問題は終わっていない」などと、歴史事実を知りもせず、韓国に媚びた発言をする光景には、あきれ返るばかりです。普通の国では起こりえない、自虐的な発想や、非常識な外交対応などが頻発する背景には教育などさまざまな要因があるでしょう。ですがその源流はWGIPによる洗脳にほかなりません。そしてその洗脳から日本人は解放されていないのです。

このままでは日本は、どうかなってしまうのではないか。諸悪の根源を突きとめ、その元凶を絶つ必要がある。そのために多くの日本人にWGIPについてしっかりとした認識を持って欲しいという思いがありました。

WGIPについてはこれまで、江藤淳氏や高橋史朗教授が、立派な著作を残されています。なぜ、私が屋上屋を重ねるようなことをするのかという疑問もあるかもしれない。ですがインターネット上の百科事典とされるウィキペディアにはWGIPについてこう書かれているのです。

《文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない》

今や一部では存在すら危ぶまれているのです。現資料が紛れもなく存在することを世の中に示したい。それがWGIPの文書を探し始めた大きな理由でした。

ピンポイントで文書を特定する困難

そのようなわけで文書を探し始めた私はまず私は国会図書館に足を運びました。検索で資料が出ないか、と試みましたがどうにもうまく進みません。自宅でも検索を重ね、目当ての文書がどうやら明星大学(東京都日野市)戦後教育史研究センターに所蔵されていることがわかりました。早速、明星大学に足を運びましたが、2万5千点もの膨大な資料があって、この中から目当ての文書を特定しなければなりません。全ての文書に目を通すことは到底できないし、絞るにしても目録だけで500ページ近くあって、至難のワザでした。

高橋史朗教授や勝岡寛次氏にもアドバイスをいただき、さらに私なりの“読み”を加えながら、丹念に絞り込んでいきました。そしてようやく目指す文書を手にすることができました。ここにその文書のリスト(表1)を示します。「江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」というウィキペディアの記述が誤りであることがこれで明白になりました。

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日本人洗脳工作の構図

まず、ブロックダイヤグラム(図1)を見て下さい。文書に入る前に、洗脳作戦の全体的構図を説明し、その中でWGIPとは何かを説明します。

占領下の日本人洗脳作戦において、実際、一番権力を持っていたのは、アメリカ本国の大統領府であり、当時の大統領トルーマンは、極め付きの反日、侮日主義者で、原爆投下については、「獣を扱うには、獣にふさわしい方法でやった」と、日本人を獣扱いしていたと言われています。

それに比べると、日本に進駐してきた軍人は、進駐当時こそ、JAPとか黄色い猿とか言っていた人も、暫く経つと親日的に変わっていった人が多かったようです。特に、海軍の場合は、海軍同志で、戦前から交流の機会が多く、特にワシントン海軍軍縮交渉で知り合った同志は、終戦直後でも、比較的友好的な交流があったようです。

 日本の中での最高権力組織は、もちろんGHQですが、これは正確には、GHQ/SCAPという名称でした。GHQは、General Headquartersの略で、いわゆる総司令部、SCAPは、Supreme Commander for the Allied Powers(連合国総司令官)の略です。マッカーサーは、両方を兼ねています。

このGHQ/SCAPの下に、WGIPの主役となる、CIE或いはCI&E(民間情報教育局)や、G-2(参謀第2部)、CIS(民間諜報局)或いは、CCD(民間情報検閲支隊)、極東国際軍事法廷(いわゆる東京裁判法廷)などがあり、そして日本政府も、この一翼を担っていたわけです。

CIEは、日本人を洗脳するために、どのように日本のメディアを操り、どのような情報を流すかを考え実行したわけです。その内容が、私が収集した原資料に繰り返し出てきます。これに対して日本人に知られたくない情報を日本人から隠したのが、焚書(占領軍にとって有害な図書の没収)や、報道の削除や禁止を定めた命令でした。

しかし、いずれの場合でも、占領軍は、日本の一般人に対しては直接実行する方式ではありませんでした。日本政府や日本の報道機関を通じて実施した間接統治であったことが、この作戦の巧妙な所であり、多くの日本人は、それらの思想が、占領軍から押し付けられたことに気づかない。日本政府や日本人自らが行ったと錯覚させられてしまう。そういう巧妙な構造のもとで進められました。

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WGIPとは何か

東京裁判と「日本=戦犯国家」という刷り込みは、どのように行われたのでしょう。前段でも触れましたが、WGIPは、占領軍が行った日本人洗脳作戦の中核をなすものです。そして、そのなかで最優先かつ最重要な案件が、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)です。

そのことは、最初に紹介するCIE文書にも-まだウォーギルトインフォメーションプログラムという言葉はこの時点では使われてはおらず「インフォメーションプラン(Information Plan)」となっていますが-出てきます。

まず昭和20(1945)年12月21日付で、GHQ/SCAPから出されたものと思われる、CIEの局長あての文書をご覧下さい(写真(1)(2)と英訳)。

これは、日本の占領初期に出されたものです。非常に基本的ですが、その後の作戦の主要部分の根幹を示す重要な文書です。その3ページ分の英文の全訳を示しました。下記にその趣旨を説明します。

この文書の原文には、各ページの上下に、極秘(Confidential)と表示されていて、日本人には見せたくない文書であることを示しています。

WGIPには、積極的に日本人を洗脳する作戦と、アメリカにとって都合の悪いことを糊塗する作戦の二つの側面がありますが、この文書では、積極的に日本人を洗脳する作戦の基本が書かれています。

この文書は、I、II、IIIの3部からなっており、第I部は、日本の戦争犯罪を定義したものであり、極東国際軍事裁判(東京裁判)における、戦犯訴追の基本をなす、非常に重要なものです。CIE文書の始めに出てくるということは、東京裁判が、WGIPの1丁目1番地であることを示しています。

 ここで述べられた、BおよびCは、それほど不当な内容ではありませんが、Aに書かれていること(いわゆるA級戦犯の訴追原因)は、非常に問題があります。これは、一般に事後法で裁いたと批判されていますが、反論する人は、おそらく1928年のパリ不戦条約(Pact of Paris)、別名ケロッグ=ブリアン条約(Kellogg-Brian Pact)を持ち出してくると思われます。このパリ不戦条約も考慮しながら、このA項を考察、批判してみましょう。続きは月刊正論5月号でお読みください

関野通夫氏 昭和14年神奈川県鎌倉市生まれ。39年、東京大学工学部航空学科卒業後、本田技研工業に入社。フランス、イランなど海外駐在が長く、米国ではホンダ関連法人の社長を務めた。平成13年に退職。実務翻訳に従事。