石田梅岩 心学が 日本を救う!?。(No.1)  170504(Thu)

石田梅岩さんの心学。 今再び 必要な考え方だと いつの頃からか 思うようになった。

世界の宗教や新興宗教など 学び 見聞きし 勉強させて 頂いた。それぞれ素晴らしいものが

あった。 感謝している。

 

気になる点は 個人崇拝。神格化とか 偶像崇拝 あるいは バイブル至上主義的な部分。

もちろん 自分を無して 信奉し 使えることで 生きる道を見つける事が出来る。

その価値は 充分あると思う。その形や仕組み 組織があるから 継続が可能となった。

 

ただ 私が 原点に立ち返ると やはり心学の生き方が 私の場合 しっくりくる。これは

好みの問題かも知れない。人様に押し付けるものでもない。

 

ひたすらに 自分の職業をきわめて行く中に 人間の成長があり、道を究めることが 周りの人々にも

良い影響を与える。 極める中で 粋だとか 人間の道もわかるようになる。また 極めた人は

神様の域に 達しているなああと感動する。

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聖書や仏典 イスラムの聖典 などなど 確かに素晴らしいものがある。

が それを暗記する人が えらい先生とか 奇跡を起こす人を 師として 崇め従うことも

当たり前で 大切だが、個人が個人の努力で 素晴らしい生き方をして 道に達するという考え方

も 大切ではと思う。 山元学校をやっていると 各宗教からのお誘いが たまにある。だが

私は 私の考え方 生き方があるので 有難いお申し出であるが 参加することは 今までも

これからもない。 ただ宗教心はある。 参加しないことが 悪いことではないと確信している。

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生きる目的が 社会を良くして 環境も良くして 自分や家族 周りの人々にきちんと接しながら

自分の道を究めることで 生計をきちんと立て、 人道主義的な生き方も こういうカタチでも出来ると思う。

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それぞれの宗教は 本当に極めると素晴らしいと思う。だけど 個人の仕事を 誇りをもって 素晴らしいもの

に仕上げることの神聖さ 意義もあるのではなかろうか??

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江戸時代に 心学が広まったから 今の日本があるとの想いを強くした。 日本製品が なぜ

しっかり品質を作るようになったのか? そこに 心学の影響があると思う。 私たちの伝統は

手を抜かない 最高の品質をさらに高めようとする。 マイスター 親方制度に通じるものがある。

そこに命を懸ける。余計なことは 考えない。 ものづくりの原点だと思う。

 

★もちろん ドイツを始めとして ものづくりの素晴らしい国々がある。それぞれの誇りもあるだろう。

だが 日本は ものづくりでは やはり心学的な考え方が大切だと 確信している。

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石田梅岩・石門心学の京都講舎跡地に石碑と駒札設置

江戸時代の思想家、石田梅岩(1685~1744年)が石門心学を説くために開いた、京都市中京区車屋町通御池上ルの講舎跡地に、同学問発祥の歴史を伝える石碑と駒札が設置され、3月19日に除幕式が行われた。梅岩の研究者や子孫、地域住民ら約50人が立ち会い、教えを後世に伝えていくことを誓った。

石田梅岩は現在の亀岡市に生まれ、呉服屋で奉公したのち、1729年に同地で当時としては画期的な、身分の区別なく誰もが自由に学べる講義を始めた。その斬新な教えは承認を中心に石門心学として広まっていった。

 

【まとめ】山岡 正義 『魂の商人 石田梅岩に学ぶ 序章~第3章

Published on Sep 16, 2016

<序章>石田梅岩の生きた時代
<第1回>まことの商人道とは
<第2回>勤勉こそ心の安らぎ
<第3回>お客さま満足度・・・     富の主は天下の人々なり~

 

「松下幸之助の心の師・石田梅岩の教え」

石田梅岩の心学

心学が教えた善玉悪玉の考えが広まり、踊りにも取り入れられた。葛飾北齋『踊獨稽古』に描かれた悪玉おどり。 (雙鶴堂鶴屋金助, 文化12 (1815))

石門心学(せきもんしんがく)は、日本江戸時代中期の思想家・石田梅岩1685年1744年)を開祖とする倫理学の一派で、平民のための平易で実践的な道徳教のことである[1]。単に、心学ともいう。さまざまな宗教・思想の真理を材料にして、身近な例を使ってわかりやすく忠孝信義を説いた[1]。当初は都市部を中心に広まり、次第に農村部や武士まで普及するようになった。江戸時代後期に大流行し、全国的に広まった。しかし、明治期に衰退した。概要[編集]

哲学入門77 石田梅岩 石門心学

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徳川吉宗の時代、町人に道徳意識を与えることが急務とされ、石門心学がその任務に当たった[2]。その思想は、神道儒教仏教の三教合一説を基盤としている。その実践道徳の根本は、天地の心に帰することによって、その心を獲得し、私心をなくして無心となり、を行うというものである。その最も尊重するところは、正直の徳であるとされる。

一般民衆への道話(どうわ)の講釈と心学者たちの修業(会輔)の場となったのが、心学講舎と呼ばれる施設である。明和2年(1765年)に手島堵庵が五楽舎を開いたのが最初である。最盛期には全国に180カ所以上の心学講舎があった。

名前の由来

石田梅岩門下の手島堵庵が大成したことから当初「手島学」と呼ばれていたが、松平定信が手島の弟子・中沢道二の道話を「心の学び」と言ったことから「心学」と呼ばれるようになった[1]。しかし、陽明学でも「心学」という用語を使うことから混同を避けるために「石門心学」と呼ばれたが、いつしか略されて「心学」が一般的呼称になった.