夜中に BSで ヤップ島の石貨の話を みていた。 あれ どこかで 聴いたことのある話だと思った。
これらの石貨 海上500キロも 離れたパラオから わざわざ 小さな帆をはり、竹のいかだを組み はるばる 祖先が
運んで来たもので、海上500キロの航海をへて 連綿とすごしづつ竹のいかだを組んで もって来たことで
その希少性もあって航海の苦労が この石貨に価値をつけたそうだ。連綿とマイニングをやってきた訳。
人間の考えることは 大昔から 変わらない。 次の映像で その歴史が わかり とても興味深い。
価値をつけること。 イワシの頭も・・を想いだす。 いぜん 中国のお金が たくさん残っていたので 空港で
両替をしようとしたら 賞味期限が切れていて 全く使えなかった。 戦争が終わったとき、全てを現地の通貨や
日本の当時の通貨に換えて 持ち帰ったら 結局交換最後の日に間に合わず 今までの辛苦が 無駄に
なった話を両親から よく聞いていた。 お金されど お金 たまに 全く価値がなくなる。肝に銘じよう。
必要な時に 必要なだけ 使えることが 肝心なのだ。 仮想通貨 デジタルマネーは スイカ パスモ
ビザカード アメックスも通貨としてつかう。 同じことだ。
せっかくなので この南の楽園を 探索してみよう。基本 自給自足の経済だった。今も そうなのではと思える。
人間の幸せとは 自然や伝統的なしきたりや 生き方を 受け入れることが 出来れば まさに天国と思える。
もちろん ハリケーンや 自然災害もあるだろうけど ゆったりとした時間が 流れ 肌に心地よい 風がながれている
ようで 憧れる。 幸福の青い鳥は 意外と身近なところにいるそうだ。 しあわせを 求める。旅は まだ続いている。
ヤップ島の人々 1万人強。 表情を見ていると なんだか ほっとするが ここに来て チャイナマネーがきて
カジノ計画が 持ち上がった。4000室のホテルをつくろうとする計画だ。 勝手かもしれないが ぜひ 阻止してほしいが
経済の自立の問題に 真剣に取り組まねば ならない時期に来ている。 がんばれ~~
ヤップ島に押し寄せるチャイナマネー(カジノ計画)
西太平洋に浮かぶ小島、ヤップ島。かつてこの島の住民は苦労して金を手に入れた。彼らは石を削って巨大な石貨を作り、それをカヌーに乗せて外洋を渡って島に持ち込んだ。
グローバル経済の中でいかにして金を手に入れるのか。西太平洋まで押し寄せてくる中国マネーにどう対処すればいいか。今、ヤップ島ではこうした問題をめぐって住民の間で意見の対立が起きている。
中国人不動産開発業者の鄧鴻氏はこの島に10億ドルをかけてカジノとゴルフ場を併設した客室4000室のリゾートを建設したいと考えている。リゾートホテルを建設すれば、ヤップ島の年間の経済生産額は現在の4倍の2億ドルに増える、と鄧氏は言う。
しかし、火山岩でできた広さ101平方キロメートルのこの島の住民が心配しているのは、リゾート建設によって手に入れるものは失うものに見合っただけの価値があるのか、という点だ。中国人観光客や外国人労働者の流入でヤップ島の人口は倍増するだろう。リゾート用に土地を空けるために、住民の中には海岸に草ぶき屋根の家が立ち並ぶ先祖伝来の村落を出て、開発会社が用意した新しい住居に移らなければならないだろう。
ヤップ州議会の議長、ヘンリー・ファラン氏は「ヤップの人々は大金を持ってやってくる中国人ほど強引ではない」と話す。10人の議員からなるヤップ州議会はこのプロジェクトを阻止するための法律を可決したところだった。「自分たちの土地について自分たちの気持ちを抑えることに未来はない」と語った。
しかし、プロジェクトに反対する人々でさえ、ヤップ島は経済的自立を学ばなければならないことは認めている。1万1000人の人口を抱えるヤップ島は長い間、米国からの援助に頼ってきた。その援助も2023年に終了することが決まっている。
ヤップ島は1915年に日本の統治下に置かれ、第2次世界大戦が終わると米国の保護領になった。ミクロネシア連邦の州として独立したのは1986年だ。それ以降、米国は補助金を出し、ヤップ島はその補助金で公共支出の70%を賄っている。2011年の米国の補助金は1550万ドルに上った。条約に基づき、ヤップ島は米国の軍事的支配下に置かれている。
「ヤップは何か手を打たなければならない」。ヤップ州のセバスチャン・アネハル知事は昨年夏の開発合意書の調印式でこう述べた。
米国の援助が支えるヤップ島の現代の生活は、携帯電話や自動車、加工食品といった現代的な側面とのんびりした文化が入り交じってできている。島の文化はたくさんの魚が泳ぐ海、熱帯雨林、そしてビンロウという軽い麻薬がもたらす快楽のおかげで約3000年にわたって生き残ってきた。ビンロウは現在もまだ広く使われている。
ヤップ島には信号も小売りチェーン店もない。ほとんどの住民が自分が所有する土地に住み、その生活は新鮮な魚やカニ、ニワトリ、バナナ、ココヤシの木、タロイモ畑に支えられている。失業率は6%で、労働者の約半数が学校や警察、道路工事、医療といった公共部門で雇用されている。米国内で働くヤップ島出身者から仕送りを受けている家族もいる。ヤップ島の人々は米国に査証(ビザ)なしで入国できる。多くの人が米軍で働いている。
最高首長の1人のAloysius Faimau氏は「ここでは一生懸命働くことはしない。誰からもこき使われることはない」と話した。最高首長とは古くからある肩書で、土地の所有や所属村落と結びついた複雑な社会階層に基づいている。「金を稼ぎたいなら、グアムやハワイ、米国に行けばいい」と66歳の最高首長は言った。
米国がミクロネシアやその他近隣の太平洋島しょ国に実施している援助は年間で1人当たり1000ドルを超えており、世界で最も高額だ。米国政府はミクロネシアが援助に依存している現状を懸念して、太平洋島しょ国に対して民間投資を呼び込むように促した。
2007年には、当時の米内務省島しょ局の副次官補だったデイビッド・コーエン氏が講演の中で、島の住民は現代的な投資を受け入れるべきだと話した。内務省島しょ局はミクロネシアとの関係を監督する部署だ。
コーエン氏は前例があると言った。キリスト教のことだ。キリスト教は「19世紀まで太平洋地域には無縁のものだった」と言い、「今では太平洋地域のほとんどの文化に欠かせない要素だ」と指摘した。
ヤップ島は16世紀後半にスペイン領となり、1899年にはドイツに売却され、1915年に日本の統治下に置かれた。第2次世界大戦が終わると、米国に降伏した。そのヤップ島は中国に頼ることで今抱える難題を解決しようとした。2011年初め、北京のミクロネシア連邦大使館はヤップ島をリゾートにするというアイデアを売り込み始めた。
中国でコンベンションセンターやリゾートを開発する鄧氏は2011年8月、調査のためにヤップ島を訪れ、その風景を気に入った。そこには、人が少ないビーチ、透明な水、生い茂るマホガニーやココヤシの木、そしてシダや熱帯の花々があった。
ヤップ島にリゾートが建設されれば、鄧氏の会社、会展旅游集団(ETG)にとって初の海外投資案件となる。
父親が空軍将校だった鄧氏は北京の市場で衣類を販売していた。その後、輸出入業者としてサンフランシスコに渡り、そこで米国人と結婚した。帰国後、急増する富裕層向けにリゾート建設を行い、財産を築いた(中国のメディアの試算では8億7000万ドルとされる)。チベットの首都ラサにインターコンチネンタルホテルを建設するプロジェクトも鄧氏のものだ。ETG 傘下の旅行代理店が中国人旅行者向けに手配する旅行数は年間で100万件に上る。
ヤップ島を選ぶのは簡単だった、とETGのヤップ島現地代表を務めるYang Gang氏は言う。Yang氏はヤップ島のアパートの自室で「中国に近いからだ」と話した。部屋は裸電球で照らされ、キッチンのテーブルに置かれた空き缶からはたばこの吸い殻があふれていた。
米国本土からヤップ島に行くには2日がかりだが、ETGが計画している上海からの直通便に乗ればたった3時間半で到着する。中国人観光客にとって、ヤップ島はバリやシンガポールより近くなる。
鄧氏はリゾート計画への支持を得るため、費用を出してアネファル知事や村長らを人口700万人の四川省成都市でETGが行っているプロジェクトの現地視察に招いた。ヤップ島でデング熱が発生すると、鄧氏は2万ドルを寄付した。ETGは現地の学校に鉛筆やメモ帳を寄贈した。
ETGはリゾートの設計に向けてフロリダの設計会社HHCPと契約した。HHCPはドバイの人工島「パーム・ジュメイラ」を開発した会社だ。パーム・ジュメイラは空から見ると巨大なヤシの木のように見える。HHCPはヤップ島のために、島の伝統的な建築様式から着想を得た急こう配の草ぶき屋根のホテルを海辺に建てようと計画している。
鄧氏はヤップ島に水深の深い港や病院、学校を建設すると約束している。将来、中国との間で毎日、直行便を飛ばすために、空港に長い滑走路も建設するだろう。現在、ヤップ島からは週にグアム行き2便とパラオ行き1便の計3便の深夜便が運航されている。
ETGは全ての住民に年間400ドルを支払うことも予定している。昨年、ヤップ島にはスキューバダイビングを楽しむ人たちを中心に4000人の観光客が訪れ、数少ない小規模のホテルに滞在した。ETGはリゾートが建設されれば、年間に100万人の観光客が訪れるとしている。
鄧氏はプロジェクトをスムーズに進めるため、コーエン氏を含む数人の米国人コンサルタントと契約、コンサルタントは鄧氏の自家用ジェット機に乗って鄧氏のもとを訪れた。コーエン氏はヤップ島プロジェクトについて地域支援の評価を手伝っていると話した。コーエン氏は2008年に内務省を退職し、現在はロサンゼルスで弁護士をしている。
「私の役割は弁護士というより、顧問だった」とコーエン氏は話した。
8月、ETG側の交渉団とヤップ州の司法長官代理を務めるテネシー州出身の32歳の弁護士が中国側による今後の進め方をまとめた開発合意書を仕上げた。しかし、合意文書の調印以降、事はスムーズに運ばなくなった。
計画によって島が観光客用の地域と先住民用のコミュニティーに分割されることを知った住民が反発したからだ。先住民用のコミュニティーには、住む土地を失った住民のためのアパートが建設されることになっている。住民はこのプロジェクトによって、先祖代々続いてきた村落との絆が断ち切られるのではないかとのいら立ちを感じている。
主要反対派グループ「Concerned Citizens of Yap(ヤップの懸念する市民)」の指導者、Nicholas Figirlaarwon氏は「自分たちの土地を失ってしまう。私たちが一歩踏み出したのはそのときだった」と話す。
Figirlaarwon氏が住む村落では、高さが2メートル40センチもある石貨が電柱に立てかけられている。石貨は石灰石でできていて、丸い形をしている。世界で最大かつ最も重い通貨だ。この石貨は18世紀と19世紀に切り出され、450キロ離れたパラオから主にカヌーで運ばれてきた。石貨は今でも、現地の人が土地を取引したり、いざこざを解決したりするときに使われている。ヤップの人々は石貨を新しい所有者のところに運ぶことはせず、誰がどの石貨を所有しているかを覚えているのだと話す。
ヤップ島では外国人が土地を所有することはできないため、開発業者は村落の土地の所有者と99年間のリース契約を結ばなければならない。締結されたリース契約の数は明らかになっていない。ETGが提案したリース契約のコピーを入手した反対派は賃借料が安く、時間とともに減っていく内容だとして不満を訴えた。
ETGの現地代表のYang氏によると、リゾート建設に十分な土地はまだ確保していないという。Yang氏は説得を続けるよう指示を受けていると話した。
「なぜ私たちが彼らの土地を奪うと考えるのか、わからない」。Yang氏はプロジェクトが住民にもたらす利益を数え上げるとこう言った。「私たちは乗っ取ることはできない。私たちは日本兵ではない。許可を取って、全てのビジネスを合法的に行っている。誰にも土地を貸せと強要していない。全て自由意志に基づいている」とYang氏は言った。
現地の反対派は島を中国人向けのリゾート地にすれば、島の文化がさらに失われると話す。ヤップ島の文化は米国からの支援の下で既に衰えている。ヤップ州が別の島からやって来たJohn Hagileiram神父は「人々は自分で育てることができる食物、自分で捕まることができる魚を食べて生きている」と話す。「ゴルフ場やカジノを持ち込むことでどうやってヤップの人々の文化を強化するのか、私にはわからない。むしろ逆効果だ」とHagileiram神父は指摘した。
軍事アナリストは中国が海軍を強化するにつれて、第2次世界大戦で奪い合いになったヤップ島など太平洋の離島が再び戦略的な重要性を持つ可能性があると警告する。
ヤップ島ではあちこちに大破した戦闘機の残骸がある。その近くには、戦死した米国の爆撃機の操縦士にささげた記念碑が置かれている。米国はミクロネシアとの安全保障条約に基づき、この地域を軍事的に支配している。
「チェスの駒のように世界の地政学的条件があちこちで動き始めるなかで、中国がヤップに狙いを定めた理由は明白だ」と話すのはグアム準州の知事を務めるエディー・カルヴォ氏だ。グアムは米国の領土の中で中国に最も近く、米国の軍事施設を抱えている。ヤップ島からは約800キロの距離にある。「しかも、中国人観光客が訪れる美しい場所としても、ヤップ島はちょうどいい位置にあるようだ」とカルヴォ知事は言う。
米国政府は中国の提案について、表向きは中立的な立場をとっている。駐ミクロネシア米国大使のドリア・ローゼン氏は昨秋に出した声明の中で、「米国はヤップの人々に長期的な利益をもたらす合法的な投資家や投資に反対しない」と述べた。
10月には反対派はヤップの最高権威である最高首長の会議を開催し、プロジェクトを中止して島の文化を守るよう命じる書簡をアネファル知事に送った。支持派は書簡を書いた3人は会議の正式なメンバーではないと主張した。この会議は100年以上、活動していない。
その直後にアネファル知事は反対派に屈し始めた。反対派は知事に解職をちらつかせた。知事は10月末に鄧氏に書簡を送り、リゾート計画を再検討するよう求めた。ヤップ州議会はETG に計画の推進を断念させようと外国からの投資を規制する法律を成立させた。
しかし、ETGが態度を変える様子はない。Yang氏は引き続き土地のリース契約を結んでいると述べ、最近、駐ミクロネシア中国大使がヤップ島を訪問したことについて、支持の表れだと指摘した。
プロジェクトは「スムーズに進んでいる」とYang氏は電子メールで回答した。
世界で唯一、石のお金が使える島
マンガでみたことあるあの石のお金、実は今でも使える島があります。我々からすると嘘みたいな話ですが、そこは伝統を守ってきた島だからこそでしょうか。現代においても、石貨は島で大切な役目を果たしているようです。
更新日: 2014年05月19日
これが真っ先に思い浮かびました。
まさに、コレのことです。
石貨の由来や歴史ははっきりしていない。 形状は、おおむね円形(円盤形)で中央部に穴が開けてある。小さいものは直径30cmくらいで、普通は直径60cmから1m余り、大きいものになると直径3m、重さ5tほどにもなる。
ミクロネシアにある4つの州の1つがヤップ島。
グアムのご近所ですね。
ヤップ島とはミクロネシア連邦のヤップ州の州政府が置かれている島である。
昔ながらの伝統や魅惑的な伝説に包まれ、そこに暮らす人々は太平洋地域でも非常に独特な文化を持っています。海辺にある手作りのメンズハウス(集会場)、村の文化を観光するツアー、巨大な古代の石貨と石貨銀行、伝統のダンス、工芸品づくり、海洋生物、マングローブの森など、見所がたくさんつまった場所です。
ダイバーの間では有名な島のようですね。
澄んだ水、切り立った海溝はダイビングの醍醐味ですが、格別なのは何といってもマンタとのふれあいで、世界のダイバーたちがマンタとの出会いを求めてヤップを訪れます。年間を通してこれほどまでにマンタに遭遇できる場所はこの地球上どこを探しても他にはないでしょう。
ヤップでは1年を通じてマンタと高い確率で遭遇する事ができる世界でも有数のポイントがあります。日本ではまだ馴染みが薄く不便さも有るので、まだまだ訪れる方は少ないのですが、欧米のダイバーの間では毎年トップ5に入るポイントにも選ばれるほど魅力的な海となっています。
中央に穴が開いているのは、丸太を差しこんで運ぶためだそうです。
でもこれ、ホントにお金として使えるの?
もちろん今ではこれを持ってマーケットなどで買い物をすることはできません。
「石貨」と呼ばれるが、普通の貨幣のように日常物品の購入に使われるのではなく、冠婚葬祭時に贈られる一種の儀礼的贈答品として使われる。小型の石貨は穴に棒を通して運ばれるが、大きい石貨はそのまま置かれ、所有権のみが移行する。
さすがに現代ですからね。
普段のお買い物はUSドルでのやりとりです。
それでもあの石貨には今でも大切な役割があります。
石貨にはそれぞれに様々なストーリーがあります。例えば、パラオから切り出してヤップ島まで持ってくるときにどれだけ大変な苦労があったですとか、それらを代々語り継がれてきた語り手の話でその石の価値が決まるようです。
つまりパラオからカヌーで運んでくる時、台風に当たって死にそうな思いでやっとのことヤップまで運んできました、と語ればその石貨の価値は小さくても上がるそうです。
そのため石貨の価値を決めるのは大きさだけではなく、ストーリーを語る人の話術にもよると言います。
例えば感謝の気持ちや喜びを表す手段として。また、本当に申し訳ないという謝罪の示す手段として。この代々の宝物の石貨に免じて。・・・などのように、どれだけの気持ちを持っているかをこの石貨の価値で表現をしている様です。
現代でも結婚の際や、土地の代金として使われている石貨。
こんなところにも。
石貨こそヤップを象徴するものだと思います。そのため全ての自動車のナンバープレートには「ISLAND OF STONE MONEY(石貨の島)」という文字が入っています。
この石貨、実は日本にもあります