絶対に行こうと 何度も思っている町 カサブランカは モロッコにある。 ご縁が深まりつつある。モロッコ。 その日が近い。
モロッコは ベルベル人が 住み始めたところ。そういえば 飯田橋 東口から すぐそばの「タジン屋」の仲良くなったマスターは
ベルベル人で 明るく、楽しい、しかも、知性を感じる。 話してみると相当な人物であることが判った。(モロッコの砂漠に 素敵な
ホテルまで経営している)
話しているうちに 映画 {カサブランカ}を思い出した。子供の頃から見たいと思っていた映画だ。学生時代に憧れた女優さんの
一人 イングリッド・バーグマン また 渋い ハンフリーボダード。 この映像をみて なぜ そんなに秀作と評判だったか わかる気がする。
それに 映画の論評を みても なるほどと思う。 DVDを 借りてこよう。 これから 名画シリーズを 毎週かりて
来たい。 映画の背景などを 考えると 必ず時代背景があって 反映しているからで、どのように 生き どのように
行動したのか? が わかり とても参考になる。 SFが 大好きだが こういう映画も とても良い。
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第二次世界大戦にアメリカが参戦した1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画。監督はマイケル・カーティス。配給はワーナー・ブラザーズ。
1943年に第16回アカデミー作品賞を受賞。監督のマイケル・カーティスは監督賞を、脚本のジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチの三名が脚色賞を受賞した。
文化的、歴史的、芸術的に重要なフィルムを保存するために、1989年に始まったアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)で最初にセレクトされた25本の1本である。アメリカ映画協会(AFI)が1988年から始めた、AFIアメリカ映画100年シリーズでは以下のとおりである。アメリカ映画ベスト100(1998年)の2位、スリルを感じる映画ベスト100(2001年)の42位、情熱的な映画ベスト100(2002年)の1位、アメリカ映画主題歌ベスト100(2004年)の2位(『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』”As Time Goes By“)、アメリカ映画の名セリフベスト100(2005年)の5位(「Here’s looking at you, kid.(君の瞳に乾杯)」)、感動の映画ベスト100(2006年)の32位、アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)(2007年)では、順位を一つ落としたものの3位。65年経てもなお、不滅の人気を誇るロマンス・フィルムである。
なお、映画スターベスト100(1999年)の男性1位にハンフリー・ボガート、女性4位にイングリッド・バーグマンが選ばれている。また、ヒーローと悪役ベスト100(2003年)の4位には、ボガートの演じたRickが選ばれた。米脚本家組合(WGA)は、1930年以降の映画の中より「偉大な脚本歴代ベスト101」の1位として選出した。
なお、製作サイドも戦時情報局も、「この作品はプロパガンダ映画である」とは正式には一言も表明していないものの、下記のようなあきらかな反枢軸国(ドイツとヴィシー政権)シーンが多くちりばめられていることもあり、アメリカのエンターテインメント業界誌である「バラエティ」誌は、当時この映画を「見事な反枢軸国プロパガンダである」と評している[1] 。
反枢軸国シーン
ラブロマンス映画ではあるものの、アメリカも参戦した第二次世界大戦における国際的な問題を中心に置いて製作された作品であることもあり、上記のようにプロパガンダ的要素がふんだんに含まれている。
作品内ではアメリカの敵国の1つであったドイツ人を徹底的に悪役として扱っているだけでなく、ドイツ軍に占領されたフランス本土と、北アフリカなどのフランスの植民地における親独政府であったフィリップ・ペタン率いるヴィシー政権を暗に非難し、ヴィシー政権に抵抗していた「自由フランス」を支持する「反独シーン」が多く登場する[2]。
- 巻頭で対独レジスタンスのフランス人が、ヴィシー政権首班のフィリップ・ペタン元帥の肖像画の前でヴィシー政権の警官に撃たれ倒れるシーン。
- ドイツ銀行の小切手を受け取らず、破り捨てるシーン。
- ラズロに協力を申し出る男が、ラズロの味方である合図として自由フランスのシンボルである「ロレーヌ十字」のついた指輪を見せるシーン。
- ラストシーンで、実は対独レジスタンスのシンパであったことを明らかにしたルノー署長が、ミネラルウォーターに描かれた「ヴィシー水」のラベルを見てゴミ箱に投げ捨てるシーン。
なおドイツの同盟国であったイタリアは、カサブランカ駐在のイタリア軍将校が空港にシュトラッサー少佐を迎えに行くものの相手にされないなど、軽んじて扱われているが、一方カサブランカで事業を営むイタリア人事業家のフェラーリがリックの潜在的な協力者となるなど、軍民で相反する扱いとされている。なお枢軸国の主要構成国の日本は、太平洋戦線から遠く離れたカサブランカを舞台にしたこの作品内では扱われていない。
スタッフ
- 監督:マイケル・カーティス
- 撮影:アーサー・エディソン
- 音楽:マックス・スタイナー
- 助監督:ドン・シーゲル
キャスト
- リック・ブレイン:ハンフリー・ボガート
- イルザ・ラント:イングリッド・バーグマン
- ヴィクトル・ラズロ:ポール・ヘンリード
- ルノー署長:クロード・レインズ
- シュトラッサー少佐:コンラート・ファイト
- フェラーリ:シドニー・グリーンストリート
- ウーガーテ:ピーター・ローレ
- サム:ドーリー・ウィルソン
- カール(ウェイター):S・Z・サコール
- サッシャ(バーテンダー):レオニード・キンスキー
- イヴォンヌ:マデリーン・ルボー
- アニーナ・ブランデル:ジョイ・ペイジ
ところで カサブランカ。 こんなところという。 ウィキペデイアから。
カサブランカ(Casablanca、アラビア語: الدار البيضاء; ad-dār al-bayḍāʼ)は、モロッコ王国最大の都市。モロッコの商業・金融の中心地で、アフリカ有数の世界都市でもある。カサブランカとはスペイン語で「白い家」の意。
モロッコの首都ラバトの南西約90キロメートルに位置し、北は大西洋に面する。人口は415万人(2013年)でモロッコ最大。モロッコの商業・金融の中心地であると共に観光地でもあり、多くの人々が訪れる。
紀元前10世紀にベルベル人がアンファという地域に定住したのが、カサブランカの始まりだといわれている。紀元前7世紀頃にフェニキア人、紀元前5世紀頃にはローマ人と交易が行われていた。
7世紀、アンファを中心とした独立国家が形成されたが、1188年にイスラムのムワッヒド朝に支配を受けることとなる。14世紀にはマリーン朝によって大規模なイスラムへの改宗が行われた。またその頃、港湾が大きく発達した。15世紀になってアンファは再び独立を果たした。アンファの港を拠点とする海賊船がポルトガルやスペインを襲い、1468年にそれに怒ったポルトガル人によって焼き払われてしまった。
カサブランカ
1515年に、ポルトガル人によって町の再建が行われ、町を”Casablanca”(ポルトガル語で「白い家」)と名付けた。しかし、1755年に起こったリスボン大地震によってカサブランカも甚大な被害を受け、ポルトガル人はカサブランカを去った。
カサブランカはアラウィー朝モロッコに統合され、1770年からムハンマド3世によって町の再建工事が行われ、町は要塞化された。18世紀からはスペインと、19世紀に入るとそれに目を付けたヨーロッパの列強諸国との間で交易が始まり、主にウールの積出港として発展した。人口も急激に増大し、1830年に600人だった人口は、1868年に8,000人にまで成長した。
フランス領へ
しかし、ヨーロッパ列強に対する住民の不満は募っていた。1907年に港湾工事を行っていたヨーロッパ人労働者を住民が殺害したのを機に、暴動に発展。フランス、スペインが軍艦を派遣し、カサブランカを砲撃、フランス軍はカサブランカを占領した。1912年、モロッコはフランスと保護領条約を締結し、カサブランカはフランスの保護領となった。
フランス保護領モロッコの初代総督に就いたウベール・リヨーテ将軍がカサブランカを商業の中心として整備した。第二次世界大戦中はドイツ軍によってフランスが占領されたために、戦争当初は親独のヴィシー政権の支配下にあったが、連合国軍の北アフリカ侵攻によって連合国軍に占領され、自由フランスに復帰した。1943年にはカサブランカ会談が開かれた。
独立後
第二次世界大戦後の1956年にモロッコがフランスから独立し、フランスはカサブランカから撤退した。その後カサブランカはモロッコ最大の都市として繁栄し、世界各国から観光客が訪れ、モロッコの経済の中心地の地位を占めている。
鉄道
カサブランカには2つの大きな駅があり、その2つの駅は鉄道で結ばれている。
- カサ・ポール駅
- カサ・ヴォワイヤジュール駅
また、2012年には市内を走る路面電車(カサブランカ市電)が開通している。
空港
ムハンマド5世国際空港が郊外にあり、ロイヤル・エア・モロッコのハブ空港として機能している。カサブランカ中心部へは鉄道で結ばれている。日本との直行便はないので、ヨーロッパなどの空港で乗継が必要となる。