新渡戸稲之助(Nitobe Inazou)
生年月日:1862年9月1日
出身地:陸奥国岩手郡盛岡
時代:江戸時代
職業:教育者・思想家
私は太平洋の橋になりたい.
何事であれ、もし何かをしようとすれば、それを為すための最善の方法とは、もっとも無駄がなく、もっとも優美なやり方になるであろう.
武士道の究極の理想は平和である.
名誉は境遇から生じるものではなく、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳の人々だけである.
学べどもなお学べども学べども学び足りぬは学びなりけり.
あの黒雲の後ろには太陽が輝いている.
自分の現在の義務を完全に尽くす者が一番偉いと思う.そして、自分の現在の義務は何であるかをはっきり認め得る人は、人生の義務と目的とを理解する道に進むのであろうと思う.
真の勇気とは、猪突猛進ではなく、しっかりと立ち上がり周囲を見回して、いま成すべきことを見つけ出すことができるかである.
数世紀の試練を乗り越えた書物のなかに我々は、困窮における富、悲しみにおける歓喜、そして孤独における絆を見いだすのである.
嫌いな人に会ったとき、私はわき上がる感情を抑えようと一生懸命になったし、人を好きになったときは、その気持ちを押し殺すよう全力を傾けた.
勇気がある人というのは、心の落着きが姿にあらわれているものです.
籠城主義もいいが、それは手段であって目的ではない.寄宿舎の窓を開いてもっと世の中に接し、社会的観念を養成して実社会に活動できる素地をつくれ.
自分の現在の義務を、完全に尽くす者が一番偉いと思う.
武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり.
人間は、それぞれ考え方や、ものの見方が違うのが当然である.その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である.
急がば回れだ.休むなかれ、急ぐなかれ.
バックボーンたる精神を捨てれば、それに代わるものとして登場するのは、目に見える物質主義となるのは必然である.
知的好奇心は日本民族の特徴で、この点では私も完全に日本人であった.
切腹をやり遂げるには、極限までの冷静さが必要だった.
死を軽蔑するのは勇敢な行為である.だが生きることが死ぬことよりつらい場合、まことの勇気はあえて生きることである.
人間の伸々するのは、頭で伸びるのではない.肚で伸びるのである.この肚に温か味があつて、始めて人間が伸びる.
剣は天国の鍵でもあれば、地獄の鍵でもある.
自殺願望者は、世界中に恐るべき速さで増加しており、苦痛もなく手間のかからない自殺の方法がはやるのではないか.
勇気を修養するものは、進む方の勇ばかりではなく、退いて守る方の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ.両者がそろって真の勇気が成る.
もっとも悲しむべきことは、名誉にも打算がつきまとったことである.
日本人の表皮を剥げばサムライが現れる.
小さいとき髪をといてくれるのも、ほかの人がすると痛いが、母親だと痛くなかった.ここに自然な無理のない母の愛がある.
自分が生まれてきたときより死に至るまで、周囲の人が少しなりともよくなれば、それで生まれた甲斐があるというものだ.
世界でグローバルに生きた日本人である新渡戸稲造名言集!
武士道を出版したことで有名になり5000円札の表紙にもなった人物です。に残る是非ご覧ください。
更新日: 2015年09月15日
強き人はよく耐える.よく耐える人を強者という.
心が籠もっていなければ礼とは呼べない.
近代的な教育制度といっても臆病者を英雄にすることはできない.
他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さ、慇懃さが礼の根源である!
事が起きたら最悪の事態を想定すればいい.
この世には完全無欠の物もなければ、全然無用の品もない.われわれの親にも子にも友人にも欠点があれば、われわれの憎み嫌う人にも特長がある.
世の中には、譲っても差し支えないことが多い.
義に過ぎれば固くなる.仁に過ぎれば弱くなる.
日本人から何度いはれても、わからなかつたことが、外国人から教はつて、すぐ覚える.これは何とも不思議でならない.
戦雲が地平線に重くたれ込めようとも、平和の天使の翼がこれらを吹き払ってくれることを信じよう.
妻は夫のために自分を捨て、夫は主君のために自分を捨てる.そして主君は天の命に従う奉仕者であった.
信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である.
私を生んだのは親である.私を人たらしめるのは教師である.
正直は徳の中でももっとも若い徳である.
もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である.
父母は天地のごとく、師君は日月のごとし.
いわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者が、おのれに十五分の力があることがわかってくる.
武士道精神は損得勘定をとらない.むしろ足らざることを誇りにする.
若い人たちは、自分たちは絶対年を取らないとでも思っているのだろうか.人生のうち、青春として知られる時期ほど短いものはない.
衆の為めに努むるを生命といふなり.死とは何事をもせざるの意なり.己れを棄つるは是れ生命の始(はじめ)なり.
信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である.
王は国家の第一の召使いである.
人間というものは社交的な動物であるから、相手を考えなければいけない.しいて人に不快感を与えるような服装までする必要はなかろう.
平静さは静止の状態での勇気である.
武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である.
ほら吹きと臆病者は、同じ身体の中に宿っている.
武士道は知識を重んじるものではない.重んずるものは行動である.
人を泥棒と呼べば、彼は盗むであろう.
真の学問は 筆記できるものではない.真の学問は行と行との間にある.
富の道が名誉の道ではない.
いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである.逆境にある人は常に「もう少しだ」と言って進むといい.やがて必ず前途に光がさしてくる.
教育の多くは、あるきまり文句を教えられたとおりに機械的にくりかえすことであって、その意味については、若い魂は何一つ解っていないのである.
進む勇気と退く勇気があってこそ真実の勇気.
人生の目的は宗教観念がなければ解決できない.
薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない.薔薇は桜の単純さを欠いている.
名誉と名声が得られるのであれば、サムライにとって生命は安いものだ.
武士の約束に証文はいらない.
正直は最善の政策なり.
名誉は「境遇から生じるもの」ではなくて、それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである.
あなたが裸になって私を侮辱しても、それが私にとって何だというのか.
若くして亡くなったが素晴らしい才能の詩人である宮沢賢治名言集!
岩手県の素晴らしさを伝えて日本中で有名になった詩人家です。是非ご覧ください。
更新日: 2015年09月14日
- 宮澤 賢治(Miyazawa Kenji)
生年月日:1896年8月27日
出身地:岩手県稗貫郡里川口村
職業:詩人・童話作家
最終学歴:盛岡高等農林学校
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
けれどもどうしてももうできないときは
落ちついてわらっていなければならん。
落ちつき給え
僕もうあんな暗の中だってこわくない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く
銀の波を泳いできました。
ああさっぱりした
なぜやめたんですか。
ぼくらならどんな意気地ないやつでも
のどから血が出るまでは叫ぶんですよ
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとはとうめいな軌道をすすむ
出典宮沢賢治の名言
もしおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
出典宮沢賢治の名言2
血がでてゐるにかかはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを云へないのがひどいです
まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる
まづもろともに
かがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう
僕たちと一緒に行こう。
僕たちはどこまでだって行ける、
切符を持っているんだ
出典宮沢賢治の名言4
まことの道は
誰が云つたの行ったの
さふいふ風のものでない
すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから
けれどもどうしてももうできないときは
落ちついてわらっていなければならん。
落ちつき給え
出典宮沢賢治の名言2
誓って言うが、
わたくしはこの仕事で
疲れを覚えたことはない。
出典宮沢賢治の名言4
みんながめいめい自分の神様がほんたうの神さまだといふだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも
涙がこぼれるだろう。
それから僕たちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ あらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらに依って変化する
潮汐や風、
あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
出典宮沢賢治の名言3
新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
出典宮沢賢治の名言
自分が真実から目をそむけて
子どもたちに本当のことが、
語れるのか。
出典宮沢賢治の名言4
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
出典宮沢賢治の名言
諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君はその地平線に於る
あらゆる形の山岳でなければならぬ
新たな時代は
世界が一の意識になり
生物と成る方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識して
これに応じて行くことである
永久の未完成
これ完成である
出典宮沢賢治の名言3
宇宙は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言つてゐるひまがあるか
出典宮沢賢治の名言
真の幸福に至れるのであれば、
それまでの悲しみは、
エピソードに過ぎない。
出典宮沢賢治の名言4
もしそれ人とは人のからだのことであると
そういうならば誤りであるように
さりとて人は
からだと心であるというならば
これも誤りであるように
さりとて人は心であるというならば
また誤りであるように
ああたれか来てわたくしに云へ
「億の巨匠が並んで生まれ、
しかも互に相犯さない、
明るい世界はかならず来る」と
世界全体が幸福にならないかぎりは、
個人の幸福はありえない。
出典宮沢賢治の名言3
どうも、ちょうどよく働くことほど、
体に良い事は無いですな。
出典宮沢賢治の名言4
さあ、切符をしっかり持っておいで。
お前はもう夢の鉄道の中でなしに
本当の世界の火やはげしい波の中を
大股にまっすぐあるいて行かなければいけない。
天の川のなかでたった一つの
ほんとうのその切符を
決しておまえはなくしてはいけない
出典宮沢賢治の名言2
求道
すでに道である。
出典宮沢賢治の名言3
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからの
あたらしい学問のはじまりなんだ
出典宮沢賢治の名言
ぼくはきっとできると思う。
なぜならぼくらがそれをいま
かんがえているのだから
出典宮沢賢治の名言
かなしみはちからに、
欲りはいつくしみに、
いかりは智慧にみちびかるべし
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
きみのようにさ 吹雪やわずかの仕事のひまで泣きながら からだに刻んでいく勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからの新しい学問の始まりなんだ
何がしあわせかわからないです。
本当にどんなに辛いことでも、
それが正しい道を進む中の出来事なら
峠の上りも下りもみんな
本当の幸せに近づく一足づつですから
出典宮沢賢治の名言
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
出典宮沢賢治の名言
だめでしょう
とまりませんな
がぶがぶ湧いているですからな
ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうもまもなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言っているひまがあるか?
無意識から溢れるものでなければ、
多くは無力か詐偽である。
出典宮沢賢治の名言3
新たな詩人よ。嵐から、雲から、光から、新たな透明なエネルギーを得て人と地球に取るべき形を暗示せよ。新たな時代のマルクスよ。これらの盲目な衝動から動く世界を、素晴らしく美しい構成に変へよ。諸君はこの颯爽たる諸君の未来圏から吹いてくる、透明な、清潔な風を感じないのか。
世界全体が幸せにならないうちは個人の幸せはありえない
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
出典宮沢賢治の名言
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは なりたい
出典宮沢賢治の名言
プロフィール
田中 角栄(Tanaka Kakuei)
生年月日:1918年5月4日
出身地:新潟県刈羽郡二田村
前職:田中土建工業社長
私が田中角栄だ.
功は焦らなくても良い.自分に実力がありさえすれば、運は必ず回って来る.
寝言を言ったり不満ばかり言っている奴は、人生終わるまで 不満を抱き続ける人間になるぞ.
借り物でない自分の言葉で、全力で話せ.そうすれば、初めて人が聞く耳を持ってくれる.
国民のための政治がやりたいだけだ.蟷螂の斧と笑わば笑え.
日本のマスコミは、司法、立法、行政の三権と並ぶ第四権力だ.
内閣はできたときに最も力がある.会社の社長も同じ.力のあるうちに、できるだけ早く、大きな仕事をやるべきだ.熟慮断行もヘチマもあるものか.
社会が悪い、政治が悪いなんて言って、一体何があるんだ.人に貢献できるようになってから言うべきじゃ.
分かったようなことを言うな.気の利いたことを言うな.そんなものは 聞いている者は一発で見抜く.
約束したら、必ず果たせ.できない約束はするな.
上司の許可は要らない.何でも言ってくれ.できることはやる.できないことはやらない.すべての責任は、この田中角栄がとる.
こんなことで影響をうけたりしないだろう? お前たちは日本最高のエリートだ.この程度で俺に配慮するはずないだろう?俺も見返りなど要求はしない.俺の気持ちだ受け取ってくれ.
ウソはつくな.すぐばれる.気の利いたことは云うな.後が続かなくなる.そして何より、自分の言葉でしゃべることだ.
結論が出たらすぐに実行するのが、私の流儀だ.決断と実行.
高いものは、いつか必ず下がる.人気だって波のようなもので返す波は低くとも、寄せる波は高い.
仕事をすれば、批判、反対があって当然.何もやらなければ、叱る声も出ない.私の人気が悪くなったら、ああ田中は仕事をしているんだと、まぁこう思っていただきたい.
人を愛さなきゃダメだ.
政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ.
いやなことは、その日のうちに忘れろ.自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ.
人の喜び事はとくに励ましてやる必要はない、本人が幸せなんだから.むしろ苦境、悲しみのさなかにあるとき、力になってやるべき.
人間は、やっぱり出来損ないだ.みんな失敗もする.その出来損ないの人間そのままを 愛せるかどうかなんだ.
国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びである.
時間の守れん人間は何をやってもダメだ.
どんな境遇におかれて辛い思いをしても、天も地も人も恨まない.
君達ね、自分の置かれている立場を有り難てェことだと思わんとダメですよ.
無理は、しなければ、しないほうがいいんだよ.苦労というものは、いい部分もあるが、悪い部分もある.苦労はしてもいいけど、無駄な苦労はしないほうがいいんだ.
私が大切にしているのは、何よりも人との接し方だ.戦術や戦略じゃない.会って話をしていて安心感があるとか、自分のためになるとか、そういうことが人と人とを結びつける.
野党は政策を競うのではなく、取引ばかりしている.労働組合のやり方が蔓延している.日本政治の最大の問題は野党が無いことだ.
メシ時になったら、しっかりメシを食え.シャバにはいいことは少ない.いやなことばっかりだ.それを苦にしてメシが食えないようではダメだ.腹が減って、目が回って、大事な戦はできん.
食って、寝て、嫌なことは忘れることが一番.
最近の議員の資質はなかなかの優等生だが、独創性、エネルギー、統率力といったものが欠けている.内外の情勢は教授会のような議論は許さないんだが.
人と会うのが醍醐味になってこそ本物.
初めに結論を言え.理由は、三つに限定しろ.
世の中には、会って話をし、付き合えば、その人間がよくわかるのに、知らないまま食わず嫌い、毛嫌いしている場合が多い.互いに自戒すべきことだよ.
言って良い事、悪い事.言って良い時、悪い時.言って良い人、悪い人.
大学の教授より、むしろ小学生の先生を大事にしなければいけない.小学校の先生が白紙の子供を教えるのだから.
俺の目標は、年寄りも孫も一緒に、楽しく暮らせる世の中をつくることなんだ.
人間、いつも始まりなんだ.これが終わりだと決めてくれるのは「運命」だけだ.
私はかつて、人の悪口を言ったことがあるか. 誰か一度でも人の悪口を言ったのを聞いたことがあるか. 私は一度もない.
大学出も、70、80のばあさんも同じ一票.
この世に絶対的な価値などはない.ものはすべて比較だ.外国人は物事を白か黒かと割り切ろうとするが、娑婆はそれほど単純じゃない.黒と白との間に灰色がある.どっちとも言えない.真理は中間にある.
貸した金は忘れろ.
政治は結果責任.
念仏を百万遍唱えても実行、実現しなければ意味が無い.
約束したら、必ず果たせ.できない約束はするな.ヘビの生殺しはするな.借りた金は忘れるな.
功は焦らなくても良い.自分に実力がありさえすれば、運は必ず回って来る.
大蔵省の役人というのは優秀です.正しいデータさえ入れればちゃんとした結論を出してくる.
数は力、力は金だ.
人は実感したものを信用する.
99%大丈夫でも1%の不安があればオレは決断しない.
国の方向を示すのが政治家の役目だ.それが出来なければ役人以下だ.
プロフィール
豊臣 秀吉(Toyotomi Hideyoshi)
生年月日:1537年3月17日
出身地:薩摩国鹿児島城下加治屋町
渾名:木綿藤吉・豊太閤
位:関白・太政大臣・贈正一位
負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ.逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし.
いくら謙信や信玄が名将でも、俺には敵わない.彼らは早く死んでよかったのだ.生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう.
障子を開けてみよ.外は広いぞ.
やるべき事が明確であるからこそ、日夜、寝食忘れて没頭できる.
それは上々、一段の吉日にござる.信長公のために討ち死にするは覚悟のうえ、二度と生きては帰ろうとは思わぬ.
猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ.
家康は愚か者だ.が、油断のならない愚か者だ.
露と落ち、露と消えにし、わが身かな 難波のことも、夢のまた夢.
人はただ、さし出づるこそ、よかりけれ.戦のときも先駆けをして.
主従や友達の間が不和になるのは、わがままが原因だ.
世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う.
財産を貯め込むのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ.
女狂いに好き候事、秀吉真似これあるまじき事.
我が身の目付けを頼み、異見を承わり、我が身の善悪を聞き、万事に心を付ける.これこそが、将たる者、第一の要務である.
ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付けること、将たる者、第一の要務なり.
何事もつくづくと思い出すべきではない.
およそ主人たるもの、1年使ひ見て、役に立たぬときは暇を遣はし、家来としては、三年勤めて悪ししと知らば、暇をとること、法なり.
この黄金の輝きも茶の一服に勝るものかな.
降参した者を殺してはいけません.
敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ.
一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる.
人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない.
側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす.
戦は六、七分の勝ちを十分とする.
戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである.
主従や友達の間が不和になるのは、ワガママが原因だ.
人はただ、さし出づるこそ、よかりけれ戦のときも先駆けをして.
主人は無理を言うなる者と知れ.
いつも前に出ることがよい.そして戦のときでも先駆けるのだ.
人と物争うべからず、人に心を許すべからず.
返す返す秀頼のこと.頼み申し候.五人の衆.頼み申し候.頼み申し候.
どこへ逃げたって、日本全国は俺の庭だ.気にするな.
信長公は勇将なり.良将にあらず.
千利休(sennorikyu)
生年月日:1522年2月28日
出身地:和泉国・堺
職業:商人・茶人
時代:戦国時代から安土桃山時代
まず炭火はお湯の沸く程度にしなさい。
お湯は飲みやすいように熱からず、ぬるからず、夏は涼しげに、冬はいかにも暖かく、花は野の花のごとく生け、刻限は早め、早めにして、雨降らずとも雨具の用意をし、お客の心を心とするのです。
出典千利休の名言
当たり前のことが、いつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう。
出典千利休の名言
頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもある。
出典千利休の名言
守りつくして、破るとも、離るるとても、本(もと)を忘れるな。
出典千利休の名言
稽古とは、一よりならい十を知り、十よりかえる、もとのその一
一期一会。
叶うはよし、叶いたがるは悪しし。
規矩作法 守りつくして 破るとも 離るるとても 本を忘るな
夏は涼しいように、冬は暖かなように。
心の師とはなれ、心を師とせざれ。
小さな出会いを大切に育てていくことで、人生の中での大きな出会いになることもあります。
家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにてたる事なり。
幸せになりたいのなら、幸せとの出会いに気づけないのも、幸せとの出会いを幸せに感じられないのも、もったいないでしょう
その道に入らむと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ
出典千利休
何にても 道具扱ふたびごとに 取る手は軽く 置く手重かれ
茶の湯とは ただ湯をわかし 茶をたてて 飲むばかりなる本を知るべし。
点前こそ薄茶にあれと聞くものを そそうになせし人はあやまり
出典千利休
はぢを捨て人に物とひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける
出典千利休
何にても道具扱ふたびごとに 取る手は軽く置く手重かれ
出典千利休
薄茶入蒔絵彫りもの文字あらば 順逆覚え扱ふと知れ
出典千利休
こゝろざし深き人にはいくたびも あはれみ深く奥ぞ教ふる
出典千利休
肩衝は中次とまた同じこと 底に指をばかけぬとぞ知れ
出典千利休
上手にはすきと器用と功積むと この三つそろふ人ぞ能くしる
よそにては茶を汲みて後茶杓にて 茶碗のふちを心して打て
出典千利休
習ひつつ見てこそ習へ習はずに よしあしいふは愚かなりけり
出典千利休
点前には弱みをすてゝただ強く されど風俗いやしきを去れ
出典千利休
何にても置き付けかへる手離れは 恋しき人にわかるゝと知れ
出典千利休
生年月日:1828年1月23日
出身地:薩摩国鹿児島城下加治屋町
職業:日本の武士・軍人・政治家
最終学歴:教育者
己を利するは私、民を利するは公、公なる者は栄えて、私なる者は亡ぶ.
およそ思慮は平生、黙座静思の際においてすべし.
事大小となく、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用うべからず.
功のあった人には禄を与えて、能力のある人には位を与えよ.
小人は、己を利することを欲し、君子は、民を利することを欲する.
幾たびか辛酸を経て、志ははじめて固まるものだ.
人を相手にせず、天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし.
命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり.
断じて行えば鬼神もこれを避ける.
己に勝つ極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり.
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり.
思い切ってやりなさい.責任は私がとる.
天は人も我も同一に愛し給ふゆえ.我を愛する心をもって人を愛するなり.
世上の毀誉軽きこと塵に似たり.
志を貫くためには、玉となって砕けることを本懐とすべきであって、志を曲げて瓦となってまで、生きながらえるのは恥とする.
誠篤ければ、たとい当時知る人無く共、後世必ず知己有るもの也.
幾度か辛酸を経て、志、初めて堅し.丈夫は、玉砕に及んで、瓦全を愧じる.
もうここらでよか.
正論では革命をおこせない.革命をおこすものは僻論である.
徳に勤むる者は、これを求めずして、財自から生ず.
過ちを改めるにあたっては、自分から誤ったとさえ思いついたら、それで良い.そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ.
道は天地自然の未知なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修する克己をもって終始せよ.
人は、己に克つを以って成り、己を愛するを以って敗るる.
我が家の遺法、人知るや否や、児孫のために美田を買はず.
大事に望みては、機会は是非、引き起こさざるべからず.
徳に勤むる者は、これを求めずして、財自から生ず.
事に当たり、思慮の乏しきを憂うることなかれ.
租税を薄くして、民を裕にするは、即ち国力を養成する也.
およそ思慮は平生、黙座静思の際においてすべし.
世のすべての人からけなされても落ち込まず、すべての人から褒められてもうぬぼれるな.
道は決して多端なものでない.まことに簡単なものである.ただ白と黒の区別があるだけである.
公なる者は栄え、私なる者は亡ぶ.
天の道をおこなう者は、天下こぞってそしっても屈しない.
急速は事を破り、寧耐は事を成す.
我が家の遺法、人知るや否や、児孫のために美田を買はず.
人間がその知恵を働かせるということは、国家や社会のためである.だがそこには人間としての「道」がなければならない.
間違いを改めるとき、自ら間違っていたと気付けばそれでいい.そのことを捨てて、ただちに一歩を踏み出すべし.
福沢 諭吉(Fukuzawa Yukichi)
生年月日:1835年1月10日
出身地:摂津国大坂堂島浜
学派:啓蒙思想
政治は悪さ加減の選択である。
自分の考えだけで、
他人を評価してはならない。
理想が高尚でなければ
活動もまた高尚にはならない。
妊娠中に母を苦しめ、
生れて後は三年父母の懐を免れず、
その洪恩は如何と言えり。
天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らず。
自分の力を
発揮できるところに、
運命は開ける。
行為する者にとって、
行為せざる者は最も過酷な批判者である。
みだりに他人を
軽蔑すれば
必ず他人からも
軽蔑されるものだ。
結婚は人生の重大事なれば、
配偶の選択は最も慎重ならざるべからず。
私は軽蔑されて侮辱されても、
その立腹を他に移して
他人を辱めることはドウしてもできない。
場所柄や時節柄を
よくわきまえて
行動を制御するのも
確かな判断力による。
行動だけが活発で
判断力にかけているのは、
舟に舵がないようなものだ。
役に立たぬどころか、
害を及ぼすことの方が多い。
進まざる者は必ず退き、
退かざる者は必ず進む。
親子だというても、
親は親、子は子だ。
その子の為に節を屈して
子に奉公しなければならぬということはない。
家の美風その箇条は様々なる中にも、
最も大切なるは家族団欒、
相互にかくすことなき一事なり。
自分の悪かったことに気が付いて
改めるというのは立派なことだ。
広く人と交際して
自由に付き合うには
門をひらき
入口を清潔にし、
客が入りやすく
することが大事である。
ひとこと忠告したい。
後進の青年諸君。
もし他人の仕事に
不満だったら
自分でその仕事を
試みてみたまえ。
他人の商売のやり方が
まずいと思ったら、
自分でその商売を
やってみたまえ。
隣家の生活が
ずさんに思えたら、
自分の家で試してみたまえ。
一家は習慣の学校なり。
父母は習慣の教師なり。
読書は学問の術であり、
学問は事業の術である。
浮世を棄つるは、
即ち、浮世を活発に渡るの
根本なると知るべし。
中国の古典の
奥義をきわめても
商売のやり方を知らず、
取引ひとつできぬようでは、
収支の知識の問屋にすぎない。
理論と実行とは
寸分の食い違うことなく
一致させねばならない。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者は必ず人を恐る、
人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。
難きを見て為さざるは、
丈夫の志にあらず。
賢人と愚人との別は、
学ぶと学ばざるとによって出来るものなり。
道徳を説くことが
大切だからと言っても
楽しい宴会の最中に
突然説教をはじめたら
笑いものになるのが落ちだ。
信の世界に偽詐多く、
疑の世界に真理多し。
世の重大事から、
ごく些細な事にいたるまで
たといどんなことでも、
他人の行動に
口出ししようと思うなら、
試しに自分をその立場において
みずからを
ふり返ってみるべきである。
新渡戸稲造のプロフィール
新渡戸稲造(にとべ いなぞう/1862年9月1日-1933年10月15日/男性)は、「武士道」の著者として知られる岩手県出身の教育者、農学者。国際連盟事務次長や東京女子大学学長、東京帝国大学農学部教授などを歴任した人物であり、日本銀行券のD五千円札の肖像として描かれたことでも著名。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
著書
主な著書に「Bushido: The Soul of Japan」「ABC引き日本辞典」「農業本論」などがある。
新渡戸稲造(武士道)の名言集
いかに苦しいことがあっても、
ヤケになるのは短慮の極みである。逆境にある人は常に、
「もう少しだ」と言って進むといい。
やがて必ず前途に光がさしてくる。
勇気がある人というのは、
心の落着きが
姿にあらわれているものです。
武士道は知識を
重んじるものではない。
重んずるものは行動である。
世の中には、
譲っても差し支えないことが多い。
信実と誠実となくしては、
礼儀は茶番であり芝居である。
人間は、それぞれ考え方や、
ものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、
受け入れられる
広い心を持つことが大切である。
真の学問は
筆記できるものではない。
真の学問は行と行との間にある。
人は誰しもいったん
安定した世界に身を置くと、
精神もそれにならって俗化し、
理想を忘れてだんだん
怠惰になっていくようだ。青春時代に描いた夢や理想とは、
かけはなれた生活をしながらも、
自分を磨こうという気持ちすら忘れ、そのぬるま湯の
心地よさにいつしか慣れて、
満足に本も読まず、
堕落した生活を送るように
なっていくのである。
いわゆる十分に
力を出す者に限って、
おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者が、
おのれに十五分の力が
あることがわかってくる。
武士の教育において
守るべき第一の点は
品性を建つるにあり。
何事であれ、
もし何かをしようとすれば、それを為すための最善の方法とは、
もっとも無駄がなく、
もっとも優美なやり方に
なるであろう。
自分の現在の義務を、
完全に尽くす者が一番偉いと思う。そして、自分の現在の
義務は何であるかを、
はっきり認め得る人は、人生の義務と
目的とを理解する道に、
進むのであろうと思う。
【これがサムライ魂!】気高き武士道、武士の名言&格言
この言葉はアメリカの媒体に掲載されていた
「武士道の言葉」を、再度日本語に翻訳し直した
武士道精神の逆輸入版ともいえるものです。
現代の日本人が忘れてしまった
日本人の気高くも美しい誇りと強さがここにあります。
こんな心構えの男達が現代に甦ったら、
日本の未来は明るいものとなると思います。
「命か忠義かを選べと問われたなら、自分の命など微塵も惜しくはない」
「仕える主人が厳格過ぎては、家臣の信頼は得られない。
だが、主人が信用しすぎると、家臣は手に負えなくなるものだ」
「ひとつごとに悟りを開ければ、どんなことにも精通し多くのことを理解できる」
「武士の心得として最も重要なものは何か?自分の成し遂げたいもののために、
一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと」
「武士とは、嵐の真っ只中にあろうとも、
ひとり立ちすくせる者でなければ価値がない」
「何の準備もなく突然の暴風雨に曝されたとしても、慌てふためいたり、
逃げ隠れるようなことがあってはならない。雨風に心を乱さず、
それを受け入れ我が道を行け」
名言07.
「病に伏せたり悩み事に苦しむとき、真の友が誰なのかが分かる。
距離を取ろうとするようなら、それはただの臆病者だ」
「幸せな結婚の秘訣はただひとつ。最初に出会ったときの気持ちを失わないことだ。
それができれば、仲たがいの余地は生まれない」
「忠誠心のある武士を見分けるには、主人に忠実な侍をあたることだ。
武士とは精神の深部まで主人に使えることができるもの。
それは、主人が亡くなっても続くものである」
「知恵とは、賢者に注意を払うことで備わるもの。
愛とは、つねに他人のために努力をし、他人に尽くすことから生じるもの。
そして、勇気とは状況に関係なく、固く決意し、どんな障壁をも
乗り越えた末に手に入れられるもの」
「いまこの瞬間、何を為すべきかよりも重要なことがある。
人の一生は瞬間が幾重にも重なった上に成り立っている。
そのことさえ理解できれば、武士は情熱を傾けて生きるのみ。
何も恐れることはない」
「人の一生など、まばたきひとつで消えゆく蒸気のようなもの。
自らの楽しみを見つけ人生を費やすことだ」
「刀を抜いてそれを振るったところで、誰一人あなたと親しく、
友となりたいとは思わない。しかし、それを抜かなければ、
刀は錆びつき、周囲はあなたを腰抜けと罵る。武士とは、そういうものだ」
「ときが経ち、年老いてきたなら、目の前に迫るものを捉えて
隠居生活を始めよう。主人への従属を満たすことができる。
誰もが優れていれば、抜きん出るのは容易ではない。
だが、数が減れば、卓越の境地に達することも、はるかに容易なものとなる」
「武士は、朝が来るたびに死を覚悟するものだ。朝の静寂のひとときに、
自分が雷に打たれ、火にあぶられ、刀や槍で切り裂かれる様を想像する。
玄関の一歩外が死界という意識を忘れずにいられるかどうか。
これは単なる例え話ではなく、運命に対して準備をする武士の方法だ」
「武士の言葉に二言なし」と言うように、
武士にとっての「言葉」とは、
一言一言に命が宿り、軽はずみな発言は、
武士としての弱さと捉えていたようです。
迷いのなさと強さとがある武士の言葉には
現代社会にも応用できる生き様、生き方の
ヒントがありますね。
「武士の心得」300年前に生きたサムライ15の名言
作家のJustin Gammill氏は、日本人にも馴染みが薄い、ある江戸時代の武士の名前を挙げ、「時代を超越した概念と精神性が武士道にはある」と主張しています。従属的な心構えから礼儀、人生観や死生観すべてに通ずる、大切な教えを「I Heart Intelligence」に紹介しています。
その人物とは、山本常朝(やまもとじょうちょう)。その名は知らずとも、この有名な一節は聞いたことがあるのでは?
武士道とは、
死ぬことと見つけたり
01. 「命か忠義かを選べと問われたなら、自分の命など微塵も惜しくはない」
02. 「仕える主人が厳格過ぎては、家臣の信頼は得られない。だが、主人が信用しすぎると、家臣は手に負えなくなるものだ」
03. 「ひとつごとに悟りを開ければ、どんなことにも精通し多くのことを理解できる」
04. 「武士の心得として最も重要なものは何か?自分の成し遂げたいもののために、一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと」
05. 「武士とは、嵐の真っ只中にあろうとも、ひとり立ちすくせる者でなければ価値がない」
06. 「何の準備もなく突然の暴風雨に曝されたとしても、慌てふためいたり、逃げ隠れるようなことがあってはならない。雨風に心を乱さず、それを受け入れ我が道を行け」
07. 「病に伏せたり悩み事に苦しむとき、真の友が誰なのかが分かる。距離を取ろうとするようなら、それはただの臆病者だ」
08. 「幸せな結婚の秘訣はただひとつ。最初に出会ったときの気持ちを失わないことだ。それができれば、仲たがいの余地は生まれない」
09. 「忠誠心のある武士を見分けるには、主人に忠実な侍をあたることだ。武士とは精神の深部まで主人に使えることができるもの。それは、主人が亡くなっても続くものである」
10. 「知恵とは、賢者に注意を払うことで備わるもの。愛とは、つねに他人のために努力をし、他人に尽くすことから生じるもの。そして、勇気とは状況に関係なく、固く決意し、どんな障壁をも乗り越えた末に手に入れられるもの」
11. 「いまこの瞬間、何を為すべきかよりも重要なことがある。人の一生は瞬間が幾重にも重なった上に成り立っている。そのことさえ理解できれば、武士は情熱を傾けて生きるのみ。何も恐れることはない」
12. 「人の一生など、まばたきひとつで消えゆく蒸気のようなもの。自らの楽しみを見つけ人生を費やすことだ」
13. 「刀を抜いてそれを振るったところで、誰一人あなたと親しく、友となりたいとは思わない。しかし、それを抜かなければ、刀は錆びつき、周囲はあなたを腰抜けと罵る。武士とは、そういうものだ」
14. 「ときが経ち、年老いてきたなら、目の前に迫るものを捉えて隠居生活を始めよう。主人への従属を満たすことができる。誰もが優れていれば、抜きん出るのは容易ではない。だが、数が減れば、卓越の境地に達することも、はるかに容易なものとなる」
15. 「武士は、朝が来るたびに死を覚悟するものだ。朝の静寂のひとときに、自分が雷に打たれ、火にあぶられ、刀や槍で切り裂かれる様を想像する。玄関の一歩外が死界という意識を忘れずにいられるかどうか。これは単なる例え話ではなく、運命に対して準備をする武士の方法だ」
武士道が最初に西洋に広まったのは、1900年(明治33年)に新渡戸稲造の『BUSHIDO:The Soul of Japan』が、アメリカで出版されてからと考えられています。ジョン・F・ケネディやセオドア・ルーズベルトをはじめ、多くの政治家や文化人たちに刺激を与えた日本人の精神性。同じ日本人でありながら、現代を生きる私たちには、逆に新鮮に思えることが多いのでは?
なお、この記事はアメリカの媒体に掲載されていた「武士道の言葉」を、再度日本語に翻訳して掲載しているものです。
なんだかややこしいですが、アメリカ人にもその言葉が響いていると思うと、おもしろいですよね。