インドの父は マハトマ・ガンジー。インドの緑の父は 杉丸龍丸さん。
息子さんの杉丸満丸さんから 映像が送られてきた。
2月24日までしか 見られないそうなので いま 見てくださいね
_________________________________________________
人間として、生まれてきて どう生きるか? と 時折 迷う。
天命を自分で 見つけて 必死に生きる。ヒマラヤのふもと
インドに素晴らしい森を 何百キロも 残した杉丸さんのことを
思うと・・・自分たちは なにをやってきたのだろうと 。
真摯な気持ちで 取り組まなければ・・・・
★ご子息 杉山満丸さんのコメント★
1960年代からおよそ20年にわたってインドの緑化事業に尽力し、現地で「グリーンファーザー」と呼ばれた福岡市出身の男性がいました。
「インドに緑を」と、全財産を投じて取り組んだその活動の原点には、何があったんでしょうか。
インドの人々から歓迎を受ける1人の日本人。
RKBが1971年に放送したドキュメンタリー番組の映像です。
主人公は、インドの緑化事業に取り組んだ福岡市出身の杉山龍丸です。
●杉山龍丸
「この子供たちが、インドの大地を潤していく心の泉になるだろう」
およそ20年をかけて460キロの道路沿いに木を植えるなど広大な土地を緑化し、農業も指導した杉山龍丸。
インドでは、今も緑の父「グリーンファーザー」と呼ばれています。
●今林記者
「福岡市東区唐原です。住宅が立ち並ぶこの一帯に、かつて農園がありました。この場所が、『グリーンファーザー』のインドでの活動の出発点となりました」
●龍丸の長男・杉山満丸さん
「見渡すかぎり全部、うちの土地だったという感じですね」
杉山龍丸の長男・満丸さんに案内してもらいました。広さは4万5000坪。この地は、かつて「杉山農園」と呼ばれていました。しかし、龍丸は、この土地すべてをインド緑化のために手放したのです。
●杉山満丸さん
「土地を売って、半分は税金で持って行かれると。税金払うために土地を売りよるみたいな感じやけど、『そうでもせんことには、なかなかインドで活動する資金が出らんちゃん』ということは、父が言ってましたね」
龍丸は、なぜ、そこまでして、インドの緑化に取り組んだのでしょうか?
●天皇陛下(フィリピン晩餐会)
「貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならない」
先月、天皇皇后両陛下が戦没者を慰霊されたフィリピン。
太平洋戦争中、100万人以上の現地住民が犠牲になりました。
日本兵も、およそ50万人が命を落とし、その多くは餓死だったと言われています。
当時、陸軍大尉だった杉山龍丸は、フィリピンの地で戦闘機隊の整備隊長を務めていました。
その体験の一部始終が、戦後70年の去年、長男の満丸さんによって1冊の本にまとめられました。
戦闘機隊の中で、機体の整備にあたる整備隊長は、いわば中間管理職、組織の中で苦悩する様子が描かれています。
●杉山満丸さん 杉山龍丸さんの資料集は 下記をクリックしてくださいね
杉山龍丸氏 関連文書アーカイブ
Mr. Tatsumaru Sugiyama-related document archive
杉山龍丸さんが設立した、
国際文化福祉協会、日印文化福祉協会発行の小冊子のリストです。 ご子息の満丸さんが作成されたリストを元に、年代順に並べています。 |
満丸さんから掲載の許可をいただきましたので、
PDFの形で閲覧できるようにしております。 データ容量が数MB~数十MBと大きいため、 ダウンロードに時間がかかることをご了承願います。 |
http://www.geocities.jp/kubo_yasu/
______________________________________
- 「軍の中心の人たちは机の上で作戦を練りますけど、現場の人たちは実際の当事者ですので、
- いろんな問題に直面しているわけですよね。それを無視するような形で、上から押しつけて命令
- が来ると。それによって、多くの将兵が無駄に死んでいくということを経験している」
- 日本軍が初めて組織的な特攻を行ったのが、このフィリピンでの戦いです。
- 龍丸の整備日誌です。
- 1944年9月13日、2機の戦闘機が飛び立ちました。
- 整備隊長も知らないまま、生還の見込みがない攻撃「特攻」に出撃していったのです。
- ●杉山満丸さん
「父の衝撃というのは、本当に大きなものがあったんじゃないかなと。整備隊長でありながら、そのことを聞かされてもいなかったという、その状況にもすごい矛盾を感じたんじゃないかなというふうに思います」 - 補給もなく、物資が乏しい絶望的な状況の中で、フィリピンの住民とも協力しながら、部下の命をつなごうとしたことが書かれています。
- 戦地で経験した凄惨な出来事は、戦後、砂漠化に苦しむインドを目にした龍丸を緑化活動へと駆り立てました。
- ●杉山満丸さん
「戦争体験でいろいろ苦労したりとか、工夫したりとか、そういうふうな経験が凝縮されて、インドの緑化の中に使われたというような形になるんじゃないかと思いますけれども。現地の人目線で、いろんなことを一緒にやっていくという、そういう姿勢は変わらなかったみたいですね」 - 自らも戦闘機に胸を撃ち抜かれる経験をし、後遺症に苦しみながらも、インドの緑化に打ち込んだ龍丸。
- かつて、その理由について、こう語っています。
- ●杉山龍丸
「何で、俺がこんなことをやらなきゃならんだろうか。子供や家内たちの生活を苦しめながら、自分自身も肉体的に精神的に苦しみながら、やらなきゃならんと。何でだろうか。なぜだと。目の前に飢え死にしている人たちを見ていながら、逃げるわけにはいかない」 - 多くの人が飢えに苦しみ、倒れていった戦争。
- そして、多くの人が砂漠化で餓死していたインドの大地。
- この2つの現実に、杉山龍丸は、弱者が真っ先に犠牲になるという同じ構図を感じていたのかもしれません。
- ※スタジオ※
- ●池尻キャスター
家族を犠牲にしながらも、インドで飢えに苦しむ人々を放ってはおけなかったんでしょうね。 - ●川上キャスター
杉山さんは、ご自身の戦争体験から、私財を投げ打ってでも、助けなければいけない命があるということを、そういう思いが強かったんだと思います。 - 逆に言いますと、戦争というものがどれだけ悲惨だったかというのが、伝わってくるような気がします。
- ●坂田キャスター
背景にあるもの、何よりも行動力ですよね、本当に感服せざるをえませんね。 杉山龍丸氏関連文書アーカイブMr. Tatsumaru Sugiyama-related document archive杉山龍丸さんが設立した、 国際文化福祉協会、日印文化福祉協会発行の小冊子のリストです。
ご子息の満丸さんが作成されたリストを元に、年代順に並べています。
満丸さんから掲載の許可をいただきましたので、 PDFの形で閲覧できるようにしております。
データ容量が数MB~数十MBと大きいため、
ダウンロードに時間がかかることをご了承願います。
作成日が不明な小冊子
I.C.W.A.-Declaration 0.67 I.C.W.A.-インドという国について 6.92 招待者について 1.28 飛行第三十一戦隊行動概況 1.70 ドグラ博士報告書 - GENETICAL IMPROVEMENT OF PINES FOR INDUSTRIAL USE IN HIMECHAL PRADESH (BY DR.P.D.DOGRA) 1.22 I.C.W.A. NEWS
西暦 作成日 題名 (MB) 1972年 S47.08.01 特報 ガンヂー翁記念国民財団の日印友好機構の開所式行事決定す。
2.11 1972年 S47.12.01 特報 J.I.C.W.A.設立さる
2.09 1973年 S48.06.10 I.C.W.A. NEWS 第1号 元総理大臣・佐藤栄作先生、国際文化福祉協会の名誉会長として就任を快諾されました。
1.22 1974年 S49.06.30 I.C.W.A. NEWS第2号 DR.T.N.SHARMA.日本の陶磁器界と技能教育訓練関係を調査
し、インド資源技術開発に、日本との協力方法を研究して帰国す。
2.12 1974年 S49.08.20 I.C.W.A. NEWS第3号 日印地域工芸展開催決定す。
2.35 1975年 S50.01.01 I.C.W.A. NEWS第4号 慶賀 国際文化福祉協会名誉会長
佐藤栄作氏ノーベル平和賞受賞
2.95 1975年 S50.07.31 I.C.W.A. NEWS第5号 敬悼 名誉会長 佐藤栄作氏の御逝去
2.42 1975年 S50.11.01 I.C.W.A. NEWS第6号 世界の砂漠、荒地緑化問題に、I.C.W.A.方式、国際連合機構
に採用予定
2.12 1977年 S52.02.01 I.C.W.A. NEWS第7号 国際文化福祉協会の砂漠、荒地緑化の方法、国際連合と各国
より注目される
2.43 1977年 S52.09.01 I.C.W.A. NEWS第8号 国連・砂漠問題会議にて、国際文化福祉協会の方法が
発表される。
2.51 1977年 S52.11.18 I.C.W.A. NEWS 特報 インドから世界の砂漠緑化を始める。
2.94 1978年 S53.03.15 I.C.W.A. NEWS第9号 国際砂漠緑化技術訓練センターの設置計画具体化
現地調査行われる。
2.40 1978年 S53.08.10 I.C.W.A. NEWS第10号 国際砂漠緑化技術訓練センターのプロジェクト地域に、
パイロット・プロジェクトの設定を行った。
3.50 1978年 S53.11.10 I.C.W.A. NEWS第11号 国際砂漠緑化技術訓練センターのプロジェクト計画にある、砂漠
緑化と、土砂崩壊を止め植生を転換させる実験に成功す。
4.34 1979年 S54.01.10 I.C.W.A. NEWS第12号 財団法人、国際砂漠緑化協会を、国際文化福祉協会内に
つくります
2.69 1979年 S54.03.20 I.C.W.A. NEWS第13号 財団法人、国際砂漠緑化協会準備委員会が成立。
2.77 1979年 S54.05.10 I.C.W.A. NEWS第14号 財団法人・国際砂漠緑化協会の設立段階について
2.69 1979年 S54.06.15 I.C.W.A. NEWS第15号 日本政府通商産業省は、外務省に対して、砂漠問題の専門家
として、国際文化福祉協会総事務局長杉山龍丸を、政府派遣員
として、認めるように、申入れを行うことになった。
2.37 1979年 S54.10.01 I.C.W.A. NEWS第16号 INTERNATIONAL ANTI-DESERTIFICATIONの
PILOT PROJECTのSUNK村の実行委員会成立する。
4.92 NEW 1979 10th.October I.C.W.A NEWS No.1 IMPLIMENTATION COMMITTEE OF THE SUNK VILLEGE AT SHIWALIK LANGE ABOUT THE ANTI-DESERTIFICATION PROBLEM HAD STARTED ON PUNJAB INDIA
2.70 NEW 1979 10th.October I.C.W.A NEWS SPECIAL REPORT AND INFOMATION HOW CHANGE ECOLOGY AND STOP TO EROSION FOR THE DESERTIFICATION PROBLEM THAT ARE THE FOUNDAMENTAL POINT TO ANTI-DESERTIFICATION ACTION ON THE WORLD ?
5.96 1979年 S54.10.06 I.C.W.A. NEWS 特報 砂漠化の原因の源、土砂崩壊防止と植生(エコロジー)転換の
方法について
8.78 1980年 S55.01.01 I.C.W.A. NEWS第17号 インド砂漠緑化実行委員会の公式登録文書について
3.30 NEW 1980 1st.January I.C.W.A. NEWS No.2 International Culture and Welfare Association had worked the development of people live and production on India among 25thyears.
3.40 1980年 S55.02.23 I.C.W.A. NEWS 特報 任官40周年陸士53期生同窓会記念特別号
8.78 1980年 S55.03.10 I.C.W.A. NEWS第18号 国際砂漠緑化協会の財団法人化への道が拓かれた。
2.20 NEW 1980 20th.March I.C.W.A. NEWS No.3 WE HAD CAT OPEN WAY FOR ESTABLISH OF PIBLIC ASSOCIATION ORGANIZATION ON OFFITIAL PARMISSION FROM JAPANESE GOVERNMENT
2.55 1981年 S56.01.01 I.C.W.A. NEWS第19号 インド砂漠緑化の進展状況
2.88 1981年 S56.06.20 I.C.W.A. NEWS第20号 中国大陸の砂漠緑化問題について交渉が始まった。
2.30 1981年 S56.07.01 I.C.W.A. NEWS 特報 米国に在るInternational Tree Crops Institute U.S.A.との
提携が始まった。
2.61 1982年 S57.01.01 I.C.W.A. NEWS第21号 財団法人国際砂漠緑化協会の設立準備委員会の態勢が
進展している。
2.79 NEW 1982 1st.Janualy I.C.W.A. NEWS No.4 PROGRESS FOR PREPARING TO ESTABLISH ABOUT THE PUBLIC FOUNDATION OF THE INTERNATIONAL ANTI DESERTIFICATION ASSOCIASION.
2.90 NEW 1982 28th.March I.C.W.A. NEWS No.5 I.C.W.A.(International Culture and Welfare Association) HAD SUCCESSED TO THE ANTI DESERTIFICATION WORK FORINDIAs DESERT AREA BY PLANTATION OF TREES.
5.54 1982年 S57.05.20 I.C.W.A. NEWS第22号 砂漠・乾燥地帯の緑化は可能であり、事実である。
6.95 1982年 S57.08.01 I.C.W.A. NEWS 特報 乾燥・砂漠地域における塩分累積地の塩分除去に成功した
4.67 NEW 1982 1st.August I.C.W.A. NEWS SPECIAL REPORT AND INFORMATION SUCCESSED TO TAKE OUT FOR SALT FROM SALINITY LAND.
3.97 1983年 S58.01.01 I.C.W.A. NEWS第23号 国際文化福祉協会は、昭和30年設立してから、28年目の春を
迎えました。
2.92 NEW 1983 1st.Janualy I.C.W.A. NEWS No.6 We shall have new year of advantage to our problem for new plan on the Anti-Desertification work of the Earth.
2.71 1983年 S58.07.08 I.C.W.A. NEWS第24号 オーストラリア政府CSIRO主催、第2回国際砂漠会議において
国際文化福祉協会総事務局長、杉山龍丸を、特別研究発表者
として招待される事が決定した。
2.81 1983年 S58.10.15 I.C.W.A. NEWS第25号 オーストラリア・第2回国際砂漠会議は、国際文化福協会の
インドでの砂漠緑化の成果を解明した文書を、正式に受領し、
公式に全世界へ発表する事になった。
3.84 1984年 S59.01.01 I.C.W.A. NEWS第26号 謹んで新年の御慶びを申しあげます。
2.61 NEW 1984 1st.Februaly I.C.W.A. NEWS No.7 We shall have development for solve to problem of Human alive on the Earth in this year.
2.17 1984年 S59.03.01 I.C.W.A. NEWS第27号 オーストラリア、第2回国際砂漠会議において、国際緑化技術
訓練センターの設置問題を具体化について、協議することに
なり、 目下その内容に関する交渉が進展しつつある。
2.57 1984年 S59.07.01 I.C.W.A. NEWS第28号 第2回国際砂漠会議概要報告 1984年5月13日~18日
3.14 1985年 S60.01.01 I.C.W.A. NEWS第29号 第2回国際砂漠会議報告
5.42 NEW 1985 20th.February I.C.W.A. NEWS No.8 SECOND INTERNATIONAL RANGELAND CONGRESS THE REPORT OF THIS CONGRESS 13th-18th May,1984 atAdelaide University Adelaide ,Australia.
3.24 1985年 S60.07.01 I.C.W.A. NEWS第30号 インドのJAMNALAL BAJAJ財団国際賞の推薦人に杉山龍丸が指名された。
2.75 NEW 1985 1st.July I.C.W.A. NEWS No.9 MR. TATSUMARU SUGIYAMA HAD THE SITUATION OF RECOMMENDATOR FOR INTERNATIONAL AWARD OF JAMNALAL BAJAJ FOUNDATION.
2.47