令和 日本青伸会 ミッション及び行動基準 2021年8月14日(土)更新8月20日

青伸会の在り方

1.日本の神道の大切さを認識すること

①神道、武士道、調和 聖徳太子の言葉

② 修身

修身(しゅうしん)は、「身を修めること」を意味し、第二次世界大戦前の日本小学校戦前期は尋常小学校、第二次世界大戦中は国民学校)における科目の一つ。1890年(明治23年)の教育勅語発布から、1945年(昭和20年)の敗戦まで存在した。イギリス等の宗教教育戦後日本の道徳教育に相当するものである。個人主義自由主義物質主義の考えが増える中で[1]、いかに不良少年少女を減らすかが課題となった

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② (1868年) 五箇条の御誓文

1.政治は会議をひらいて、みんなの意見で決めよう。

2.国民はみんな協力して、国を強くしよう。

3.みんなの希望がかなう世の中にしよう。

4.これまでのしきたりにとらわれず、正しいことをしよう。

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③ 神話を学び、偉人伝を学ぶ。(日本と海外両方)

④ 国際人になり 日本の和、利他の心、足るを知る、

武士道を伝えると世界は平和にちかずく。

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青伸会のこれからの展開(案)

1.会員それぞれの「ミッションの実現」と

お互いの応援、協働を通して、日本を豊かに

して、世界に貢献する。

2.青伸会の目的は、青年を育成すること。

(子供から大人まで)さまざまな教育を充実させること。

現代は 伝統文化の他、各種ものづくり、スポーツ、テクノロジー、

IT、AI、ゲーム、ドローンなどなど、楽しみながら学びあう。

3.幾つかの動画を見て 話し合い、自分なりに考えよう。

武士道について、ボリビア在住の関 邦博さんが

書かれた文章を読んでみよう。自分なりに武士道とは

何なのか? 考えてみよう。

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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
武士道について:
1642(寛永19)年に出版され
た『可笑記(かしょうき)』の
武士道論で一層顕著になる。
同書は5巻からなる随筆風
の教訓書で、作者は山形藩最上家
の元家臣・斎藤親盛(ちかもり)
と見られている。
同書には、武士道の心構え
が記載されています。
「武士道」という言葉が
しばしば登場しており、特に
次の記述は武士自身による
武士道の定義として貴重
である。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
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「武士道の吟味と云は、
嘘(うそ)をつかず、
軽薄をせず、佞人(ねいじん、
こびへつらう人)ならず、
表裏を言はず、
胴欲ならず、不礼ならず、
物毎自慢せず、驕(おご)らず、
人を譏(そし)らず、
不奉公(ぶほうこう、主人に
忠実でないこと)ならず、
朋輩(ほうばい)の中よく、
大かたの事をば気にかけず、
互ひに念比(ねんごろ)に
して人を取たて、
慈悲ふかく、義理つよきを
肝要と心得べし、
命をしまぬ計(ばかり)を
よき侍とはいはず」
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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
武士道の心構えについて
まとめた現代文。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
『「武士道」解題―ノーブレス・
オブリージュとは』(小学館、
2003年3月)の著書がある
中華民国総統であった
李登輝は、2001年に心臓病
の治療のために訪日しようと
した際、
中国を怒らせることを
恐れた外相や外務省の
反対により、なかなかビザ
が下りなかった。
これについて、
「義を見てせざるは勇なきなり」
という武士道の精神を表す
言葉があり、
武士道は日本人にとって
最高の道徳のはずであるが、
このとき日本という国は
ほんとうにおかしくなって
いると感じたと
吐露しています。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
その一方で、
東日本大震災で日本国民が
みせた節度ある行動や
献身的な自己犠牲は、
まさに武士道の精神
そのものであり、武士道と
いう言葉自体はいまの日本
ではあまり使われなくなって
いたとしても、
その精神はけっして
失われておらず、それを
世界の人々が称賛したと
述べています。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
武士道の反対の精神は、
私利私欲、自己保身、言い訳、
卑怯な心を持っていることです。
武士道の本家本元である
日本においては、今、逆に
武士道が廃れてしまおう
としている。
価値観の多様化という
自己主張の下で「恥」を
忘れた日本人が増え、
自分勝手な屁理屈が
まかり通り蔓延(はびこ)る
世相になった
今日この頃である。
本家本元の日本人が
武士道を忘れかけた頃に、
日本人の魂である武士道が
世界から再評価されるとは
皮肉なものである。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
武士道と言えば、
武士道の何たるかを海外に
紹介した新渡戸稲造
(にとべ いなぞう)の
英文著作
「BUSHIDO武士道」が
有名である。
簡単に紹介するが、
興味のある方は、是非、
同名の現代語訳本
(三笠書房刊)を読んで
頂きたい。
武士道は封建体制の登場
とともに生まれたものだ
そうであるから、
源頼朝の鎌倉時代(1192年)
頃の発祥ということになる。
そして、封建制が滅びた後も
多くの日本人の心の中に
軍人魂や大和魂として生き続け、
現代においても日本人の
精神文化の礎として脈々と
生きている思想である。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
武士道の源は禅と
ほぼ同一で、
禅の教えに拠っている
と言える。
そういう意味では、
共に禅に源を発する茶道と
武士道には精神面において
共通する点があるように思う。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
禅とは「絶対そのものを
悟ること」であり、その絶対
と自分自身の調和にある。
従って、武士道の道徳的な
教義の本となっているのは
⭐️孔子の五つの教え⭐️
である。
君臣、父子、夫婦、
兄弟、朋友の
五つの「倫理的関係」
である。
その根本をなすものが、
智、義、勇、仁、礼、
誠、名誉、忠義という
ことになる。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
智:
武士道は知識のための
知識を軽視した。知識は
本来目的ではなく、
知恵を得る手段である
という考え方であった。
王陽明の「知行合一」思想
を最高とする。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
義:
道理。条理。物事の理
にかなったこと。
人間の行うべき筋道。
「勇は義の相手にて
裁断の事也。道理に任せて
決定して猶予せざる心を
言う也。
死すべき場にて死し、
討つべき場にて討つ事也」。
「士の重んずることは節義
(節操をまもり、正道を
ふみ行うこと)なり。
節義は例えて言はば人の体
に骨ある如し。骨なければ
首も正しく上に在ることを
得ず。
手も物を取ることを得ず。
足も立つことを得ず。
されば、
人は才能ありても学問ありて
も節義なければ世に立つこと
を得ず。
節義あれば無骨不調法
にても士たるだけのこと
には事欠かぬなり」。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
勇:
「義を見てせざるは
    勇なきなり」
という孔子の言葉が有名で
あるが、言い換えれ
ば「勇気とは正しいことを
敢然と実行すること」と
いうことになる。
水戸学の草創者である
水戸光圀は「死に値しない
ことのために死ぬことは
『犬死』である」と説き、
大義の勇と匹夫の勇が
あることを述べている。
匹夫の勇はパフォーマンス
だけで五月蝿(うるさ)く
賑やかだが、
大義の勇は心穏やかに
平静さを保っているもの
である。
即ち、勇気の精神的側面
は落ち着きということである。
これを余裕とも呼んでいる。
勇気ある人は、常に落ち着い
ていて、
決して驚かされたりせず、
何事よっても心の平静さを
かき乱されることはない。
「最も剛毅なる者は最も
   柔和なる者なり。
愛ある者は
   勇敢なる者なり」
という言葉もある。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
仁:
「武士の情け」である。
即ち、仁とは人なり。
自らには厳しくあっても、
他人に対しては「窮鳥懐に
入るときは猟師も
これを撃たず」の寛容さ
と慈愛を有する。
孟子は「仁は人の安宅なり、
義は人の正路なり」と言い、
孔子は、愛、寛容、他者への
同情、憐憫(れんびん)の情
を至高(しこう)の
徳とした。
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孔子の言葉に「君子は先ず
徳を慎む。
徳あればここに人あり、
人あればここに土あり、
土あればここに財あり、
財あればここに用あり。
徳とは本(もと)なり、
財とは末(すえ)なり」
という言葉がある。
伊達政宗は「義に過ぐれば
   固くなる。
仁に過ぐれば弱くなる」と
言っている。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
礼:
礼とは、物事の道理を
そのまま当然のことと
して尊重するということ
である。
「物事の道理をそのまま
当然のこととして」とは
目上の人に対しては
長幼の礼をもって、
位の上の人に対しては
君臣の礼をもって、
といった意味で、
他人の気持ちに対する
思いやりを目に見える形
で表現することである。
礼の最高の姿は、
殆ど愛に近づく。
品性の良さを損なわない
ために礼が実践されるなら、
それは貧弱な徳行である。
伊達政宗は
「度を過ぎた礼はもは
やまやかしである」と
言っている。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
誠:
孔子は誠について「至誠
(しせい)は広々として
深厚あり。
しかも、はるかな未来
にわたって限りがない
性質をもっている。
そして、
意識的に動かすこと
なく相手を変化させ、
また意識的に働き掛ける
ことなく、
自らの目的を達成する力を
もっている」と説いている。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
名誉:
「人に笑われるな、
体面を汚すな、恥を知れ」と
いうように、
武士は幼少の頃から
「恥」と「誠」についての
教育を受けて来た。
バルザックは名誉について
「家族の結束が失われると、
その社会は名誉という
根本的な力を失ってしまう」
と言っている。
武士の社会においても
外国の騎士道においても、
名誉は強い家族意識が
育てているのである。
従って、武家や貴族の
家庭では、子供の教育に
おいて
「廉恥(れんち)心」と
いう感性を大切に育てる
ことから始められた。
廉恥心とは「恥を知る」心で
ある。
新井白石は
「不名誉は樹の切り傷の如く、
   時はこれを消さず、
かえってそれを
大ならしむるのみ」と
言っている。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
忠義:
忠誠心が最も重みを
帯びるのは武士道の名誉
の規範においてのみである。
己の良心を主君の気まぐれ
や酔狂、思いつきなどの
犠牲にする者に対しては、
武士道の評価は極めて
厳しかった。
そのような者は、
「佞臣(ねいしん)」
即ち無節操なへつらいを
もって主君の機嫌をとる者、
あるいは「寵臣(ちょうしん)」
即ち奴隷のごとき追従の
手段を弄(ろう)して
主君の意を迎えようと
する者として軽蔑された。
武士道では、忠義とは、
自らの生命で誠を示し、
あくまで主君の非を説き諌
(いさ)めることであった。
武士の規範の中では、
裏取引や不正な行いは
切腹に値するものとして
厳しく戒められ、
「ならぬ堪忍、するが堪忍」
という言葉もあるように
寛容忍耐が要求された。
武士の短気は嘲笑された
のである。
赤穂の四十七士は義士と
して崇められたが、
主君浅野内匠守は
短気浅慮の士
として高い評価をされていない
理由はこんなところにも
あるのだろう。
武士は、
人の行動が損得や利害に
よって変わることを最も
侮蔑した。
武士に商人嫌いが
多かったのはこういう
ところから来ているの
であろう。
上記の八個の文字は、
滝沢馬琴の超大作
「南総里見八犬伝」に
登場する「犬」の言葉を
苗字に持つ剣士たちが
大切に持っていた玉に
刻まれていた文字です。
昔は人の名前にもよく
使われ、目にもし、耳にも
した文字であるが、
現代では殆ど忘れ去られて
しまった観がある。
 「南総里見八犬伝」の
言葉は、江戸時代から
戦前戦中生まれの日本人の
道徳観や価値観の基礎となり、
行動と善悪判断の規範と
なっていたものである。
しかし現代の日本社会では、
人間としてあるべき思考行動
の理念であるこれらの言葉は、
権利と義務という契約原理の
中に埋もれてしまった感が
あります。
現代の競争社会は、
激しい競争を生み出し、
学校教育と社会生活は、
死ぬまでライバルを蹴落と
さなければ、
社会的名誉や地位やお金は、
得られない不条理な世界に
変わりました。
目には目という怒り、
妬み、恨み(うらみ)が、
ベースになっています。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
現在の日本の万悪は、
怒り、恨み、憎み、啀みが
跋扈しています。
不条理が跋扈する世界から、
無償の愛(許す。励ます。褒める。)
が満ちあふれた真理や正義が
通用する世界に変えなければ、
万悪は根治できません。
無償の愛とは、
相手に与えたり、助けたり、
誉めたり、許したり、
励ましたりすると、
自分は、うれしくなり、
満足し、喜びが生まれ幸福に
なり健康を維持でき、
長生きできることを
ボリビアのLa Pazで発見
しました。
無償の愛とは、
キリスト教のアカベの
教えや孔子の儒教や
武士道の精神です。
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