人口問題は常に日本にとって悩みの種だ。40年前の新聞に掲載されていたコラムから、評論家の呉智英氏が、日本の人口問題解決として現在、有力になっている移民拡大論について問題点を指摘する。
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 スクラップ帖に、ちょうど40年前、1977年1月の興味深い記事を見つけた。朝日新聞経済欄に今も続く「経済気象台」というコラムだ。経済学者、財界人、ジャーナリストの匿名リレー連載である。この回は「復平」名義になっている。論題は「過剰人口の悩み」。
 コラムはこう始まる。「いま世の中が不況であるのは日本に人間が多すぎるからである」。そして、こう続く。日本の国土に適正な人口は「先進国水準ではせいぜい5千万人」なのだから、いくら生産性が上がっても不況になるのは当然だ。しかるに、日本は人口抑制策を立てていない。人口問題研究所では50年後(つまり2027年)には1億4千万人にもなると報告しているし、国土庁は21世紀(つまり2001年以降)には1億5千万人にもなると推計している。どうなるんだ、日本……。

 いやはや。専門家の分析が全く当てにならない。このコラムへの批判が出た形跡はないから、世論全般もこれに納得していたのだろう。この御高見と世論に従って人口抑制策が立てられていたら、罵倒されなくても、日本、死ぬ。

 人口抑制論から40年の今、識者も世論も人口増加促進論一色である。人口増加自体は一応目指していいだろう。問題はその方策だ。最有力のものが移民(外国人労働者)拡大論である。だが、これは愚策中の愚策だ。ヨーロッパで移民政策のツケが今深刻な問題になっているではないか。初期アメリカの移民とはちがって、ヨーロッパの移民は要するに後進国の安価な労働力を買う経済政策であった。やがて反乱が起きるのは当然だろう。これは国内に植民地を作るようなものだからである。
 不思議なのは、植民地主義反対のはずの左翼やリベラル派の多数がこれの同調者であることだ。グローバリズムだの国際化だのの雰囲気に眩惑されているのである。
私は本義の労働研修生や留学生の受け入れに反対しているのではない。日本もかつて先進国へ同じように若者を送り出した。また、政治的亡命者についても受け容れるべきである。孫文も康有為も、金玉均も、ビハーリー・ボースも、スタルヒンも、全部日本は受け容れた。
 ところが、今、サルマン・ラシュディが亡命を求めてきたら、日本はこれを受け容れるだろうか。『悪魔の詩』の作者ラシュディは、イスラム指導者から死刑宣告を受け、何度も身の危険を感じながら転居を繰り返している。その『悪魔の詩』の邦訳者、筑波大学助教授五十嵐一(いがらし・ひとし)は、1991年同大構内で何者かに殺害された。喉首(のどくび)を鋭利な刃物で掻き切られて。日本では前例のない残虐な手口だ。犯人は不明なまま時効となった。
 ラシュディは厳重な警備に護られて事実上の亡命中だ。日本がラシュディを受け容れたら、半年もしないうちに殺害され、犯人は時効のまま国外逃亡するだろう。
 出入国管理がゆるい日本は明治時代よりも逆に亡命不適切国となっている。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。