映画「散り椿」Scattered camellia? 岡田准一の殺陣 181103 (Sat)

映画「散り椿」を昨夜やっと見て来た。日本映画は風景と所作が美しいと言われているらしいが、まさに その通りだった。普通 時々気が付くと、うたた寝しまうが、昨日は一睡も出来なかった。素晴らしかった。岡田准一さんの殺陣。見事だった。主要メンバーの演技も 下にある監督のお話も こうでなくてはと思わさせてくれた。女優さんたちの美しさ。凛としていて良かった。「散り椿」という呼ばれる椿は、驚いたことに、実在していた、あ~しあわせ!!!

 

111.岡田准一主演!映画「散り椿」予告

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222.岡田准一 迫力の殺陣シーン披露*映画「散り椿」 

Dego Magala 2018/06/04

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333.岡田准一&西島秀俊&黒木華 映画「散り椿」メイキングとインタビュー 上杉謙信 2018/08/28

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444.【茂木健一郎×木村大作】 黒澤明監督の凄いこだわり! 早い華麗な殺陣 岡田准一主演映画「散り椿」 sorairo 2018/09/27

脳科学者の茂木健一郎さんと撮影技師で映画監督の木村大作さんの対談です。木村大作さんは、撮影助手を務めた黒澤明監督のこだわりの凄さと3作目の監督映画「散り椿」の主演俳優・岡田准一さんの華麗な殺陣や女優・黒木華さんなどについて、茂木健一郎さんに語っています。

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555.散り椿とい椿はあるのか?

様々な色の花を咲かせる五色八重散り椿・地蔵院

北野天満宮から南に少し歩くと地蔵院というお寺があります。

地蔵院は、椿寺とも呼ばれているとおり、春になると境内に植えられた椿が見頃を迎えます。

花が大きい五色八重散椿

地蔵院の境内は、まずまず広いのですが、大部分が墓地のため、参拝できる場所は細長くなっています。

地蔵院の入り口

地蔵院の入り口

入り口の門をくぐって、右側を見ると椿がたくさんの花を咲かせていました。

この椿は、五色八重散椿(ごしきやえちりつばき)といいます。

入り口付近の五色八重散椿

入り口付近の五色八重散椿

安土桃山時代、朝鮮に出兵した加藤清正が蔚山城(うるさんじょう)から持ち帰った椿を豊臣秀吉に献上し、それを北野大茶湯の際に秀吉が地蔵院に寄進しました。

それが、当寺の五色八重散椿だったのですが、昭和58年(1983年)の春に枯れてしまいました。

現在、入口近くに植えられている椿は2代目で、樹齢約120年だそうです。

 

五色八重散椿は、他の椿と比べて2点変わったところがあります。

まず1点目は、1本の木にピンク色、白色、赤色、絞りが入ったものなど、いろいろな花を咲かせることです。

下の写真の左上の花はピンク色で、中央やや右の花は白色にピンク色の絞りが入っていますね。

写真だと分かりにくいですが、この椿の花は、通常のものよりもかなり大きく、直径はソフトボールくらいあります。

ピンク色の花と絞りが入った花

ピンク色の花と絞りが入った花

2点目は、花の散り方です。

通常、椿は、花が丸ごと地面に落ちるのですが、五色八重散り椿の場合は、桜のように花弁が1枚ずつ散っていきます。

 

地蔵院の境内には、椿の他に1本だけ枝垂れ桜が植えられています。

訪れる時期が良ければ、満開の桜と椿を観ることがきますよ。

枝垂れ桜と椿

枝垂れ桜と椿

中庭にもある椿

五色八重散椿は、中庭にも植えられています。

中庭は、入口からまっすぐ進み、地蔵堂を右に曲がり、さらにもう1回右に曲がると到着します。

近くには、赤穂浪士の討ち入りを助けた堺の商人天野屋利兵衛の墓があります。

天野屋利兵衛の墓

天野屋利兵衛の墓

ちなみに天野屋利兵衛は、山科区の大石神社の境内にある義人社に祀られています。

 

中庭に植えられている椿も2代目です。

私が訪れた4月中旬には、多くの花が散っていましたが、それでも木にはたくさんの花が残っていました。

中庭

中庭

こちらの椿には、入口付近では見ることができなかった真っ白な花が咲いていました。

中庭の五色八重散椿

中庭の五色八重散椿

 

地蔵院の五色八重散椿の開花時期は、3月中旬から2月初旬頃です。

この時期になると、桜が開花し、多くの方がそっちに夢中になりますが、椿の観賞にもちょうど良い時期なので、ぜひ、地蔵院にも訪れてみてください

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666.「散り椿」岡田准一が殺陣師に!?木村大作は79歳でインスタデビュー(写真13枚) – 映画ナタリー

paw patrol full episodes playlist  2018/08/27

「散り椿」の完成披露舞台挨拶が本日8月27日に東京・TOHOシネマズ 日比谷で行われ、主演を務める岡田准一のほか、西島秀俊、黒木華、池松壮亮、監督の木村大作が出席した。 木村が「劔岳 点の記」「春を背負って」に続き監督を務めた本作は、岡田扮する藩の不正や権力に立ち向かっていく瓜生新兵衛を主人公とした時代劇。西島が道場の四天王の1人であり、藩主の側用人として頭角を現す榊原采女、黒木が新兵衛の亡き妻・篠の妹である坂下里美、池松が篠の弟・藤吾を演じている。
マイクを持たずに挨拶する木村大作。  唯一マイクを持たずに登壇した木村は、開口一番「僕に近い年齢の人がいない!」と挨拶。「この映画を観終わったあとに、よいと思ったならば多くの人に宣伝してください。その責任が皆さんにあります! 皆さんは若い、若いからこそお願いします」と訴えかける。1958年、東宝へ撮影助手として入社してから今年でキャリア60年を迎えた現在79歳の木村。キャストと観客を見渡し「来年、80歳になるんですよ。子供……いや孫(の年齢)ばっかりだね」と笑いを誘う。
「この映画がコケちゃったら僕の一生は終わりです。そういう意味でよろしくお願いしたいと思います」と冗談交じりに映画をアピールした。 岡田准一 左から木村大作、黒木華。  岡田は木村の印象を「愛が深い。大作さんはロマンチックなんですよ。よく怒鳴るとか怒るとか言われてますが、いいものを撮ろうとしているとき以外で怒鳴ってるのは見たことがない」とコメント。
本日昼間に行われた会見では映画の殺陣に関する話題が多かったため、岡田が木村に「今回は“愛”の話がしたいんですよね」と促す。木村は「愛を大きく担っているのは黒木華さん。映画の中に『お優しゅうございます』というセリフがある。これが僕の理想。そして(麻生久美子演じる)篠の『お褒めいたしますとも』も。この2つのセリフがあったからこの映画を撮ったぐらいです。ラブロマンスですよ」と明かした

 

 。黒木は撮影前に木村から「これまで出演してきた作品のどの監督よりも美しく撮る!」と宣言されたという。 黒木華 池松壮亮  岡田が主演した「関ヶ原」にも言及する木村は「あの映画は最大で15頭の馬が走ってるんです。でも『散り椿』では16頭も走ってますよ。1頭が高いんですから」と自慢げに述べ、岡田も「『関ヶ原』に勝つとおっしゃってましたね」と笑う。
木村を「大ちゃん」と呼ぶ黒木は、撮影現場にマスコミが入った際にはおしゃれなスーツ姿で映画の見どころを語っていたという木村のお茶目な一面を明かす。西島は「大作さんは嘘をつかない。だからこちらも嘘をつけない。まっすぐな方です」、池松も「映画の哲学を日々、学ばせてくれる方です」とコメントした。
西島秀俊  本作の殺陣のクレジットにも名を連ねる岡田。木村も「今日観ていただく殺陣は、100%岡田さんが付けた殺陣でございます。次もし時代劇をやることになったら、岡田さんには殺陣師として現場に来てもらいたい」とラブコールを送る。西島は「大作さんは引き画で撮られる方なので、間合いも本当に斬り合わないと嘘がばれるんですよ。岡田さんも本当に斬る方(笑)。
だから今までとはまったく違う。怖いですよ。稽古の間は『今、完全に足斬られたな』とか思ってましたから」と振り返った。 スマートフォンでキャストを撮影しようとする木村大作(中央右)。 木村大作がスマートフォンで撮影した写真。左から池松壮亮、西島秀俊、岡田准一、黒木華。  舞台挨拶では、カメラマンとして活躍し本作で撮影も兼任している木村が宣伝プロモーションの一環でInstagramに初挑戦することも発表。
そして最後に、木村自らキャスト陣をスマートフォンのカメラで撮影することに。普段は折りたたみの携帯電話を使っているという木村は、慣れないスマートフォンに苦戦している様子で、客席からも「大ちゃん! がんばって」と応援の声が飛ぶ。同アカウントでは、この日撮影された写真を初投稿に、今後も木村が撮影した写真がアップされていく予定だ。木村は「誰もフォローしてくれないと恥をかくからさ。頼むよ」と観客に呼びかけた。 葉室麟の同名小説を原作とした「散り椿」は、9月28日より全国東宝系でロードショー。
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777.地蔵院(竹の寺)庭園  じぞういん

庭の概要

所在地 京都市西京区山田北ノ町
電話 075-381-3417
作庭年代 本文参照
作庭者 本文参照
様式 枯山水
寺社の創建年代
文化財指定・登録状況 京都市の名勝
敷地面積 約400㎡(文化財指定面積)
公開状況 公開(有料)

歴史・いわれ

地蔵院(竹の寺)庭園の画像
十六羅漢の庭。背後はモウソウチクの林

地蔵院は竹林の美しさで知られる臨済宗の寺院です。幼少のころ近くに生家があった一休禅師(1394~1481)が修養の場としていた寺としても知られます。

 

地蔵院の地はもともとは、衣笠内大臣といわれた歌人の藤原家良(いえよし)(1192~1264)が山荘を営んでいた場所ですが、貞治6年(1367年)もしくは応安元年(1368年)に室町幕府の管領であった南北朝時代の武将・細川頼之(よりゆき)(1329~1392)が尼僧妙性(みょうしょう)から土地を買取り、寄進したことに始まります。

 

開山は碧潭周皎(へきたんしゅうこう)すなわち宗鏡(そうきょう)禅師ですが、その師匠であり、西芳寺(苔寺)や天龍寺の作庭などで有名な夢窓疎石(むそうそせき)を勧請して第1世とし、碧潭周皎自身は第2世となっています。

 

※夢窓疎石(夢窓国師)……鎌倉時代から室町時代にかけての著名な禅僧。各地を巡遊、寺を開基し、自らも作庭を行いました。京都市内では西芳寺(苔寺)、天龍寺の庭園などを手がています。疎石は法諱。

 

碧潭周皎が亡くなり、「宗鏡」の諡(おくりな)を得てこの地蔵院に葬られた後、細川頼之もまた遺志により死後地蔵院に葬られ、2人の墓石と伝えられる石が境内に並んで安置されています。

細川氏に由来する寺院であるためか、当時の朝廷の信仰も厚く、室町時代には京都五山に匹敵する特権を与えられるとともに、多くの寺領が寄進され、隆盛を極めました。

 

しかし、応仁・文明の乱(1467~1477年)によりすべての堂舎は焼失し、さらに復興後に天正の大地震(天正13年・1585年)で大きな打撃を受けますが、細川家の援助もあり江戸時代中頃には復興しました。

 

庭は宗鏡禅師作と伝えられますが、貞享3年(1686年)に建てられた方丈の南側にあるため、方丈と同時期に整えられたものと考えられています。

 

庭の中には30個ほどの石が各所に据えられています。ツバキ、モミジ、ゴヨウマツなどが植えられており、とくに築山や池などを築かない、平庭形式の枯山水庭園です。

 

据えられている石の形は様々ですが、比較的均等に配置され、羅漢(悟りを開いた修行者)の立ち並ぶ姿を象徴させるような据え方となっているため、「十六羅漢(らかん)の庭」と呼ばれています。地面にはコケが一面に生え、落ち着いた感じをかもしだしています。

 

庭の中で特徴となるのがツバキの花です。ワビスケやソデカクシといった品種の他に八重咲きのツバキが植えられており、3月下旬から4月にかけて入れ替わりに花を着け、目を楽しませてくれます。

見所・みどりの情報

地蔵院(竹の寺)庭園の画像竹林が美しい総門付近の参道

この地蔵院は、別名「竹の寺」と呼ばれているように、境内に涼しげな竹林が広がり、落ち着いた雰囲気のある空間が作られています。また要所要所に植えられているモミジが秋に彩りを添え、竹林の緑との対比を見せます。

 

地蔵院は細川家由緒の寺として、今でも細川家の方々が参拝に来るなど関係は深く、藤田守浩住職は「信仰の薄くなった時代でも、昔のご縁でお参りに来て、庭を見て下さるのは大変嬉しい」と話しています。

手入れのポイント

境内の竹林を美しく保つのは大変で、庭木の手入れと合わせて業者に頼んでいるほか、住職自らも間伐などの作業をこなされています。

 

コケの管理には気を遣うものですが、地蔵院では、コケは水をやりすぎると水の多い環境に慣れてしまい、却って乾燥に弱くなるので、夏場はできるだけ水をやらないようにしているそうです。

文化財の指定/関連の文化財

昭和62年(1987年)5月、方丈が京都市有形文化財(建造物)に、方丈に面した庭園が京都市の名勝にそれぞれ登録されています。

 

境内は、文化財を周辺環境とともに保全するための京都市文化財環境保全地区に指定されています。

ご注意

庭と建物(方丈)は写真撮影禁止です。(当ページの写真は地蔵院の許可を得て撮影・掲載したものです。)