写真・図版

地元自治体の推薦書原案は13年から5回落選し、6度目の挑戦が実った。三内丸山遺跡では、ボランティアガイドの約30人が抱き合って喜んだ。一町田工(いっちょうだたくみ)さん(80)は「本当に待ち遠しかった。縄文遺跡群は人の生活の積み重ねの歴史そのもの。人がどんなところで技術を進歩させ、自然と共生してきたかを広くわかってほしい」。自然遺産との調整など、関門はまだある。青森県の青山祐治副知事は「登録への第一歩。これからが大変な競争だ」と話した。(林義則)

「文化」「自然」あわせて1国1件

20年に向けては、今夏の自然遺産への登録を断念した「奄美大島徳之島、沖縄島北部及び西表島

(鹿児島、沖縄両県)も再挑戦を目指す。今年5月にユネスコの諮問機関から「登録延期」の勧告を受け、

取り下げた。環境省は推薦書の再提出に向け、課題だった沖縄本島北部の米軍基地返還地のうち9割を、

やんばる国立公園に編入し、生態系を保護管理する対象に加えるなど準備を進める。

 

だがユネスコは審査数の削減策を打ち出しており、20年登録分から文化と自然遺産を合わせて1国

1件に限定する。文化庁環境省は話し合いを始めているが、各地元の思いもあり折り合うのは容易

ではない。過去には「政治決着」にまでもつれた例もある。15年登録をめざし、文化審議会が選んだ

候補と内閣官房が推す候補が競合。政府内の調整の結果、「明治日本の産業革命遺産」に一本化された。

仮に自然遺産が選ばれた場合、縄文遺跡群を改めて21年登録の国内候補とする手続きは、「他候補

と改めて比べて選ぶのか、選定方法も含めて文化審議会で検討してもらう」(文化庁担当者)といい、

未定だ。(川村剛志、上田真由美)

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★〝バレラシッド愛凛七★Arina Varella-Cidちゃんのコメント★

(略称Vcid Arina)★

画像に含まれている可能性があるもの:4人、Yuko Vcidさんを含む、、スマイル、子供、屋外、自然

① 縄文時代はとても「平和な時代」だったといわれています。遺跡から、小動物を捕まえるための弓矢は見つかりましたが、争いをするための武器は見つかっていないそうです。

② 自然を愛し、自然とともに生きてきた民族、争わず、助け合いながら生きていた時代です。今の人たちと比べればもっと相手のことや、動物のこと、自然界のことを考えていたのでしょう。そんな時代が1万3000年も続いたそうです。

③ 縄文時代と現代の違いを考えてみてください。縄文時代では、必要な食べ物は全部自然界の中にそろっていました。例えば、野菜や木の実、動物など。学校では、稲作は弥生時代からと習いますが、最近、遺跡から縄文時代も稲作をしていたことが分かったそうです。穀物は自分たちの食べる分だけ育てていたのでしょう。自然界の中に必要な食べ物があったからこそ、恵まれていて、お金がいらなかったのです。お金のいらない生活をしていて、分かち合っていたのです。

④ けれど今は自然界のものを奪い合い、やがては戦争や争いが起こっています。そしてお金が出来て、先進国と発展途上国というものができて、人々は争いあっています。争いや戦争で自然界のものが荒らされ、人々が沢山亡くなっています。このままでいいのでしょうか?

⑤ 四大文明と言われるインダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、黄河文明。小名木善行さんのお話によると、古代、人の文明が栄えた土地は今、砂漠化しているようです。興味深いのでYou Tubeを載せておきます。3:48からGoogle Map で確認できます

(クリックしてくださいね)。
https://www.youtube.com/watch?v=9fk5jZkeuiE&t=8s

★私達の住む地球を守るために、自然を愛し、争いのなかった縄文時代の生き方や考え方を、私達みんなが少しずつ取り入れて行きましょう。

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