日本の所得格差 ピケティ処方箋 子供の貧困 Food Bank

1.はじめに

 2006年の通常国会では、ライブドアの堀江貴文社長(ホリエモン)の逮捕などをきっかけにして、小泉政権(2001年4月~2006年9月)の構造改革政策によって、社会格差が広がりつつあることが、国会論戦の1つのテーマになり、安倍政権の通常国会でも格差問題は大きなテーマとなった。当初、野党の批判に対して、小泉首相は、客観データでは、小泉政権になって特に格差拡大は進行していないとしていたが、その後、ゆるやかな格差拡大は以前から進みつつあることを認め、2月2日には、「格差が出ることが悪いとは思わない」「勝ち組、負け組というが、負け組に再挑戦するチャンスがある社会が小泉改革の進む道」という論法に転じた。

それから10年、2015年の通常国会では、格差を論じた「21世紀の資本」日本語版刊行に伴いフランスのピケティ教授が来日したのを受けて、民主党の岡田新代表が2月16日の代表質問の冒頭で「首相が進める経済政策「アベノミクス」に関し「成長の果実をいかに分配するかという観点が欠けている」と格差是正の重要性を訴えた。首相は「格差が許容できないほど拡大しているという意識変化は確認されていない」と反論した」(東京新聞2015.2.17)。

社会実情データ図録の性格上、格差についての毎年の客観データを掲げておかないわけにはいかない。

2.使用データ

 これまで図録4650で「世界各国の貧富の格差」、図録4660で「我が国の所得格差の長期推移と先進国間の推移比較」を示した。前者は富裕層20%と貧困層20%の所得ないし消費の格差を示し、後者では、格差を科学的に正確に示せるジニ係数を用いて戦前からの格差の推移を示している。

国会論戦でもジニ係数が用いられたが、正確さを期するために分かりやすさが失われており、格差の実態についてもかえってイメージの薄い論戦を招く結果となっている。ここでは、分かりやすい前者の方式、すなわち低所得層20%と高所得層20%の所得格差の毎年のデータを示すことにする。

取り上げた統計資料は家計調査である。家計調査は戦前の社会政策的な都市労働者の生計費調査の系譜に連なる調査であり、勤労者世帯以外の自営世帯の収入区分調査は行っておらず、また農林漁家や単身者を含むようになったのは最近である。しかし、年間収入(過去一年間の現金収入)については収入階級区分の集計のため全世帯に聞いており、長い時系列データが得られ、また人々が親しんでいる公表も早い調査なので、これを使用するものとする。

単身世帯を含んでいないデータなので、単身のニート・フリーターの状況や単身高齢者世帯の状況は、反映されない点に留意しておく必要がある。

3.予想外の所得格差推移

 高度成長期に大きく縮小した所得格差は、その後、1972年の4倍から1999年の5倍近くへと徐々に拡大していった。自営業者や役員、非就業者を含む全世帯ばかりでなく、勤労者世帯についても同様の動きである。

1980年代後半のバブル経済の時期は、特に、格差が拡大した時期であった。もっとも、この時期は勤労者世帯のみをみると格差は拡大していない点には留意が必要である。

こうした長期的な格差拡大傾向に反して、巷間の見方や国民の格差意識(図録4670)とは裏腹に、聖域なき構造改革、規制緩和の推進を掲げた2001年4月以降の小泉政権下では、むしろ、所得格差は縮小に転じている。これはどうしたことであろうか。

以上、及び4.以下では、格差が縮小した2003年~05年の状況を前提にコメントをしている。なお、小泉政権期の所得格差縮小については図録4667も参照のこと。

(その後の推移)
2006~15年実績値が発表されたが、格差は再度拡大したのち、08年~10年には再低下し、その後横ばいで推移している。低所得世帯の所得が低迷する中、高所得世帯の所得が回復し、08年に世界金融危機で再度低下したからである。2013年はアベノミクス効果(株価上昇による高所得者の所得上昇)で格差が大きく広がったかというとそうでもない。2014年は消費税増税により物価が上昇したが、収入はそれほど増えなかったため、実質収入は高所得者も低所得者も同様に減少した。2015年も高所得者も低所得者もやや実質減の動向である。

4.低所得層と高所得層の所得水準の推移

 所得格差が拡大するのは、低所得層の所得水準が下がって、高所得層の所得水準が横ばいの場合もあれば、低所得層の所得水準が横ばいで高所得層の所得が上昇する場合もある。また低所得層の所得水準が下がり、高所得層の所得水準が上がった結果である場合もある。格差が縮小するのは、これらと逆の諸々のケースがありうる。実態はどうだったのだろうか。これを見るため、低所得世帯と高所得世帯の所得水準指数を比較した参考図を作成した。

高度成長期の急激な格差縮小は、高所得層の所得上昇より低所得層の所得上昇がより急だったためである。この時期の工業の発達により、低所得層が、安定的な企業雇用に吸収されていった効果であると考えられる。この時代を記憶している人は、この時期、街から貧しい人が消えていったことを思い出すであろう。

1973年のオイルショック以降の時期は、高所得層の所得の伸びが低所得層の所得の伸びを上回り、格差が拡大していった。

そして、バブル崩壊後の1990年代半ばからの長期経済低迷の時期には、低所得層、高所得層ともに所得水準が低下に転じた。全世帯では格差は横ばい、勤労者世帯では、やや格差拡大の状況となった。

2000年代に入ると、高所得層の所得低下は続いたが、低所得層は低下に歯止めがかかり、上述の通り、格差はむしろ縮小している。また、高所得層の所得の変動がその時々の経済情勢の影響もあってかなり大きいのに対して低所得層の所得の変動はほとんどない点も最近目立つようになっている。これには賃金や料金が据え置かれていてもデフレで実質は上昇するというメカニズムの影響もあったと考えられる。2014年には物価下落が止まったので据え置きの場合は実質は下落するという事態となったことが分る。物価上昇の場合、低所得者の所得低下の歯止めはない。

5.低所得層と高所得層の実態

 ここで、低所得層と高所得層の実態を押さえておかないと、格差状況の理解は深まらない。下図に、世帯主の年齢別の所得階層分布を掲げた。

20歳代以下では、年間収入階級Ⅰ(ここでは低所得層と呼んでいる)やⅡが多い。30歳代ではⅢが最も多い。40歳代では、Ⅳが多く、50歳代ではⅤ(高所得層とここでは呼んでいる)が多い。年金生活者が多くを占める60歳以上では、再度、Ⅰ、Ⅱ、特にⅠが最も多くなる。

低所得世帯、高所得世帯といっても、実は、年齢を重ねる毎に所得が高くなるライフサイクルを反映した側面が大きいのである。

古くは、ロシアにおける農民層分解に関するレーニン仮説とチャヤノフ仮説の対立として示されてきた事柄である。レーニンは、農民層の零細層と大規模層の格差を資本主義の発達によるものとして、社会主義革命論につなげた。チャヤノフは、この格差は農家の世代変化による違いを反映しているものに過ぎないと捉えた。歳をとり家族が増えると農地も増えるが、相続でもう一度農地が細分されるというサイクルを仮定したのである。

6.格差拡大から格差縮小への転換の真相

 チャヤノフ的なライフサイクル仮説によれば、オイルショック後の長期的な格差拡大は、若い世代と中高年世代の所得格差の拡大、すなわち日本的経営の年功賃金制度の確立にともなうものであると考えることができる(図録3330参照)。

ところが、バブル崩壊後、こうした年功賃金制度は企業収益の低迷の中で見直され、賃金カーブのフラット化が進行している(図録3340)。1990年代には全体としてフラット化が進行したが、2000年代にはいると特に中高年40歳代後半から50歳代のフラット化が進行した。退職金も特に大卒ホワイトカラーで大きく削減された(図録3328)。リストラの動きや早期退職制度などが複雑にこうした動きを促進していると考えられる。中高年の自殺が増えたのもこうした社会の構造改革の痛みを反映しているものと見なしうる(図録2760参照)。中高年の相対的な賃金水準の引き下げは、当然、年齢構造を強調する見方からは、格差の縮小に結びつく。

冒頭の参考図における低所得世帯と高所得世帯の所得水準指数の推移を見ると、小泉政権下では、低所得層の所得低下に歯止めがかかっているのに、高所得層の所得低下はなお続いている。団塊の世代がリストラ対象年齢となったことが大きいのではないだろうか。リストラ対象になった者とそうでない者との所得格差は広がっているだろうが、中高年と若い世代との所得格差はむしろ縮小しており、これが全体の所得格差縮小につながっていると考えられる。

実際、下図に冒頭の格差推移図の全世帯の動きと国民生活基礎調査による世帯主の年齢階級別所得格差(ここでは30歳代世帯主と50歳代世帯主の世帯所得の格差を取り上げている)の推移を比較したが、両者は、高度成長期は別にして、それ以降、大きくは、パラレルな動きを示しており、特に2001年以降50歳代の相対所得の低下が家計調査における2003年からの所得格差の縮小に結びついてるのではないかととれる動きが見てとれる(家計調査の所得は各月の過去一年間の所得の平均なので実際は表示年より半年過去にずれている点にも留意)。

 さらに、社会保障が確立している中での高齢者の増加も大きな格差縮小の要因である。最近の低所得層の所得低下の歯止めには、低所得層の多くを占める高齢年金受給世帯の所得は、最低限の一定以下には下がらない性格のものである点が大きく寄与していると考えられる。デフレ時代には制度改定がないと実質受給額が上昇、生活保護世帯の対象範囲が拡大する傾向があらわれるのである(生活保護世帯に関しては図録2950参照)。社会保障が低所得世帯の所得低下にロックをかけているともいえる。

以上のような年齢構造による所得格差への影響を取り除いて所得格差の状況を見るためには、年齢層毎の所得格差の状況を調べればよい。図録4665に、家計調査の拡大版である全国消費実態調査により年齢別の所得格差の推移をジニ係数を使って図示した。結論から言うと、年齢層ごとの格差は、もともとは格差が小さかった若い層では、拡大し、格差が大きかった高齢者層では、むしろ縮小している。高齢者の格差縮小は、年金制度の確立が貢献しているといえる。若い層における格差拡大は、能力主義的な賃金制度、あるいはニート、フリーターの拡大などが影響していると考えられる。家計調査と異なり所得格差は近年でも拡大している。これは、主として、これは格差の大きな高齢者層のウエイトが大きくなっているからだとされることが多いが年間収入の取り方の差である可能性がある。

7.まとめ

 このように近年の所得格差は、家計調査によれば、国民意識とは逆に、賃金カーブのフラット化や社会保障による低所得層の所得低下抑制機能によって、縮小している。冒頭に引用したように小泉政権の政策が格差拡大を目指しているとしたら、政策は失敗に終わっている、あるいはこれから効果があらわれる類のものであると結論できよう。

統計データは大量観察に特徴がある。国民意識は、特徴的な事件や出来事をとらえて動く。勝ち組や負け組、ニート・フリーターの増加、大儲けする六本木ヒルズの入居企業、生活保護世帯の増加などは、格差拡大に結びつく社会現象である。こうした現象によって格差拡大が促進されている面も当然ありえる。しかし、大量観察の結果は、むしろ、年齢別賃金カーブや社会保障の充実といったもっと大きな変化を反映しているのだと考えられよう。ここでふれたデータだけでこう結論づけるのは、早計かも知れず、実証的な検証がなお必要であるが、そういう仮説でしか説明できない状況データを我々は手にしている。

なお、家計調査のように二人以上世帯ではなく、単独世帯を含む全世帯が対象である国民生活基礎調査による所得格差の推移を図録4664に示したので参照のこと。またOECDによる相対的貧困率の推移も2000年頃から2000年半ばにかけて低下しており同じ傾向を裏づけている(図録4654)。

(2006年2月2日収録、2月10日2005年データ追加、2月22日国民生活基礎調査データ、比較コメント追加、2007年2月14日・2008年2月15日更新、10月9日退職金コメント追加、2009年2月14日更新、2010年2月16日更新、2011年2月15日更新、2012年2月23日更新、2013年2月20日更新、2014年2月18日更新、2015年2月17日更新、2016年2月16日更新)

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