Kurume gasuri 久留米絣(かすり)とは? 復活する! 170416Sun

久留米絣とは

久留米絣とは

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久留米絣(くるめがすり)は、福岡県南部の筑後地方一帯で製造されている絣。生産されているもののほとんどは着尺(きじゃく)の綿織物。織幅が1尺(約38㎝)の織物。括り(くくり)とよばれる技法であらかじめ染め分けた糸(絣糸)を用いて製織し、文様を表す。伊予絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。久留米絣の技法は1957年に国の重要無形文化財に指定され、1976年には経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されている。
江戸時代の後期に、井上伝という当時12歳の少女が創始したとされる。久留米藩が産業として奨励していた。一時は年間200〜300万反を生産したが、戦後は洋装化により絣の需要が激減、現在は少量の生産にとどまる。
日本の小説家、太宰治は久留米絣を用いた着物を好んで着ていたともいわれています。

もともとは、生活必需品だった久留米絣

TVドラマや映画などご覧になれば、一目瞭然ですが江戸後期、明治、大正、昭和初期は老若男女問わず、庶民の普段着は絣の着物でした。生活必需品として久留米絣は現在とは比べ物にならないくらいの生産量を誇ってました。
https://youtu.be/rnrHosDOZv8?t=7

洋装化の流れにおされて

戦後を境に普段着に絣の着物を着る人は急速に減っていき、洋服が普段着となりました。
それまで庶民の普段着として定着していた絣はその役目を終えたといってもいいでしょう。
昭和の高度成長期あたりを境に絣の生産は製造織元の件数とともに激減していきます。
逆転の発想
「このままでは久留米絣はなくなる」その危機感からの一心でした。
着物地としてではなく、洋服地としての絣をつくる。
そのなかで考え出したのが、それまで絣の生地としてはほとんど需要のなかった無地でした。絣の生地と同素材、同じ製法、同じ織機で無地を織ることで柄+無地の組み合わせでデザインされた洋服をつくりだすことに成功。主に産地メーカーさんのオリジナルブランドとして久留米絣の生地は新たなニーズを生み出すことに成功しました。

  • タテ糸をつくる
    タテ絣をつくる
  • ヌキ絣(絵絣)をつくる
    ヌキ絣(絵絣)をつくる

 

  • 文人絣(ぶんじんかすり)をつくる
    文人絣(ぶんじんかすり)をつくる。
  • 括り屋さんの仕事
    括り屋さんの仕事

 

  • 絣の図案師(ずあんし)
    絣の図案師(ずあんし)
  • 亀甲アラレ柄の制作風景
    亀甲アラレ柄の制作風景

  • 卵柄 制作風景
    卵柄 制作風景

古賀 円さんの記事を見つけた。ぜひ 頑張ってほしい。

【リアル化女子】no.001久留米絣みらい研究室Coppolart古賀円さん

  • Profile
  • 古賀円(こが まどか)   久留米絣みらい研究室Coppolart(コッポラート) 代表
  • 1976.12.29生  久留米市在住
  • 南薫小学校>櫛原中>明善高>東京女子大学 コミュニケーション学科
  • バンタンキャリアスクール 雑貨コーディネーター卒(Wスクール)
  • 1998年~2011年 東京在住 国会議員秘書として働く
  • 2011年久留米に帰郷し起業

「井上伝」への憧れ。

久留米絣の創始者である井上伝。
小さな頃から木綿織りの稽古や縫い物を始め、数年後、着古した藍染めに白い斑紋を見つけ、後の久留米絣のもとになる技法を生み出した。40歳のころには、弟子が1000人にも及び、弟子の内、400人程が各地に散らばり開業。絣は筑後川の恵みを受けて、個人の趣味的生産から産業として形成され、久留米は絣の産地として確立した。
「女性として」「起業家として」「教育者として」も受け継がれる歴史を残し、今もなお伝承し続けられる井上伝の精神。

井上伝さんの生誕日は1788年12月29日。なんと、円さんが生まれるちょうど188年前。同じ12月29日の誕生日。運命としか考えられない奇跡。

伝統は受け継ぐものでありながら、改革していくもの。時代に寄り添う価値を生み出すには、次世代の革命家が必要である。井上伝さんの想いを真摯に受け止め、久留米絣に携わる方々と共に歴史をつくる。

そんな、次世代の井上伝と言っても過言ではない古賀円さんのリアルをご覧ください。

起業35歳。

みんなの中でバランスが取れればいい。

そう思って何となく過ごしていた学生時代を「イケてない時期」という言葉で表してました。
昔は積極的にやりたいことをやっていくタイプではなかった。みんなの期待に沿えればよかった。
お父様の元で国会議員秘書を務めた10年。

父が主役で私は脇役。そう思って生きてきた期間も、それを望んできたのは自分だった。

2011年東日本大震災。

何もなくなった時、最後に残るのは人との繋がりしかない。

大震災を目の前に実感した確信は深かった。

東京で被災し、東京の街は真っ暗。コンビニも真っ暗、トイレットペーパーもないような生活になり、追い討ちをかけるように、福島の原発の問題が発生。
人間のやりたい放題の環境汚染、大量生産、大量消費のゴミの山、利益優先の資本主義…お金があって贅沢ができても、こんな大きな天災の中では何の意味も持たないんだと。

「世の中はなんて不平等なんだ。人と人との繋がりが一番大変な時の命綱になるんだ。私ができることはなんだろう。」と足元を見つめ直したくなり、UターンというよりはRターン(Rootsを辿ること)を決めた。

「足ることを知る」ことを意識した時に、今までの便利すぎた生活を見直し、江戸時代から続く絣の文化に「もったいない精神」と、21世紀型の精神的に豊かな暮らしのヒントが眠っているような気がして。

震災を機に心のど真ん中で受け止めるしかない、現実から引き寄せた使命がココにあった。幼い頃から当たり前に傍にあった久留米絣で起業を決意。

「自分にしかできない事をしたい。」
「自分の人生が始まった感じがした。」

と起業した時の気持ちを話してくれました。

起業当時、久留米市通町にある井上伝さんの墓前で、これから久留米絣に携わる決意表明とご挨拶。
古賀円さんの久留米絣の未来研究がスタートしました。

小さなコトが出来ないと、大きなことは出来ない。

秘書時代学んだこと。起業したとはいえ、絣の世界ではゼロからのスタート。

自己資金もほぼゼロ。あるのは絣を広めたいという情熱だけ。
出来ない事だらけだから、まずはやれる事をひとつずつ増やそう。
絣が1mでも動くことなら何でもやる。

まずは、印花の市瀬久美子さんに勝手に弟子入りし、絣と洋裁の基本を一から学ぶ。フルオーダーの洋服をチームで制作する傍ら、絣にまつわる様々な案件が舞い込んでくるようになった。

震災は常に心の片隅にある。

本業の傍ら、陸前高田の仮設住宅の女性達に絣のハギレを送り、それでできたコースターを久留米で売るくらいのことしかできなくて、無力さを感じた。

起業から5年。とにかく手探りで自分のできる事を探し動いてきた。求められることは今できる全力をかけてやってきた。

昨年(2016年)Anny Groupの二枝たかはるさんとのご縁でチャリティスーツオーダー会を開催し、熊本地震の被災地に売上の一部(120万円)を寄附するお手伝いができた。

自分のできることで以前はできなかったことが、多くの人との出逢いと応援のおかげでできたことが、何より嬉しかった。

デザインや服飾関係の学校に行ったわけでもない。アパレル関係の職に就いたこともない。

石の上にも、、、とにかく3年やってみよう。

この気持ちで走り続けたこの5年。初心を忘れずに、結果を残していくこと。そして自分の力だけではない!と言い続ける姿勢が、きっとまた数百年、数千年続く歴史に繋がっていくのだと感じました。

デザインする。製作する。販売する。初めての経験ばかりにチャレンジし続け、現在は久留米絣の「行商」として、全国、全世界へとPRされています。

祖母と生きる

また会いたいと思われる人になりなさい。

自分一人の力でやっていると思うんじゃない!

井戸を掘った人への敬意と、いつも感謝を忘れずに。

今は亡き祖母からの教え。

「おばあちゃんっ子だったからね〜。」と優しい笑みを浮かべて話してくれました。

成功してる人を見てると、人柄も商品もトータルで応援してもらえる人だと思う。

「自分が出来ること、得意な事をドンドン伸ばしていきなさい!」と教わった。

自分で決めた人生を歩み出してから、これでいいのか?と正解も解らぬまま自問自答の日々。

でも、今は自信持って言える。点と点が結び合い線になり、大きく広がる面になっている事。

今までの道のりに無駄はなく、自分にしか分からない直感を大切に、心の声に耳を澄ませる。 お祖母様から受け継いだ精神が土台となっている円さんの人生。

今、円さんが魅了され触れている久留米絣も、お祖母様が暮らしに取り入れてきたからこそ今に繋がっているのだと感じました。

  • 魔法の言葉

絣そのものを自分の人生にした円さんは、起業してすぐ出逢った「けやきとアートの散歩路」代表の進藤仁子さんからの言葉に勇気をもらったと言う。

「円さんなら大丈夫!」

イベントや企画なども未経験の頃、たったこの一言に励まされ、自分なりに必死に考えて作ってきたもの。

進藤さんとの出逢いと後押しにより、久留米ならではのコンテンツとして古賀円プロデュースのファッションショーが久留米を飛び出し、全国でも開催されています。

色んな世代の方々に愛されている絣。「販売する」という観点だけではなく、「普及」に繋げていくこと。

観てもらう。感じてもらう。幸せな気持ちになる。そんな輪を広げていく久留米絣ファッションショーは、今やたくさんの方がモデルとしてもチャレンジ出来る場として提供されています。

みんなが主役の晴れ舞台をつくりたい。

自分が人生の主役と感じてなかった時間が長かった分、どんな人にも人生の主役として輝いてほしい。

絣に触れてもらえる、観てもらえる機会だけではなく、 華やかな舞台に立つ事で、自分の人生を謳歌していけるキッカケになってほしい。

いつでも別人のように人生は変えられると思ってもらえたら・・・

市民をモデルとするファッションショーは、円さんの根底に流れる願いの表現のひとつ。
ファッションショーの後には涙を流される方、次の舞台まで練習を継続される方。間違いなく円さんの想いは繋がっていました。

進藤さんからの一言を魔法の言葉と受け止めた結果は、人の心も変えてしまうものへとなっていました。

  • 40歳の夢

40歳で店舗を構える。

現在40歳の円さんの描き続けた夢が叶いました。久留米市原古賀町にある店舗を拠点にするために準備中。いつでも触れることのできる久留米絣と出逢えます。

円さんがサードプレイスとして運営するChietsuku Projectでの企画で醤油袋を作成したのをキッカケに、4合瓶が入る日本酒バッグを開発。酒蔵も有名な久留米。地元の日本酒と絣の2大伝統産業同士をくっつけるアイテムを作りたいと、前から温めていた案を世に出すべくクラウドファンディングに挑戦し、達成率192%と日本中から応援されています。

「大切な人の幸せを願って贈りたい。」と思ってもらえる品を。

作り手と使い手。贈る人と贈られる人。

想いの「間」を久留米絣がつなげられたら・・。

その想いがリアル化されました。

  • リアル化女子のエネルギー

Q.円さんの仕事へのこだわりは?
A.オリジナリティとリアリティのある仕事をしたい。顔が見える仕事をしていたい。

Q.円さんの仕事に対しての原動力は何ですか?
A.純度の高い手仕事への憧れと、作り手の真摯なものづくり。
 煎じ詰めると、「この国に生まれてよかった。」と常に思いたい。

円さんとの取材時間。約1時間半。最後には涙が溢れていました。ご家族への愛と感謝の気持ち、絣を仕事として初めてからの困難をも円さんらしくプラスに変えていっている捉え方。織元さん達との信頼関係をとても大切にされ、絣だけではない地域の可能性もしっかりと見据えている姿。

様々な話の中で、ブレない信念が溢れる程に伝わってきました。

円さんが描く夢。円さんのそのままの感性。もっともっと色んな方に知ってほしい。そして久留米の希望のひとつである久留米絣が世界中で愛されることを夢見て。

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  • リアル化女子

女性の活躍が国を支えるほどの力になることは言うまでもない時代になってきていますが、その活躍がどのように社会へ影響を与えるかは、やはりその「人」の芯が持つ情熱こそが、計り知れないエネルギーになることが理解され始めてきた。

「その人」が持つ情熱のソーシャルな価値と、人々を魅了し続ける女性が選ぶ商品価値を伝えたい。

福岡県久留米市。人口30万の中核市。その中である分野で挑戦し、突破し続ける女性達がいる。この女性達の「本気」を掴みとりたい。そこに誰かに届く情熱の源泉があると信じている。

文・企画:中村 路子
写真・編集:國武 ゆかり

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