カストロ前議長 Cuba’s Fidel Castro , チェゲバラ  161127 Sun

学生時代に 何かと 話題になった。キューバ。 カストロ、チェゲバア。 若者として ずいぶん 共鳴した記憶が

ある。 また 「医療費はただ」 また「学費もただ」。ということでも 大変 おどろかされ 社会構造 システムの

在り方としても とても 勉強になる。経済制裁を受けたあとも 農業を国民レベルで展開して 切り抜ける。

石油が ストップすると ベネズエラと組んだり 様々な 考え方で 逞しく 生き続けてきたキューバ。

世界の若者たちに 大きな影響を与え続けてきた。カストロ チェゲバラ キューバ方式。

 

 

驚いた。 アントニオ古賀さん 光永 勇さん 吉野安基良さんと 話し込んでいるときに アントニオさんに 電話が

XX通信社や 大使館から電話があって カストロさんが 亡くなられたことを知った。 アントニオさんは 知る人ぞ知る

カストロさんとの緊密な友好関係を続けられていらっしゃる。 なんと 30年に渡って 26回もキューバを訪問されて

いらした。 電話の前の写真。 このあと すっかり アントニオさんの表情が曇った。 カストロさんや チェゲバラさんの

話に 切り替わっていった。 しばらくして 行徳哲男先生も いらして ひときわ カストロさん チェゲバラさんの

話で 盛り上がって。

 

私も キューバ大使館とは ご縁が深い。コシオ大使とも インターネットTVで 対談したことが あって

キューバ友好協会にも時々 顔をだしてきた。 若い頃から チェゲバラや カストロに ずいぶん

教えられたことが たくさんあった。 チェゲバラの写真展が 恵比寿の写真館であった時を 思い出す。

チェゲバラの生き方に共鳴して 熱く燃えた人は多いと思う。

一時代が 終わったが

 

その精神や 生き方は これからも 世界の若者に大きな影響を与えづつけるだろう。

 

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2012年4月26日 コシオ大使との対談。

改めて ビデオ再度 聴くと キューバのこれまでの展開。 各国とのやり取り。 カナダとの連携や ベネズエラとの

連携など アメリカの厳しい経済封鎖にも かかわらず 逞しく外交を展開して 生き延びている。

国の在り方として とても勉強になる。

BBCのニュースを見てみよう。  キューバが出来て ケネディ大統領の暗殺を 予備校時代の18歳、ラジオや初めての

テレビ報道で 知った。 キューバへの関心は その頃から 深まった。キューバを命からがら逃げて アメリカに

渡った人たちの報道も見て来た。 この人たちは いま 万歳をしているそうだ。人生を狂わせられて 国を脱出

した人たちだから 仕方ない部分が ある。

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行徳哲男先生が いらした。

日本BE研究所 所長
行徳哲男 (ぎょうとくてつお)

1933年福岡県生まれ。成蹊大学卒業後、大手財閥系企業に入社。労働運動の激しき時代に衝撃的な労使紛争を体験し、「人間とは何か」の求道に開眼。69年渡米、Tグループと出合い、米国流の行動科学・感受性訓練と、日本の禅や哲学を融合させ「BE訓練(Basic Encounter Training)」を開発。71年日本BE研究所を設立し、人間開発・感性のダイナミズムを取り戻す4泊5日間の山中訓練を完成させ、99年に終了するまで、政財界、スポーツ界、芸能界など各界のリーダー及びその子弟18000余名が参加する。その影響力は、日本にとどまらず、韓国、中国、アジアの政財界リーダーに及ぶ。現在、感性論哲学者の芳村思風氏、筑波大学名誉教授の村上和雄氏らと共に、シンポジウムを通じて「21 世紀の日本の使命」を担い得る若者たちを育てる夢に賭けている。著書・共著に「いま、感性は力」「いまこそ、感性は力」他、多数

こういう映像がある。

こういう歴史があった。 ところで チェゲバラに憧れる日本人は多い。 私も 熱くなったことがある。

もう一度 チェゲバラのスピーチも聞いてみよう。

チェゲバラとは?

 

カストロのBiography を 見てみよう。

 

フィデロ・カストロの人生は どのような ものだったのだろうか ?

いろいろ考えさせられる。

 

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★アントニオ古賀さんのこと: ウィキペディアから。

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アントニオ古賀
出生名 伊東 貞行
生誕 1941年2月26日(75歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
職業 ギタリスト
歌手
東京国際大学人間社会学部客員教授
活動期間 1959年
共同作業者 古賀政男
公式サイト アントニオ古賀公式サイト

アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 – )は、日本歌手ギタリスト東京国際大学人間社会学部客員教授

ギター演奏や、ピアノ、ギター寄贈などの活動を通してキューバとの親善交流を精力的に行っている。

1941年2月26日東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。

1949年より日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。

1956年、作曲家の古賀政男に弟子入りし、歌唱法を学ぶ。芸名は古賀政男が名付けたものである。古賀政男がアルゼンチンを訪問

した際にギターの弾き方を直接指導してくれたギタリストのアントニオ・シノポリの「アントニオ」と、古賀政男自らの「古賀」を足して、

「アントニオ古賀」とした(デビュー当時のレコード上では、全てカタカナで「アントニオ・コガ」と表記されていた)。

 

幅広いジャンルの歌・ギターをこなしたその才能を古賀政男に認められて、1959年日本コロムビアと専属契約を結び、

同年6月に日本相互ホールにてデビューリサイタル(関係者のみの非公式開催)を開いた。同年10月にLPアルバム

『フラメンコ・スタイル 古賀メロディ』で歌手デビューした。

1960年、当時の歌手の憧れのステージの一つでもあった日本劇場(通称日劇)で行われた「ラテン・フェティバル」(2月)に出演したり

、当時日本でも人気の高かったラテンコーラスグループのトリオ・ロス・パンチョスの日本公演にゲスト出演したり、同じ古賀政男門下生

であるレキント・ギター英語版の名手、鶴岡雅義とコンビを組んで活動し、ラテンのホープとしてラテン音楽や軽音楽のファンには

その名を知られていた[要出典]。1961年、サンケイホールで行われた「さよならトリオ・ロス・パンチョス」公演(1月)に特別出演。翌2月に

再び日劇で第2回の「ラテン・フェスティバル」に出演した際に、

 

ゲスト出演したトリオ・ロス・パンチョスのメンバーから贈られた「その名はフジヤマ」がヒットした。同年に発売したアルバム『ラテン・ギター・ムード』は、同年のコロムビアLPヒット賞を受賞、このアルバムをきっかけにギタリストとしても高評価を得た[要出典]。また、同年の春公開の新東宝映画『東京湾の突風野郎』に出演し、主題歌挿入歌も担当した。

1963年11月、日比谷公会堂で行われた初のリサイタルでは、この会場では異例の長蛇の列となり、話題となった[要出典]1964年

NHK『歌のグランド・ショー』の司会を務め、茶の間の人気者となる[要出典]

1965年高橋英樹主演の日活映画『拳銃野郎』に出演し、主題歌「キラー・ジョー」を唄う。ギターソロアルバム『荒城の月』がコロムビア

ゴールデンディスク賞を受賞し、翌1966年、ギター演奏のアルバムがコロムビアLPヒット賞を受賞。第17回NHK紅白歌合戦に歌手

として初出場を果たし、『その名はフジヤマ』を歌った。

1968年、音楽の勉強のため世界を旅行して廻った。同年12月1日に日比谷公会堂でその成果を2回目のリサイタルで発表し、その精彩溢れるステージは激賞された[要出典]

1971年、「コーヒールンバ」に医薬品の商品名を羅列した歌詞を乗せた(替え歌コミックソング「クスリ・ルンバ」(シングル)がヒットし、「その名はフジヤマ」と並んで歌手としての代表作となっている。1982年にその続編として「クスリ・ルンバ PartII」を発売。こちらは前編とは登場する医薬品名が若干異なるほか、2番以後は日本酒銘柄麻雀用語の羅列となっている。

1976年、アントニオ古賀ギター歌謡学院開校[1]。また、同年2月2日放送の「徹子の部屋」第1回放送にて、ゲストの森繁久彌の歌う知床旅情のバック演奏を担当した。当時34歳。

1978年NHK教育テレビギターをひこう』の講師を務めた(番組は視聴者に好評で[要出典]、79年と83年にも再度講師を担当している)。

1979年、東京・厚生年金ホールにて芸能生活20周年記念リサイタル「オーレ! アントニオ!!」を開催した。5年後の1984年11月、NHKホールにて芸能生活25周年記念リサイタルを開き、1989年には新高輪プリンスホテル「飛天の間」にて芸能生活30周年記念パーティー開催。

1994年、芸能生活35周年コンサート「アントニオ・古賀35th ~古賀政男生誕90年によせて~」をNHKホールにて開催。

長年に亘るラテン音楽を基にしての活躍ぶりや、キューバとの国際交流における多大な貢献により、キューバ政府から文化功労賞を受け[2]2000年にはカストロ議長と会談もしている[3]

2008年4月からラジオ関西『〜アントニオ・古賀の元気配達便〜縁歌の王道』のレギュラーを持つ。同年12月1日、東京

港区東麻布キューバ大使館で、キューバとの友好親善に貢献した者に対する最高の勲章「連帯大勲章」を日本の民間人

として初めて授与された[4]

2009年には芸能生活50周年を迎え、5月21日にキューバ大使館でライヴを行った。6月にデビュー50周年記念本『音霊

(おとだま) —古賀メロディとともに』が出版された。また、同じ6月から、全国100ヵ所のコンサートツアーを行った。

2010年より東京国際大学人間社会学部客員教授に就任。

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 ★光永 勇さん ウィキペディアから:

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全国勝手連連合会とは、日本の市民団体政治団体

1971年頃に光永勇が出身地である沖縄県宮古島にて、私塾「宮古大学」を立ち上げたのが、全国勝手連連合会の原点である

。宮古大学は後の勝手連大学の母体ともなった。

宮古大学設立後に、沖縄で自然保護運動や無農薬米、有機栽培の販売、生協活動などを行っていた光永勇の所に、環境問題などを中心にして市民運動にも取り組んでいた北海道の活動家たちが何度も訪れ、政治の問題等を議論する中から、「勝手」というキーワードが着目された。

市民が主体となった政治活動という発想から生まれたのが「勝手」だった。琉球語で自分勝手を意味する「ドゥ・カッティ」や「ワン・カッティ(わたしの勝手)」、「ヤーカッティ(あんたの勝手)」「ワンカラ(わたしから)」という言葉も候補にあがったが、結局、勝手に連なるという意味を持つ「勝手連」という名前が仲間内で決定された。

その後、1990年の選挙で沖縄県知事・大田昌秀を支援する運動が起こると各種相談が光永勇の元によせられるようになり、光永は勝手連の情報センターとして全国勝手連連合会を立ち上げた。光永勇は、勝手連運動の誕生から現在に至るまで勝手連運動を続けている唯一の人物であり、元祖勝手連と言われた。[要出典]

なお、1983年の北海道知事選挙に際して、候補となった横路孝弘を支援する団体が「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」を名乗ったことに由来する勝手連の動きとは上記のように直接の連動性はない。

現在は選挙運動・国際交流・エコビジネスを中心とした活動を行っている。

光永勇[編集]

全国勝手連連合会会長。議会新聞社社主。社団法人日本地方新聞協会副会長。財団法人那覇高等美容学校理事長。沖縄県アースデイ自然環境保護Co2削減事業協同組合理事長。1952年沖縄・宮古島生まれ。小学校時代は児童会長、中学・高校時代は生徒会長を務める。

本土と沖縄の各階層を結ぶ豆記者として活躍。高校時代に祖国復帰・反戦運動の活動家として活躍、高校生一万人行動を展開、祖国復帰運動において逮捕され、高校を除籍される。

それに伴い故郷において私塾「宮古大学」を開設。その後「沖縄文化新聞社」をはじめホテル経営、健康環境関連産業他、様々な

ビジネスを展開するとともに、勝手連運動に本格的に取り組む。

数多くの選挙にかかわると同時に全国勝手連連合会の設立に尽力し、1991年会長に就任。勝手連新聞、勝手連放送局の代表。

1980年に日本で初めてのアースデーイベントとなる、アースデー沖縄大会を主催し、1万人を集め、2012年まで沖縄の同大会の主催団体の理事長を務める。

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★吉野安基良さん ウィキペディア

1992年、ブラジルで行われた地球サミットの際、NGOグリーンハートが主催したカンファレンス会場にアマゾン先住民の

方が現れました。
理事長を務めていたわたしが、そこでゴム採取組合から882種類に上る健康植物のリストを受け取ったことが、フェアトレード

の商品開発の始まりでした。

以来、これらのフェアトレード商品の利益が先住民の定着を支援すると同時に、熱帯雨林を守る支えになることを信じ、

この仕事の成就を希求して今日までたゆまぬ努力を続けてまいりました。

この15年間でアマゾンに赴いたのは30回以上に上ります。
その中には、アマゾン住民とともに過ごした、3年あまりの共同生活も含まれています。

これらの体験を通じ、アマゾンの有用植物が、薬漬けになった日本人の真の健康と、その活性に役立つことを、わたしたちは確信を持って断言します。

そしてこれらの商品の恩恵から生まれる感謝の心が遠く地球の裏側にまで届くことを願ってやみません。
どうぞ皆様、フェアトレード商品をお試しいただき、アマゾンの植物の神秘の力を実感してください。

NGOグリーンハート

代表 吉野 安基良

代表の著書「グレートシャーマン アマゾンからの祈り」が発売されました!

グレートシャーマン

秘境アマゾンを舞台としたワクワクドキドキの冒険小説。 吉野安基良氏が自らの体験に基づき書き下ろした自叙伝でもあります。古代の叡智や大自然の力、大いなる愛と祈りが随所にちりばめられた、スケールの大きな珠玉の物語です。

■単行本: 239ページ ■出版社: たま出版 ■価 格:1,575円(税込)

「グレートシャーマン アマゾンからの祈り」はコパイバ公式オンラインストアからお買い求めいただけます。

コパイバオンラインストア

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★  日本BE研究所 所長 行徳哲男 (ぎょうとくてつお)さん

1933年福岡県生まれ。成蹊大学卒業後、大手財閥系企業に入社。労働運動の激しき時代に衝撃的な労使紛争を体験し、「人間とは何か」の求道に開眼。69年渡米、Tグループと出合い、米国流の行動科学・感受性訓練と、日本の禅や哲学を融合させ「BE訓練(Basic Encounter Training)」を開発。71年日本BE研究所を設立し、人間開発・感性のダイナミズムを取り戻す4泊5日間の山中訓練を完成させ、99年に終了するまで、政財界、スポーツ界、芸能界など各界のリーダー及びその子弟18000余名が参加する。その影響力は、日本にとどまらず、韓国、中国、アジアの政財界リーダーに及ぶ。現在、感性論哲学者の芳村思風氏、筑波大学名誉教授の村上和雄氏らと共に、シンポジウムを通じて「21 世紀の日本の使命」を担い得る若者たちを育てる夢に賭けている。著書・共著に「いま、感性は力」「いまこそ、感性は力」他、多数

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