アンパンマンの言葉 ① 160503

本名:柳瀬嵩
1919年2月6日 – 2013年10月13日
アンパンマンの生みの親。
日本の漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人。
日本漫画家協会理事長、日本漫画家協会会長、有限会社やなせスタジオ社長。
東京府北豊島郡滝野川町生まれ、高知県香美郡在所村出身。

Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%AA%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%97

▼アンパンマンに込められた思い

ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、やなせの従軍経験がある。戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感した

アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている。

やはり「究極の正義とはひもじいものに食べ物を与えることである」と述べている。さらに主人公をあんパンにした理由を「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」と解説している

「飲食」が大きなテーマとなった世界で、本来の「食べる」と「食べられる」の食物連鎖的な循環を裁ち切り、自らを食事としてのみ差し出す自己犠牲こそがアンパンマンのヒーロー性を支えているのである

“ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです”
第1作『あんぱんまん』のあとがきより

▼参考情報
やなせたかし先生が「アンパンマン」に込めた哲学がすごすぎる! – NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2131475673692300601

▼アンパンマンの仲間たち

物語の主人公。顔があんパンでできた正義のヒーロー。

▽パン工場の関係者

ジャムおじさん

出典unk.jp.net

不思議なパン職人。
みんなに美味しいパンを食べてもらいたいと思いながら、パン工場で「美味しくな〜れ…美味しくな〜れ…」と願いを込めてパンを作っている。

ジャムおじさんの助手をしている少女。

愛称はチーズ。バタコさんが名付け親。
森の中で泣いていたところを子供だったアンパンマンに助けられ、以来パン工場に住み着いている犬。

カレーパンマン

アンパンマンと同様、ジャムおじさんによって作られた。頭部がカレーパンで出来ている。

アンパンマン、カレーパンマンとは違い、トースター山という山から生まれたらしい。顔は一斤ではなくスライスされた一枚である。普段はしょくぱんまん号と呼ぶトラックで小学校へ給食用の食パンを運んでいる。ジャムおじさんのパン工場とは別に、トースター山の近くにしょくぱんまん専用のパン工場があり、そこで学校や町に配るパンを作っている。

愛の花の蜜から生まれたジャムおじさん製のメロンパンの少女。

ジャムおじさんがメロンパンナの為に作ったロールパンの女戦士。白い布で顔を覆っており、額の部分には赤い「R」の文字が書いてある。黒い服を着ており、布と同じ白い手袋とブーツを履いている。

ある日突然ジャムおじさんが呼んだパンの少年。パン工場関連のキャラクターでは最後に登場したキャラ。クリームパンに生まれてカスタードの国から来た。家族や、職業・経歴も不明だが、メロンパンナやロールパンナをお姉ちゃんとして慕っている。

▽どんぶりまんトリオ

どんぶりまんトリオの一人で、アンパンマンの友人。「てんてんどんどんてんどんどん」と歌いながら箸で頭の丼のふちを叩きつつ出てくる。

カツドンマン

出典www.last.fm

どんぶりまんトリオの一人。
「黒豚お肉をパン粉で包み、カラッと揚げたて豚カツよ」と歌いながら出てくる。中身はカツ丼。中身を失うと体中の力も失う。てんどんまんと同じくよくばいきんまんに中身を食べられる。

どんぶりまんトリオの一人。
「かまかまどんどんかまどんどん」と歌いながら出てくる釜。中身は釜飯。モチーフは駅弁の「峠の釜めし」。

▽頼りになる味方

体が歯磨き粉用のチューブになっている歯医者。
手に持っている大きな真っ白歯ブラシで痛い虫歯を治してくれる。アニメ初期では「はみがきまんさん」と呼ばれたことがある。虫歯だけでなく何でも綺麗に磨いてくれる。虫歯にならないように歯磨きの指導もしている。

コシヒカリやササニシキといった高級米で握られ、鼻は梅干しで出来た三角形のお結びの男性。中身は梅干し。

No.34232013年10月30日(水)放送
アンパンマンに託した夢 ~人間・やなせたかし~

アンパンマンに託した夢 ~人間・やなせたかし~

特異なヒーロー アンパンマン

小さな子ども向けのキャラクターとして、大人気のアンパンマン。
しかし、やなせさんみずから作詞したテーマソングには、子ども向けとは思えない、深く、哲学的なメッセージがちりばめられています。

「アンパンマンのマーチ」より
“そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
何のために 生まれて
何をして 生きるのか
答えられないなんて
そんなのはいやだ”

やなせさんは、アンパンマンを、大人にも通じる普遍的な物語として描いてきたのです。

やなせ たかしさん
「幼児の作品はですね、幼児用だというので、グレードをうんと落とそう、というふうに考えるんですね。
そうして、文章も非常に短くする。
僕もそれを要求されたんですけどね、違うんですよ。
全く違うんですよ。
非常に不思議なことにね、幼児というのはですね、お話の、この本当の部分がね、なぜか分かってしまうの。」

 

「はい、どうぞ。」

物語の中で、アンパンマンは、弱った人に自分の顔の一部を食べさせます。
この特異なヒーローが生まれた背景には、やなせさんの人生の歩みが色濃く投影されています。

「どんなに遠く離れていても、必ず飛んできます。」

34歳で漫画家としてデビューした、やなせさん。
しかし、同世代の手塚治虫たちが活躍する一方、ヒット作に恵まれませんでした。

やなせさんは求められるままに、舞台美術やラジオの脚本など、漫画以外のさまざまな仕事を引き受けるようになります。
ついたあだ名が、“困った時のやなせさん”。

やなせ たかしさん 「100年インタビュー」より
“寂しいって感じがしましたね
漫画っていうのはね 何かしら自分の代表作がないと 認められないんですよ
いろんな漫画を描いている というだけじゃだめなんです”

そんな不遇な時代、やなせさんが大人向けに、と描いた奇妙な作品が、最初に「アンパンマン」と題された物語です。

主人公は、おなかをすかせた子どもにアンパンを配って回る、小太りの男。
この不格好な姿には当時、流行し始めていた、正義のヒーローへの疑問と反発が込められていたとする専門家もいます。

京都国際マンガミュージアム 学芸室員 倉持佳代子さん
「(一般的なヒーローは)マント一つ汚さずに飛び去っていく。
壊した町も、どうなったのか分からない。
そういうヒーローって、本当の正義なんだろうか。
本当におなかがすいて困って、一人ぼっちで寂しくてって言う人のところには、そういうヒーローは、なぜか現れない。
誰をいったい助けているんだろう、そういう疑問があって、それでアンパンマンを思いつかれたんだろうと思います。」

飢えた子どもにアンパンを配る物語が生まれた原点は、やなせさん自身の戦争体験にあります。


老いと葛藤しながら、それでも創作を続けようとする、やなせさんを目の当たりにしていました。

かまくら春秋社 代表 伊藤玄二郎さん
「老いるということは、経験を積むことなんだと。
こういうことを、確かおっしゃっていた。
決して、老いは悪いことではない。
生きている限りは、とにかくやれることはやろうと。」

 

やなせさんが体力の限界を感じながらも、現役を続けたのは、言葉の力を再確認する出来事に背中を押されたからです。
東日本大震災です。

12日放送 TOKYO FM 「東日本大震災緊急特別番組」より
「友人の娘がまだ4歳なので、少しでも安心できるように、アンパンマンの歌をリクエストします。
よろしくお願いします。」

震災直後から、ラジオ局には、やなせさんが作詞した「アンパンマンのマーチ」へのリクエストが殺到し始めました。

「アンパンマンのマーチ」より
“何のために生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのはいやだ”

困難に直面した多くの人たちが、生きることをたたえた詩の、ひと言ひと言に励ましを求めたのです。

「アンパンマンのマーチ」より
“そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸のキズがいたんでも”

ラジオ局には、やなせさんの詩に対する反響が、大人からも寄せられました。

“アンパンマンマーチ泣ける。
歌詞がヤバイ。”

“こんな歌詞だったんだ。
元気が出る ありがとう!”

 

TOKYO FM 編成制作部 平岡俊一さん
「みんなが予想していなかった、待ち構えていないところに降ってきた言葉だと思うので。
よけいに大人の人たちには、何かの作用をもたらしたんだろう。」

 

やなせさんの詩は、被災者の心に、どう届いたのか。
福島県白河市に住む、網藤智子さんです。
震災直後、網藤さんと3人の娘たちは、原発事故と余震の恐怖に震えながら、自宅退避を余儀なくされました。

網藤智子さん
「子どもたちは地震の恐怖で、とにかくお母さんからは離れられない。
自分自身が、どうしていいか分からなかったんですけど…。」

そんな時、偶然つけたラジオから聞こえてきたのが、「アンパンマンのマーチ」でした。
喜んで歌い出す娘たちの姿を見ながら、あるフレーズが心に突き刺さったといいます。

網藤智子さん
「忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも
その言葉で、そうだよ、子どもたちは、これから未来があるんだよ。
だから、やっぱり自分はがんばらなきゃいけないんだ。
子どもを守っていかなきゃならないんだ、という励ましの言葉に聞こえました。」

歌 網藤智子さん親子
「忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも…」

 

その後、やなせさんは病に冒された体を押して、被災者の支援に乗り出します。

直筆の色紙やポスターの傍らには、“きっと君をたすけるから”と詩を必ず書き添えていました。

やなせ たかしさん
「今度の震災の時にですね、いちばん多く歌われたのがアンパンマンのテーマソングであったというのを聞いた時はね、本当にうれしかった。
役に立ったと思いましたね。
僕も長い間ね、自分は、いったい何のために生まれたのか、何をして生きるのか、ずいぶん悩んだんですけど、やはり、だから自分は子どものためにお話を書いたり、絵本を描いたりするのが自分の天職だなあと、このごろになって思うようになった。」

遅咲きの漫画家 やなせたかしの生涯

ゲスト中村圭子さん(弥生美術館学芸員)

●アンパンマン 最後まで貫き通したヒーロー像

やっぱり、みんなが求めているヒーローっていうのはね、決して、悪をやっつけて、町を破壊し尽くしてね、そのまま立ち去っていくようなヒーローではなくて、本当にみんなが必要としているのは、食べ物を届けてくれる人、飢えて困っている時に、食べ物をみんなが、それがなくちゃ、もう生きていけないという時にね、やって来てくれる人。
それこそがヒーローなんだという信念が、おありだったんだと思いますね。
(それほどつらい戦争体験というのも、おありになったんでしょうね)
そういう、ご自分の体験の中から生み出されたヒーローだと思います。
(本当に人を救おうとすれば、自分が傷つかずにはできないんだという、自己犠牲のメッセージは、本当に深くて、重いものがありますね)
そうですね。
そして、とっても難しいことだと思いますね。
いざ、そういう立場に立たされた時に、みんなできない、私もできないし、なかなかできる人はいないと思いますね。
それで、それをね、本当にしみじみ感じたのは、今度の震災のあとですね。
被災地が復興するためには、いちばんの障害になったのは、がれきですけれども、これが撤去されないうちは復興できないっていうふうになった時に、受け入れてくれるところがなかなか見つからなかったですよね。
その時に、私は本当に、それをニュースとかで見ていて、今こそ、やなせ先生のメッセージを、みんな思い出す時じゃないか。
アンパンマンの言ってることをね、思い出す時じゃないか。
アンパンマンに、なんか試されてるなって感じがしましたね。

●やなせさんの基本的な心象風景とは?

ちょうど、この詩にあるように、何ていうのか、闇、心の闇というのがあるんですが、薄暗いところを1人で歩いてらっしゃるというような。
イラストレーションなんかは、非常に、そういうシチュエーションで多く描かれていらっしゃいましたよね。
ただ、なんだか、明け方なんだか、夕方なんだか分からない薄闇なんですけれども、どこかに光はある。
必ず、どこかに光はあるので、それを求めて歩いていくというような、それが先生の心象風景だったと思いますね。
だから、どこかに救いはあるというような、楽天的な明るさっていうのも含んだ闇だったと思います。

●やなせさんの創作の原動力はどこに?

それはやっぱり、人を喜ばせたいっていうお気持ち、みんなを幸せにしてあげたいというお気持ちが、やっぱり大きいと思いますけれども、その根幹には、共感力というものがあると思いますね。
みんなと分かりあいたい、分かちあいたい、みんなと同じ気持ちを持ちたいっていう、そういうお気持ちが、すごく先生の創作の原動力になっていらしたと思いますよ。
詩でも何でも、読んだ方がね、晩年なんか、特に老いの苦しみを書いたものが、死への恐怖を書いたものが多かったんですが、読んだ方が、ああ、そうだよ、自分もそうなんだよ、っていうふうに思う。
そういう詩を多く書いていらっしゃって、それを読んだ人たちが、皆さん、喜んでいらっしゃいましたよね。
(人を観察することにも熱心だった?)
そうですね。
そこから、多くの魅力的なキャラクターが、どんどん生まれていったんだと思います。