各国研究 ⑪ スリランカ 140416

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新藤昌子さんと国歌外交官活動を勧めて以来 2008年ごろから ずっと スリランカの新年祭は

新藤さんが スリランカ国歌を歌うことが 毎年の行事となった。とても良いことだと思う。

 

それぞれの国歌を日本の歌手が歌うのが 礼儀だと思うし 国同士が仲良くなる大切なきっかけと

なる。 きちんと 敬意をはらい直立不動で その国の人たちは もちろん 参列する私たちも

真摯な気分となり 真剣になれる。

 

国歌外交官活動も 70か国にせまる。大使館の人の中には 国歌をきちんと歌える人 正確な

その国の言葉を話す人がいて わざわざ 大使館にならいに通った。

 

歌い手の 新しいジャンルを開かねばと考えてきたが その価値はあったと思う。

 

スリランカ民主社会主義共和国国旗

 面積 6万5,607平方キロメートル(北海道の約0.8倍) 人口 約2,067万人(2014年) 首都スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ

 民族 シンハラ人(72.9%),タミル人(18.0%),スリランカ・ムーア人(8.0%)(一部地域を除く値) 言語 公用語(シンハラ語,

  タミル語),連結語(英語) 宗教 仏教徒(70.0%),ヒンドゥ教徒(10.0%),イスラム教徒(8.5%),ローマン・カトリック教徒

  (11.3%)(一部地域を除く値) 国祭日 2月4日(独立記念日)

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政体 共和制 元首 マイトリーパーラ・シリセーナ大統領 議会 一院制(定数225議席)

 (1)首相名 ラニル・ウィクラマシンハ (2)外相名 マンガラ・サマラウィーラ

 

スリランカのお正月に 毎年 招待されている。これは 2014年4月16日

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スリランカでは,1983年以降25年以上に亘り,スリランカ北・東部を中心に居住する少数派タミル人の反政府武装勢力である「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が,北・東部の分離独立を目指して活動し,政府側との間で内戦状態であったが,2009年5月に政府軍がLTTEを制圧し内戦が終結した。

内戦終結後,ラージャパクサ大統領は任期を2年残し,大統領選挙の繰り上げ実施を決定。2010年1月に大統領選挙が実施され,同大統領が再選された。その後,同年4月に総選挙が実施され,同大統領率いるスリランカ自由党(SLFP)を中核とする与党統一人民自由連合(UPFA)が過半数を大きく上回る144議席を獲得して,引き続き政権運営にあたることとなった。2010年11月,ラージャパクサ大統領は2期目の任期を開始した。

2014年,再びラージャパクサ大統領は大統領選挙の繰り上げ実施を決定。2015年1月に大統領選挙が実施され,前保健相でもあるシリセーナ野党統一候補がラージャパクサ大統領を破り当選。シリセーナ大統領は,統一国民党(UNP)と政権樹立。ウィクラマシンハUNP総裁が首相就任。2015年8月 ,総選挙が実施されUNP勝利。単独過半数には達さなかったが,第二党のスリランカ自由党(SLFP)と大連立形成。ウィクラマシンハ首相再任。

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スリランカ新年祭@つくば市谷田部総合運動公園

【詳細】 facebook
【日程】 2016年4月24日(日)
【時間】 9:30~16:00
【場所】 谷田部総合運動公園
【住所】 茨城県つくば市 谷田部4711

 

very Year, Sri Lank people celebrate 14th April as independence day, I have repeatedly attended this very unique Festival,

as so enjoyable and also I have so many good friends from Sri Lanka. we are promoting important projeccts with these friends.

I do thank again for H.E. Admiral Wasantha Karannagoda, Ambassador, Sri Lanka who stayed in Japan after 3.11 casualty happened

and everyday served to the damaged area people Sri Lanka foods for long time, though who just camed to Japan at that time.

 

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スリランカで 私たち日本人が 忘れてはならない歴史秘話がある。

 

サンフランシスコ平和会議でのJRジャヤワルデネ代表演説
 ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ1906年9月17日1996年11月1日)は、スリランカの第2代大統領英国統治下のセイロンで頭角を現し、独立後は内閣で要職を務め、議院内閣制下の1977年から1978年まで首相を、大統領制移行後は1978年から1989年にかけ大統領を務めた。

1951年には国連に蔵相として参加し、同年、サンフランシスコ講和会議セイロン代表として出席した。その際の会議演説でジャヤワルダナは、「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、また、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という法句経の一節[1]を引用して、セイロン(現スリランカ)は日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行って各国の賛同を得、日本が国際社会に復帰できる道筋を作った。

1977年には、スリランカ建国に貢献した。姓のジャヤワルダナは「勝利をもたらす」を意味する。

1983年、スリランカの首都をコロンボから古都コッテへ遷都するに当たり、コッテがかつてジャヤワルダナと呼ばれていたことに加え、彼自身の姓をも絡めてスリジャヤワルダナプラコッテ(輝ける勝利をもたらす町・コッテ)と改称の上、遷都させた。1996年、死去に際し献眼、角膜提供。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られた。 なお これまでに 3万を超える角膜が スリランカから 日本に贈られてきている。 本当に感謝です。


 

1951年9月6日 アメリカ合衆国サン・フランシスコに於ける、対日平和条約の締結と調印のための会議に於けるセイロン(スリ・ランカ)政府代表団々長J.R.ジャワルデネ閣下の演説 / J.R.ジャワルデネ閣下は現在スリ・ランカ民主主義社会主義共和国の大統領であらせられる。
スリランカ大使館(東京)資料から


 賛同を勧誘されている平和条約草案について、セイロン国政府の見解を、この51か国の集会前に提出する機会を与えられましたことを、私は大いなる特典と考えます。
私の声明は我国が本条約を受け入れる諸理由から成り立っていますが、本条約に対して向けられたいくらかの批判を反ばくする企てもあります。もっとも私は、私の国の政府を代表してのみ話すことが出来るわけですが、然し日本の将来に対して一般的態度の中でのアジアの諸国民の感情を、私は表明出来ると主張します。
私は現在、会議で考慮中の条約の最終草案の公式化にまで持って行った出来事について、語る必要はありません。アメリカ代衣ダレス氏とイギリス代表ケンネス・ヤンガー氏は、1945年8月の日本の降伏文書協定から始めて、それ等の出来事を詳細に且つ丁寧に我々に示されました。然しながら、次の事柄は述べて置いてもよいと思います。
即ち、本条約の草案を採用すべきであるという手続きに関しては、四大強国の間で探刻な意見の衝突があったことを述べて置いてもよいと思うのです。
ソ連は、四大強国だけが、即ちアメリカ、イギリス、中国及びソ連の外相会議だけが、それを引き受けるべきであると主張し、そして若し条約草案作成のために他の国々が加入するのであれば、拒否権を保留されなければならないと主張しました。

イギリスは、自治領は相談を受けるべきであると主張し、アメリカはこれに賛同しました。
両国は又、対日戦争に参戦したすべての国々と相談することを支持しました。

これ等の諸国の間では又、違った考慮から、条約の実際の条件に関する意見の相違がありました。ある国は新しい軍国主義的日本の台頭を恐れ、他の国は日本の侵略によって生じた災害と恐怖を忘れ兼ねて、意見がわかれました。
敢えて意見として述べますが、完全に独立した日本のための主張がはじめて提出され、考慮されたのは、1950年1月に開催された連邦外相のコロンポ会絨に於いてでありました。このコロンボ会議は、日本を孤立させたケースとして考えるのではなく、南アジア及び東南アジアとして知られている地域の一員として考えられました。世界の富と人口の大部分を含み、最近になって漸く自由を回復した国々からなる南アジアと東南アジア、それ等の国々の諸国民は数世紀なおざりにされた結果、今尚苦しんでいます。


この会議から二つのアイディアが浮かびあがりました。一つは独立国日本のそれであり、他方は南アジア、東南アジア諸国民の経済的、社会的開発の必然性で、それを確保するためにコロンボ計画として現在知られている計画が着手されました。


ケンネス・ヤンガー氏は、コロンボ会議の後に連邦諸国長官の運用委員会が条約草案の仕事にかかった経過を説明され、そしてその後にアメリカ代表ダレス氏と相談されたことを説明されました。


今我々の前にある条約は、これ等の協議と折衝の成果であります。


私の政府の見解の或る部分がそこに主張されていますが、私の政府の見解でないものも主張されています。私は現時点に於いて、日本と進んで和平を討議したいとする諸国の聞で達成出来る同意の最大の共通な尺度を告げていると、私は主張します。

日本に対する態度に於いて、セイロン、インド、そしてパキスタン等のアジア諸国は、日本は自由でなければならないという最大の考えによって動きました。

本条約はその考えを完全に具現していると私は主張します。日本の自由という事柄について付帯的な他の問題があります。即ち自由は本州、北海道、九州、四国の主要の島々に限定されるべきであるか、或いは近隣のいくつかの小さい島々にまで広げるべきであるか。若しそうすべきでないのなら、これ等の島々は如何にすべさか。

 

台湾は1943年のカイロ宣言に従って中国に返還されるべさか。若しそうすべきであるのなら、中国のどちらの政府へ? 中国は平和条約会議へ招くべきか。若しそうであるのなら、どちらの政府を? 賠償は日本から強要すべさか。若しそうなら金額は。日本が自国の防衛を組織するまでは、どの様にして自らを防衛するのか。

日本の自由という中心問題について、我々は究極には同意することが出来ました。そして条約はその同意を具現しています。他の問題については際立った意見の相違がありましたが条約は大多数の見解を具現しました。若しこれ等の諸問題の或るものが違った方法で解かれていたら、私の政府はその方を好んだでありましょう。然し大多数が我国に同意しないという事実は、自由と独立した日本の中心概念を含む本条約に、我国が調印するのを控える理由にはなりません.

最初に私が言及しました関連のある事柄は、日本が自由になれば解決不可能ではありませんが、日本が自由にならなければ解決不可能であると我国は思います。


自由の日本は、例えば国連組織を通じてこれ等の問題を世界の他の自由諸国と討議することが出来、早目に満足すべさ決議に到達出来ましょう。本条約に署名することにより、我々は日本をしてそうすることが出来るようにさせます。

即ち日本が中国を承認すると決定するならば、中国政府と友好条約を結ぷことが出来るようにと、そして日本をして印度と平和友好条約を結ぶことが出来るようにさせると私が述べるのは、大変嬉しいことであります。若し我々が本条約に調印しなければこれ等起こり得ることは、何れも起こり得ないでありましょう。

何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。

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私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローーガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます.

セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。

我国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。


大師のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を高尚にしました。

仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。

これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。

この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。

我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。

そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。


ソ連代表が加えようと欲する制約、例えば日本が自由の国であれば当然そうする資格のある国防軍を維持する権利に加える制限といったもの、そして、彼が提議する他の制限は、現在ここの会場に居られる代表の大多数の方々にとって受け人れ難いものにするばかりでなく、この会議に出席されなかった国々の中の或国、

特にこの条約のありありと心に描くところより更に進んだ所へ行きたい印度にとってさえも、受け入れることが出来ないものにします。

若し再びソ連がカイロとポツダム宣言に反して、日本へ返還した琉球諸島と小笠原諸島を欲しがるのなら、それでは何故南樺太は、千鳥列島もまた日本へ返還されないのか?

私は興味をもって、次の事に注目します。即ちソ連の修正案は、日本国民に基本的表現の自由、新聞及び宗教礼拝の出版の自由、政治上の見解の自由、及び公開の集会の自由を保証しようと要求しています。—–ソ連の国民自身でさえも所有し享有したいと心から執着したいであろう自由をです。

(注—和訳資料はここまで。以降の数行は欠損)

JR・ジャヤワルデネ全権代表のサンフランシスコ演説資料(英文・和文)を提供してくださった駐日スリランカ大使館元通訳の故渡辺氏に敬意を表します—かしゃぐら通信KhasyaReport

スリランカ 魅力的な国だ。 しかし長年交流を続けていると 各国大使の役割や 功罪を 良く考えてしまう。

どうしても 以前の大使たちと 比較をしてしまうからだ。一番仲良かったアムヌガワ大使は 5年のお付き合いで

良く大使館に通っていた。 人物識見とも 素晴らしく尊敬でき、たぶん スリランカを引っ張って行く人になるだろう

と 思っていたら 日本のあと 中国大使となり 5年務め 本国に帰ってすぐに 外務次官になられた。

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スリランカは非同盟の立場を維持しつつ,歴史的,文化的にも関係が深い隣国インドとは,政治・安全保障上極めて

重要な国として良好な関係維持に努めている。

また経済社会開発の観点から日本を含む先進諸国との関係強化を重視しており,内戦終結前後から,中国との関係も

強化されてきている。

また,南アジア地域協力連合(SAARC)の加盟国であり,発足当初よりその発展に積極的に関与し,2006年には

アセアン地域フォーラム(ARF)にも加盟するなど,域内及び東南アジア諸国との協力関係強化にも力を入れている。

 

スリランカ経済は,内戦の終結による復興需要や経済活動の活性化等によって, 2011年に過去最高となる8.2%

の経済成長を達成した後,2014年は7.4%成長となった。

経済の拡大を受けて雇用機会が拡大し,失業率は2014年に4.3%と低水準である。インフレ率は一桁台に留まっており,

2014年は3.3%に減速した。輸出は7.1%増となり二年連続で100億ドルを上回った。輸入は7.8%増となり,

この結果,貿易収支の赤字幅は拡大した。外貨準備高は2014年末82億ドルであり,平均月間輸入額の5.1か月分と

増加している。また,海外からの観光客数は治安の改善を受けて改善しており,2014年は三年連続で100万人を上回った。

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大使が 民間にも フレンドリーで 温かく 配慮に満ちた人であるなら、その国を慕う人たちが

一気に増えて交流が活発になる。だけど そうではないと2度と寄り付かなくなる。

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軍事力 (1)予算 19.4億ドル(2014年) (2)兵役 志願制 (3)兵力 161,000人(陸軍:118,000人,海軍:15,000人,  空軍:28,000人) (出典:ミリタリー・バランス,2014)

 津波復興支援

2004年12月のインド洋大津波によりスリランカでは3万人以上が死亡,約100万人が被災した。日本は直ちに緊急医療チームを派遣し,緊急・復旧支援として80億円の無償資金協力,また中・長期的支援として約100億円の円借款を供与した。

二国間関係

1 政治関係

1952年の国交樹立以来,日本とスリランカとの間には,特に大きな政治的懸案もなく,貿易,経済・技術協力を中心に良好な関係が続いている。2014年には日本の総理大臣として24年ぶりに安倍総理がスリランカを訪問した。また2015年10月には,ウィクラマシンハ首相訪日に際し,安倍総理大臣との首脳会談後に「包括的パートナーシップに関する共同宣言」(PDF) が発出された。

また,日本は2002年の停戦合意以降,明石康・元国連事務次長を「スリランカにおける平和構築及び復興・復旧担当政府代表」に任命し,スリランカ和平に積極的に関与してきており,2009年5月の内戦終結後も,スリランカの平和構築を支援している。

2 経済関係

スリランカ民主社会主義共和国地図

もちろん 大使は 国を代表して 日本政府と向き合うことが 優先順位の一位で、

民間との交流を全くやらない国も多い。

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経済(単位 米ドル) (出典:スリランカ中央銀行年報等)

1 主要産業 農業(紅茶,ゴム,ココナツ,米作),繊維業

2 名目GDP 749億米ドル(2014年)(スリランカ中銀)

3 一人当たりGDP 3,625米ドル(2014年)

4 GDP経済成長 7.4%(2014年)

5 物価上昇率 3.3%(2014年コロンボ消費者物価上昇率)

6 失業率 4.3%(2014年)

7 デット・サービス・レイシオ(債務返済額÷総輸出額) 20.2%(2014年)

8 総貿易額(2014年) (1)輸出 111.3億米ドル (2)輸入 194.1億米ドル

9 主要貿易品目(2014年)

(1)輸出
工業製品(繊維・衣類製品等)74.2%,農業製品25.1%,鉱物0.5%
(2)輸入
中間財(燃料・繊維関連等)58.7%,資本財21.4%,消費財(食料品等)19.8%,その他0.1%

10 主要貿易相手国(2014年)

(1)輸出
米国(24.5%),英国(10.0%),インド(5.6%),イタリア(5.5%),ドイツ(4.5%)
(2)輸入
インド(20.7%),中国(18.0%),UAE(9.5%),シンガポール(6.5%),日本(4.8%)

11 通貨 ルピー 12 為替レート 1米ドル=131.05ルピー(2014年末値) 1ルピー=0.91円(2014年末値)

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大使の性格が 傲慢だったり 人の話を一切 聴かずに 自慢ばかり 強引にする人は 嫌われる。

たまに こういう人がいると みな さあ~と 冷めて 寄り付かなくなるものだ。

 

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民主的な国なのか 独裁国家なのか 共産圏なのか、国の性格や、おかれている状況によっても 対応が変わる。

また 大使館に外交官が少ないと とたんに 民間との交流は難しくなる。 割く時間がないのだ。

新任の現在の大使は 大使館員の人たちの 評判が、すこぶる良い。

 

ただ 人数が少ない。 しばらくは 民間交流は 難しいと危惧する。

 

 

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